夏の一大事

 筆者、野球、ラグビー、プロレスを愛しております。そして、毎度こいつ登場ますけど「ころなたん」のおかげで中止、延期、無観客試合等かなり大きな影響を受けています。
 高校野球の最大の目標「甲子園」も中止が決定してしまい、関係者の方々の無念さ、3年生なんてかわいそうですよね。と、書いていたら選抜の代替大会が決定したようで。良かったですねぇ。
 ただ、すごく気になったコトがあったので苦言呈します。
朝日新聞がかなり反対していた印象を受けました。でしょうね。主催の大会は中止で、別で代替されたら面白くないですもんね。まぁ、オトナがやることじゃねぇなって思いますよ。特に高校生の気持ち考えたらやってあげたいのは悪いことじゃないと思うんですけどね。

 と、今回かなりネガティブなキャンペーンになります。なぜなら「朝日新聞」のこと書きます。偏ったモノの見方(右向き)をしているので、嫌悪感覚えた方はこの先読まない方がいいと思います。毎度のことながら賛否両論求めていないので。


朝日新聞の従軍慰安婦問題
 いきなりですが、Wikipediaよりかなり長めの引用

吉田清治と朝日新聞
 1977年に戦中に陸軍労務報告会下関支部動員部長であったと自称する吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を刊行し、軍令で済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたと「告白」した。吉田は1982年に高木健一弁護士が主導した在樺コリアン訴訟でも済州島での朝鮮人奴隷狩りを証言したが、被告の日本政府代理人は反対尋問をしなかった。
 朝日新聞は、1982年9月2日(大阪版)22面において「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」と報道した。
 さらに吉田は1983年7月に済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版。同1983年12月に天安市に私費で謝罪碑をたてるために訪韓し、土下座した。
 1983年11月10日朝日新聞朝刊3面「ひと」欄で吉田の謝罪碑活動を紹介した。歴史家の家永三郎も吉田の著作を賞賛した。
 1989年に吉田の著書が韓国で翻訳されると、済州島の済州新聞は1989年8月14日に許栄善記者による記事を掲載、そこで済州島城山浦の85歳の女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」と批判した。また同記事で済州島の郷土史家金奉玉も、数年の追跡調査で吉田証言が事実ではないことが判明したとし、吉田の本は「日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物」と批判した。
 1990年6月6日の参議院予算委員会で、労働省清水伝雄が「徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はなく、民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いた」と発言したことが韓国で「清水妄言」として騒ぎになり、尹貞玉が挺身隊対策協議会を結成、海部俊樹首相へ公開書簡をおくった。なお秦郁彦は、吉田証言が挺対協の起爆力となったとしている。また元慰安婦の金福善は吉田証言をきっかけに名乗り出たと証言している。その後も韓国、フィリピン、台湾などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数現れ、日本の弁護士らの呼びかけで、日本政府に謝罪と賠償を求める慰安婦訴訟(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件、釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟、在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件など)が多数行われた。
 1992年3月に歴史家の秦郁彦が済州島で現地調査を行い、城山浦の老人が「男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかった」という証言を得たり、済州新聞の許栄善記事を発見し、吉田証言には根拠がないことを産経新聞1992年4月30日、『正論』1992年6月号に発表した。その後、1996年に吉田は「本に真実を書いても何の利益もない」と事実と創作を混ぜて書いたと述べた。朝日新聞は1997年3月31日に吉田の「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事を掲載したが、訂正記事は出さなかった。
 李栄薫ソウル大学教授によれば吉田証言は今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与した。1992年7月31日の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書でも吉田の著書を証拠として採用し、その後も修正していない。また1996年の国連のクマラスワミ報告でも吉田証言は証拠として採用されている。
 2012年9月5日にも朝鮮日報は吉田の手記を取り上げ「この本一冊だけでも日帝の慰安婦強制連行が立証されるのに十分」と主張した。

 かなり長いので飛ばしている方もいらっしゃると思うので、筆者が勝手に抜粋します。
 1977年、吉田清治と名乗る方が「朝鮮人慰安婦と日本人」を発刊し、軍令で済州島で女性を強制連行し、慰安婦にしたと告白した。
 1982年、朝日新聞は「朝鮮の女性 私も連行 元動員指導者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」と報道した。
 1983年、吉田氏は済州島で200人の女性を拉致したと証言する「私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行」を出版。同年12月、天安市に私費で謝罪碑を建てるため訪朝し土下座した。
 同年11月朝日新聞は吉田氏の謝罪活動を紹介した。
 李栄薫ソウル大学教授によれば吉田証言は今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与した。1992年7月31日の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書でも吉田の著書を証拠として採用し、その後も修正していない。また1996年の国連のクマラスワミ報告でも吉田証言は証拠として採用されている。
 2012年9月5日にも朝鮮日報は吉田の手記を取り上げ「この本一冊だけでも日帝の慰安婦強制連行が立証されるのに十分」と主張した。

