人間関係は消耗品なのか。【会えるうちに会っておこう】
なんて過激なタイトルから始まるnote。でもあながち的を得ているんじゃないのかなんて思ったりする。
生きていれば様々な人と出会う。数は膨大だしずっと維持し続けるのもコストが高い。何かのコミュニティから卒業した場合、それでも関わる人達はどのくらいいるのか。
浅い関係なのか、深い関係だったかの違いで今後も関わるかどうか。
SNSの普及も大きな理由の一つだと自分は思っている。簡単に繋がれる。
簡単に繋がれるからこそ、簡単に切れてしまうのだ。
SNSという名刺を手軽に作れてしまうから、交換したことによって仲良くなったと錯覚するのだ。
簡単に繋がれないからこそ、深い関係を築けるという裏返しでもあるが
今の関係を今この瞬間大事にする。
失うかもしれないが、前向きな態度考え方が必要。
直接会う関係だったら引っ越しや多忙だけでも会えなくなるので、自然とフェードアウトしてしまうと思う。一年に一回でも会えればいいくらいになってくる。というよりデジタル機器が発達しているのだから無料SNSのLINEとかDiscord等を使えばいいと思う。通話もできないほど関係性が寂しいのかな。
逆に言えば、それほど大事にする関係性なのかと見直すいい機会でもある。
そもそも論、僕も貴方も明日生きているという保証はない。
常に余命一年を更新しているだけである。
会えるなら会えるうちに会っておこう。後悔しない選択肢を。
極論、また会いたいかどうか。
その人の個性があるからまた会いたいと思うのだ。
本当にどうしようもない人間でも、なんだかんだ気にかけてしまうものだ。
僕も含めて同じ。情があるからこそ許してしまう事もある。
上辺だけの関係ではどうしてもそうなりにくいだろう。
少なくとも本音を言わせない空間では、深い関係は築けない。
ペラペラな関係性でしかない。
人間関係は消耗品というより、青春という名の消費期限。
【青春】この言葉が一番似合うのではないのかと思う。
20代でも30代でも常に青春であるという事。メメントモリ。
6年後、3年後、確実にそこで終わると決まっているからこそ、輝かしく燃えることができるのではないのかと思う。
それは若者を終えた大人も同様なのではないのかと自分は思えるのだ。
年齢は関係ない。そして確実にこの世の中に存在しているという保証が段々となくなってくるのだ。好きな人間も嫌いな人間も同様にいなくなっていく。
卒業と青春。その繰り返しなのだ。
期限が決まっているからこそ、最大の力を出し切ることができるのだと思う。
2024年の今日は二度と訪れることはない。この一日が消耗されている事もまた事実。だからシンプルに目の前の事をやっていくだけで人は幸せになれるのだと自分は思っている。
365日という時間が平等に配られているのは事実なのだ。
風呂に入って飯を食って、何かの趣味をして、それだけでも時間は過ぎていく。
とにかく、今日を生きること。
つまり、その人の有限の時間を貰っていることにしっかり気付くことが大事なのだ。
多忙な人だったら一時間でも惜しい。遅刻をされたらとても辛いだろう。
その人のスケジュールを大きく乱してしまう。お互いは不老不死ではないのだから、いつかその時は来る。
真摯に生きている態度が必要になってくるのだと、自分は思っている。