INDEPENDENCE DAY

  独立記念日でしたね。投稿するころには日付変わってしまっているでしょう。映画も大好きで何回も観ました。ウィル・スミスが好きなのと大統領の演説ですよね。太い葉巻が欲しくなるいい映画です。


 国の祝日って当たり前だけどそれぞれで、なんとなくその国のコトわかる気しませんか?あー、アメリカってやっぱフロンティアスピリッツ大切にしてんだーとか。日本って天皇誇ってんだなって思うんですよ。人類で唯一日本の祝日にまでなってる誕生日って天皇だけだし。シャカもキリストもバレンタインも祝日じゃないし。またそっち系の話し?と感づいた人大正解。今回は独立するために大事なモノ「教育」を取り上げます。知識は大切ですよね。一応言っておきますが、ココは知識ではなく、ゴシップです。


 日本教職員組合

Wikipediaより引用

日本教職員組合(にほんきょうしょくいんくみあい、略称:日教組(にっきょうそ)、英語:Japan Teachers' Union、略称:JTU)は、日本の教員・学校職員による労働組合の連合体である。教職員組合としては日本最大であり、日本労働組合総連合会(連合)、公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)、教育インターナショナル(EI)に加盟している。また、かつては旧社会党と共産党、2018年現在は立憲民主党および社会民主党の支持団体の一つであり、両党に組織内候補を輩出している。2016年秋時点の組織率は23.6%である。
 概説
現存する日本の教職員組合の中で最も歴史が古く、規模も結成以来一貫して日本最大の教職員組合である。日本国憲法や改正される前の教育基本法の精神を基本に、民主主義教育の推進と教職員の大同団結をめざすとしている。
 教職員の待遇改善、地位の向上、教職員定数の改善をはじめとする教育条件の整備などを主な目的として活動している。2007年の教育基本法改定、教員免許更新制導入に反対する運動など、教育課題に直接関係する活動のほか、政治的な活動も行っており、入学式や卒業式で国旗掲揚及び国歌斉唱を求める文部科学省の指導に対しては、様々な教職員に対する処分の実態などを背景にして「強制」であるとして批判的な立場をとる。
 日教組の政治活動が大きな問題となった例としては、日教組系の山梨県教職員組合による政治献金問題や、教職員組合の政治活動問題などがある。
 55年体制下では、他の総評系官公労と同じく、社会党を支持する有力労働組合の一つであったが、かつては共産党支持のグループも日教組に属し、共産党支持グループからなる反主流派が約3分の1の勢力を持っていた。1989年の労組再編で共産党支持グループの大多数が日教組を離脱し、全教を結成。日教組内の反主流派はごく一部を残すのみとなった。
 2018年現在では立憲民主党支持が中心であるが、岩手県、大分県など社会民主党を軸に支持するところや、広島県のように新社会党を支援するところもある。
 NGOであるEducation International(EI)に加盟している(EIには米国の全米教職員組合など世界のほとんどの教職員組合がメンバーである)。
 「国立・公立・私立の幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校、大学、高等専門学校、専修学校、各種学校などの教職員で構成する組合と、教育関連団体スタッフによる組合を単位組織とする連合体組織」と、自己規定している。現状では小学校、中学校、高等学校の教職員が組合員の大半を占めている。
 文部科学省が毎年10月1日に実施している教職員団体への加入状況調査や、厚生労働省が毎年6月30日に実施している労働組合基礎調査などから、日教組の加入者数が緩やかな減少傾向にあることが明らかになっている。

 学校の先生って何だと思います?勉強を教えることを生業とした人ですよね。勉強の目的も難しいですけど、いい大学行っていい会社行くための手段としてる人は多いんじゃないですかね?でもね、もうちょっと根っこの話しになります。何の疑いもない「当たり前」を学ぶことだと考えます。その教育がどんなものなのかって考えたコトありますか?中立で正しい事実、知識を公平に教えてくれるもの。はもちろん理想だよって話しになります。

 ここで先ほどの長ったらしい日教組の引用になります。
「かつては旧社会党と共産党、2018年現在は立憲民主党および社会民主党の支持団体の一つであり」とありますね。以前の記事で散々共産党や社会主義のコトを書いてきたのでいきなり大ピンチです。
 「2007年の教育基本法改定、教員免許更新制導入に反対する運動など、教育課題に直接関係する活動のほか、政治的な活動も行っており、入学式や卒業式で国旗掲揚及び国歌斉唱を求める文部科学省の指導に対しては、様々な教職員に対する処分の実態などを背景にして「強制」であるとして批判的な立場をとる。」
 ここで文部科学省の公式文章から引用を一つ

教職員等の選挙運動の禁止等について(通知)

 参議院議員の通常選挙が近く行われる予定ですが、公務員は、全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではなく、公共の利益のために勤務すべき職責があり、その政治的中立性を確保するとともに、行政の公正な運営の確保を図る必要があることは言うまでもありません。
 特に、教育公務員については、教育基本法等における教育の政治的中立性の原則に基づき、特定の政党の支持又は反対のために政治的活動等をすることは禁止されています。さらに、教育公務員の職務と責任の特殊性により、教育公務員特例法において、公立学校の教育公務員の政治的行為の制限は、国家公務員の例によることとされ、人事院規則で定められた政治的行為が禁止されています。また、公職選挙法においても、選挙運動等について特別の定めがなされているところです。