 まとめると、吉田氏の著作、証言が韓国の従軍慰安婦問題の証拠として扱われている。朝日新聞は吉田氏の活動を報道していた。

 続いて、同じ引用元から別の面をもう一度勝手に抜粋します。
 済州島の済州新聞は「250余りの家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」という証言を掲載し、吉田氏の著作に「裏付けの証言がない」と批判した。
 1992年、歴史家の秦郁彦氏が済州島で現地調査を行い、「男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかった」という証言を得たり、前述の新聞記事を発見し、吉田証言には根拠がないことを産経新聞と「正論」に発表した。
 1996年、吉田氏は「本に真実を書いても何の利益もない」と事実と創作を混ぜて書いたと述べた。
 1997年、朝日新聞は吉田氏の「著述を裏付ける証言は出ておらず、真意は確認できない」との記事を掲載した。が、訂正記事は出さなかった

 まとめると、吉田氏の著作、証言には裏付けはなく、吉田氏本人も創作を混ぜて書いたと述べている。朝日新聞は「真意は確認できない」と報道し、訂正記事は出していない。


 さてさて、ここまででもかなり長くなってしまっているので、これ以降に関してはご自分の目でご確認ください。吉田清治氏の書いた物語とそれに伴ったプロモーションを朝日新聞が報道した。その物語は従軍慰安婦問題の証拠として扱われた。ってことです。ちなみにこの吉田清治氏の記述も面白いのでついでに見てみてください。冒頭で吉田清治と名乗ると書いた理由です。なんかふんわりしてるので。
 どう感じるかはそれぞれの感性にお任せしますが、筆者は「余計な事しやがった」って感じております。慰安婦問題は現在でも「何かあると」取り上げられ、日本人は謝罪と補償求められてますから。


 続いて、
朝日新聞珊瑚礁記事捏造事件
 新聞の後に捏造とつくショッキングな事件名ですね。Wikipedia様よろしくお願いします。


朝日新聞珊瑚記事捏造事件(あさひしんぶんさんごきじねつぞうじけん)は、1989年(平成元年)に沖縄県西表島において、朝日新聞社のカメラマン・本田嘉郎が自作自演で珊瑚に落書きによる傷をつけ、その写真をもとに新聞記事を捏造した虚報事件である。落書きの文言「K・Y」を取って、KY事件とも呼ばれる。

 記事内容をWikipediaより引用

「サンゴ汚したK・Yってだれだ」
これは一体なんのつもりだろう。(中略)「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。(中略)日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。 にしても、一体「K・Y」ってだれだ。

 事件名とここまでの引用で「K・Y」が分かった方、近親に金田一家いたりとか、頭脳はオトナ、身体はコドモですか?
 引用続けます

しかし、地元の沖縄県竹富町ダイビング組合が「サンゴにこれまで傷は全くなかった、サンゴに書かれた落書きは、取材者によるものではないか」との抗議を寄せた。写真部員に電話をして直接問い質したが「そんなことするはずはない」と否定されたので、東京本社の代表番号に電話したが、窓口の人間と称する男性は「朝日に限ってそんなことはない」「文書にして出してくれ」と、まともに取り合わなかった。
この時期、石垣島では海を埋め立てる新空港建設計画(新石垣空港)が進行しており、事件が関係者を強く刺激したことを、共同通信社の新藤健一が指摘している。

 窓口の人間と称する男性は「朝日に限ってそんなことはない」って啖呵切ってますね。さすが朝日新聞。記事の捏造なんてクレームは受け付けてくれません。
さらに引用

朝日新聞社の対応
これに対して朝日新聞社は、5月15日夜に記者会見を行ったが、カメラマンの「こすっただけ」という釈明を信じ、会見でも突っぱねるような印象を与えて反発を買った。そして5月16日の朝刊で「撮影効果をあげるため、うっすらと残っていた部分をストロボの柄でこすった」とし、行き過ぎた報道があった点に関して、謝罪記事を掲載した。

 こすっただけ。こすったことは認め、行き過ぎた報道があった点に関して、謝罪記事を掲載した。重要なので強めに。行き過ぎた報道があった点以外は謝罪してないです。
引用

しかし、その後の継続的な調査を経て「カメラマンが無傷の状態であったサンゴに文字を刻み付けた」との判断を発表し、ようやく虚偽報道であったことを認め、5月20日の朝刊で再び謝罪した。

 はい、ウソでした。捏造記事でした。犯人当たってましたか?クソサスペンスでしたね。
最後の引用

なお、海洋写真家の中村庸夫によると、この事件の後の顛末は件のアザミサンゴの取材にマスメディアが殺到し、のべ百隻余りの船が取材したが、その際に錨を落としたことから、一年後には現場の周辺のサンゴが折られ、白い傷口を無残に晒し、周囲の珊瑚礁が傷だらけになってしまっていた。対照的に当時傷が元に戻るのに数十年かかると報道されていた被害珊瑚は傷が再生し、問題の文字が解らない状態になっていた。また事件で有名になったサンゴを見物するためにやってきたダイバーにより、周辺の珊瑚礁にスクーバ・タンクをぶつけられる被害なども出た

 胸糞悪くなる後日談付きでこの事件の紹介を終わります。


 マスメディア批判が続いてしまっているし、他の新聞社も捏造事件起こしているので(報道しない自由)(調べると面白いので近々ネタにします)、基本的に朝日新聞だけでなく他の新聞社も鵜呑みはダメですが、筆者が個人的に一番嫌い(表現の自由)なので記事にしました。


 独断と偏見を私見にし、空に向かって騒いでおります。2度目ですが、賛否両論求めておりません。引用元がWikipediaな時点で正しいかどうかなんてわかりません。ここはゴシップとエンターテイメントの場所なので。

批判コメントする際はぜひこちらも。