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将棋小説「三と三」・第21話

阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。




 ところが入隊してみると、兵営での生活にポカンとしているヒマなどなかった。
 少しでも弛んだ様子を見せようものなら、班長の軍曹や古参兵にボカスカ殴り飛ばされ、軍隊というものの厳しさを、嫌というほど幸三は思い知らされたのである。
 五時のラッパで起床し、直ちに服装を整えて、寝具を整頓する。人員点呼が終わると、班内の清掃、兵器の整備、馬匹の手入れなどを行ない、六時半からの朝食後は軍事演習、昼食をはさんで、また演習。午後四時、入浴。午後五時、夕食。それから休憩、人員点呼を経て、午後九時消灯で就寝。
 厳しく規則正しく繰り返される日々の営みの中で、余暇と呼べるのは、夕食後の休憩時間だった。午後六時から八時までのこの時間帯は家族や友人知人に手紙を書くことができたし、入営後四か月が経ってからは、酒保で日用品や飲食物を安く買え、ビール、酒、おでん、餡パン、煎餅、羊羹、饅頭などを飲み食いすることができた。
 また日曜日や祝日は軍事演習が休みとなり、営内での休養に充てられた。一週間の激務で疲労した心身を休めて、翌週からの勤務・演習に備えるために。気分転換に、外出することも許された。
 月に一度は、医務室で軍医による診察と健康診断が行なわれるのだが、入営時の検査のときから、幸三はカイゼル髭を生やした軍医に目をかけられた。
「升田二等兵、貴様はあの木村名人に香落ちで勝った、升田六段に相違ないな」
「はいっ。相違ありませんっ」
「うむ。3六の歩突きから5五角と出た、新戦法は見事じゃった。あれは貴様が考案したものに相違ないな」
「はいっ。相違ありませんっ」
「うむ。貴様ほどの高段者ともなれば、駒を落としての指導将棋も得意かと思うが、相違ないな」
「はいっ。相違ありませんっ」
「うむ。ならば、ときどき、ワシの相手をせよ。ワシは将棋が何よりの好物でな、初段の免状も持っておる。専門棋士の六段と素人の初段の勝負じゃから、飛車角落ちあたりが妥当かと思うが、相違ないな」
「はいっ。相違ありませんっ」
 こうして初年兵の幸三は、軍医大尉の稽古相手という特別な任務を負うことになったのである。
 
 昭和十五年も十月を迎えていた。
  欧州の戦線は拡大の一途を辿るばかりで、前年にドイツの侵攻を受けたポーランドは、東からソ連にも攻め入られ、両国によって分割されていた。
 ドイツはこの四月にデンマーク、ノルウェーに、五月にはオランダ、ベルギーに攻めこみ、六月にはフランスにも侵攻。パリを占領したのち、フランス国土の西部から北部にかけて三分の二を占領した。この戦況を見て、イタリアもドイツ側に立って参戦した。
 度重なる電撃戦の勝利によって、もはや欧州大陸の過半を支配したドイツは、イギリス本土への上陸作戦に先立ちロンドンを始めとする要地への空爆を行なったが、イギリスは制空権を守ろうと徹底抗戦の姿勢を貫いていた。
 アジアでは、日中戦争が中国側の頑強な抵抗により長期化の一途を辿っていた。
 ドイツがオランダ、フランスを降伏させると、日本は東南アジアにおけるフランスやオランダの領土を狙って、この九月、フランス領インドシナ北部に進駐した。これに対してアメリカは、日本への屑鉄・石油の輸出を制限し、中国への援助を強化した。
 そして九月二十七日、枢軸国の絆を強めようと、日独伊三国同盟が結ばれた。世界大戦は、終わりのない拡がりを見せ続けていた。
 
「升田二等兵。貴様も入営して一年近くになるが、すっかり健康体になってきたのう。肺炎を病んだというのが嘘のようじゃ。これも日々の規則正しい生活と鍛錬の賜物とワシは診断するが、相違はあるまいな」
 盤上の駒を動かしながら、軍医が言った。
「はいっ。相違ありませんっ」
 同じく駒を動かしながら、幸三が答えた。
「うむ。健康を取り戻した専門棋士の稽古のおかげで、ワシの将棋の腕もずいぶん上がってきたと思うておるが、相違はあるまいな」
「はいっ。相違ありませんっ」
「うむ。ならば貴様の体がこれからますます健康になれば、ワシの棋力もいよいよ向上していくことになるが、相違はあるまいな」
「はいっ。相違ありませんっ」
「うむ。それではもう一年、いや、もう二年くらい軍務に服したのち、棋界に復帰するがいい。そうすれば精神面でも体力面でも木村名人を圧倒でき、貴様の天下が到来することじゃろう。そのあかつきには、ワシに二段、いや三段の免状を、よろしく頼んだぞ」
 軍医の言葉に、幸三は愕然とし、絶望に陥った。
 
 失意の幸三のもとへ、一通の手紙と小包が届いたのは、それから数日後のことだった。差出人の欄を見て、それが若子からのものであることを知ると、沈んでいた幸三の心に明るい光が差しこんだ。
 夕食後の休憩時間がくるのを待ち、青紫色のリンドウの花が描かれた封筒をうっとりと眺めたのち、幸三はそれを開け、便箋を取り出して、端麗なペン文字をゆっくりと読んでいった。
 
 升田幸三様
 秋も深まってきましたが、お元気で日々のお務めにご精励のことと存じます。
 最後にお見かけしたのが去年の十一月。あれからもうすぐ一年になりますのね。お店での鉢合わせにたいへん驚きましたが、貴方はもっと驚かれたことでしょうね。私が名人と一緒のところを見て、そして私が名人の実の妹であることを知って。
 私が前もってお話しておけば、あのような騒動にもならず、不愉快な思いをなさらずに済んだことでしょう。ほんとうに、ごめんなさい。銀座のお店の「腰かけ銀」という名前も、実は兄が考えてくれたものなのです。
 私たち兄妹は、とても貧しい家に生まれました。父の仕事は下駄の職人で、ただでさえ実入りが少ないのに、欧州大戦による物価の高騰で、家計はどんどん苦しくなっていきました。母が病に伏した際も、お金がなくてお医者に診てもらうことができず、為すすべもないまま亡くなってしまいました。まだ三十八歳の若さでした。
 続いて、弟が亡くなりました。四歳でした。生まれつき病弱でしたけど、充分な滋養と医療があれば助けられた命だったのかもしれません。
 そういう貧苦の中で、父は六歳になった私を養女に出しました。弟のこともありましたから、私に健康で裕福な暮らしができるよう取り計らってくれたのでしょう。私をもらってくれたのは、女優の松井須磨子でした。
 幸三さん、覚えてらっしゃるかしら。初めて腰かけ銀へご来店の際に、「カチューシャの唄」のレコードをご所望になったでしょう。貴方が家出をしたときに口ずさんでいたという唄。あれを歌ったのが、松井須磨子です。芸術座という劇団を代表する女優で、とても有名な人でした。それにお金持ちで、お洋服やおもちゃなど、私の欲しいものは何でも買ってくれました。激しい気性を秘めた人だったそうですが、私には実の母親のように優しい人でした。
 私が新しい生活を始めたその一方で、兄は木村家の家計を支えるために頑張っていました。関根名人のもとで将棋の腕を磨く傍ら、柳澤伯爵邸の書生を経て、外務省の給仕になり、お給料を父に渡していました。私が去った後も、家には祖父と祖母と弟がもう一人、それに妹がもう二人いましたから、暮らし向きを少しでも良くしていくには、父と兄が必死で頑張るほかはなかったのです。
 そんなある日のことでした、私の二人目の母が亡くなったのは。芸術座を立ち上げた島村抱月という人が病死し、その後を追って、自ら命を絶ったのです。二人は、道ならぬ恋愛関係にありました。
 母の遺言状に従って、私は木村家に戻りました。まだ八歳でしたが、母が用意してくれた遺産が相当な金額で、それを家族のために役立てることができたのは幸いでした。母親を二人続けて失ったのは、子供心に、とても悲しくて辛いことでしたけど。
 兄の進路に光が差してきたのは、この頃です。給仕の仕事と兼業で励んできた将棋の道で、ようやく三段に上がってからは連勝の波に乗り、お手当や懸賞金、出稽古料などもたくさん入ってくるようになりました。そうして給仕を辞め、将棋一本に絞ってからは昇段にも拍車がかかり、四段、五段、六段と出世していくにつれ、木村家もやっと貧しさから脱け出すことができたのです。
 あの頃の溌溂として頼もしい兄の姿に、初めてお会いしたときから貴方が重なって私の目に映っていました。全四段登龍戦を全勝し、五段にご昇段。その新聞記事を切り抜いて飾ったのも、私の心の中からごく自然に湧き出してくる喜びがそうさせたのです。
 その後、六段に上がられ、これから七段、八段、そして名人へと向かわれる貴方には、今はお辛い時期でしょうけど、勝負の機会は必ずやってきます。なぜなら、兄が、木村名人が、大阪での敗局の雪辱を果たしてみせると腕を撫しているからですわ。升田とやるまでは名人位は誰にも渡さん、とも申しておりましたことよ。
 木村対升田。次の対戦では、いったいどちらに軍配が上がることでしょう。日本全国の升田応援団の一員として、幸三さんの勇姿が見られる日を楽しみにしております。
                                       若子
 
 封筒と同じく、青紫色のリンドウの花の絵があしらわれた便箋。それらを何度もめくりながら手紙を読み返していると、傍から声がかかった。
「おっ、恋文か。ええのう、升田君は」
 それは幸三と同期入隊の初年兵だった。実家が広島市内で花屋を営んでいるというその青年とは、幸三は仲が良かった。
「違う、違う。恋文なんかじゃありゃーせん……」
「照れんでも、ええじゃろ。きれいなリンドウの絵じゃなあ。ところで升田君、リンドウの花言葉を知っとるか?」
「花言葉?」
「花にこめられた意味のことじゃ。例えば、サクラは、精神の美、優美な女性。スミレは、謙虚、小さな幸せ。ユリは、純粋、無垢、威厳。というふうに、いろんな花が、いろんな意味を持っとるわけよ。それでな、リンドウの花言葉は……」
 幸三が耳を傾けると、彼はこう言った。
「誠実。正義。悲しんでいるあなたを愛します」
 
 手紙といっしょに届いた小包を、寝床に持って入り、消灯時間がくる少し前に幸三は開けた。
 すると、中から出てきたのは、小さな青い箱。やはりリンドウの色をした、手回し式のオルゴールだった。
そのハンドルを、親指と人差し指で摘まんで回すと、懐かしくて優しい旋律が聞こえてきた。
 カチューシャの唄。
 毛布にくるまり、回しては聴き、聴いては回しを繰り返しているうちに、幸三はいつしか安らかな眠りに落ちていった。
 
 
 

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