 ソース自体がWikipediaなので大声で叫ぶのはおかしいですが、文科省は政治的活動は禁止しています。公務員の全体の奉仕者って言葉の全体って日本のコトだと思うんだけど、違ったらごめんなさい。日本の税金から給料出てると思ってます。国歌、国旗の問題は以前かなり騒がれていましたよね。雲行き怪しくないですか?筆者的にはすでにザーザーです。そして共産と言ったらなんですか?そう、分裂ですよね。共産系の方は現在日教組にはほぼいません。やったね。なわけもなく、全教を結成しています。

全日本教職員組合

Wikipediaより引用

全日本教職員組合(ぜんにほんきょうしょくいんくみあい、英語:All Japan Teachers and Staff Union)は、日本における教職員組合の全国連合組織のひとつであり、全労連に加盟する団体である。略称は、全教(ぜんきょう)。
概説
1989年11月の日本労働組合総連合会(連合)結成に至る流れの中で、これに反発する単組が日本教職員組合(日教組)の中にも多数あった。これらの内、統一戦線推進労働組合懇談会(統一労組懇)の教職員部会に所属していた単組を中心として、日教組が連合加盟を決定した第68回定期大会(同年9月6 - 9日)をボイコット、日教組を事実上離脱して約2ヶ月後の11月17・18日、全日本教職員組合協議会を結成した。
 1991年3月6日、全日本教職員組合協議会と日本高等学校教職員組合(日高教左派、一橋派)との組織統一が行われた。
 加盟単組は、48組合であり、私立の教職員組合である、全国私立学校教職員組合連合(全国私教連)の加盟単組40組合を合わせると、88組合(2017年2月現在)の連合組織となっている。結成以来現在まで、日教組に次いで2番目の組織規模を持つ教職員組合である。3番目の組織としては全日教連がある。
 都道府県別に見ると、教職員組合の中で全教傘下の組織が最大の勢力を持つのは青森県、埼玉県、東京都、京都府、奈良県、和歌山県、島根県、高知県である。
 高等学校の教職員組合は、日本高等学校教職員組合(全教派、(日高教左派/一橋派))という別組織であったが、2014年3月31日に解散し、組織統合した。
日教組活動との違い
民主的教師論
「教え子を再び戦争に送るな、青年よ再び銃を取るな」を綱領に明記し、日本国憲法と教育基本法,児童の権利に関する条約に根ざした教育の推進、教職員の生活と権利、世界平和を主張していることは日教組と同様であるが、教師は「聖職者」でも、単純な「労働者」でもなく、「民主的教育労働者」であると定義する点が日教組との違いであるとされている。「教師は労働者であるとともに教育の専門家である」として、労働者としての立場と、国民全体と生徒のために働いているという立場を一体とのものとし、教師としての責任を全うしていこうという考え方である。
 綱領によれば原則的に組合員の政治活動は自由であり、特定政党の支持はしないことになっている。教職員の経済的、社会的、政治的な個々の政策ごとにそれぞれの政党等と政策合意することで各要求の実現をはかることとされている。日教組は組織内候補者として民主党や社民党の候補者を推薦し、組合活動として「選挙闘争」を行ってきた。全教はこのような活動を「特定政党支持」の誤りと考え、組合としての特定政党の支持は一切行っていない。ただし、実際には日本共産党と常に共同歩調を取り、事実上、共産党と支持協力関係を持っている。
 その他、日教組や他の教職員組合の労使協調的姿勢を批判し続けている。また、部落差別はもはや存在しないとして「同和教育」完全終結を主張し、現場で反対運動を展開していることも日教組と違う。日教組より、より左翼的とする意見もある。

 日教組は組織内候補者として民主党や社民党の候補者を推薦し、組合活動として「選挙闘争」を行ってきた。全教はこのような活動を「特定政党支持」の誤りと考え、組合としての特定政党の支持は一切行っていない。ただし、実際には日本共産党と常に共同歩調を取り、事実上、共産党と支持協力関係を持っている。ここだけ抜粋して終わりにします。もう、得意技ですな。実績が違う。

 で、日教組にさかのぼります。再びWikipediaより引用

歴史
第二次世界大戦後に日本を占領下に置いた連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)は、学校教育の改革政策として「民主化の一環」として1945年12月に教員組合の結成を指令した。既に11月には京都や徳島で教職員組合が結成されていた。12月には全日本教員組合(全教。翌年より「全日本教員組合協議会」)が、また翌年、教員組合全国同盟(教全連)が結成された。これら2つの組織に大学専門学校教職員組合協議会を加えて、組織を一本化する機運が生まれ、1947年(昭和22年)6月8日に奈良県高市郡(現在の橿原市)橿原神宮外苑で日本教職員組合の結成大会が開かれた。大会では、日教組の地位確立と教育の民主化、民主主義教育の推進を目指すと定めた3つの綱領を採択し、6・3制(小学校6年間・中学校3年間)完全実施・教育復興に向けての取り組みを開始するとした。
 1950年6月に北朝鮮が韓国に突如侵攻したことで朝鮮戦争が勃発し、連合国軍最高司令官のマッカーサーは警察予備隊(後の保安隊、現在の陸海空自衛隊)の創設を指令、再軍備に道を開き、日本を「反共の砦」と位置づけた。また日本政府も連合国軍による占領終了に伴う主権回復(1952年4月28日:日本国との平和条約発効)を前にして、「日の丸」「君が代」「道徳教育」の導入など、左翼陣営から戦前への「逆コース」といわれる教育政策を志向し始めた。戦後教育見直しや再軍備への動きの中で、日教組は、1951年1月に開いた中央委員会でスローガン「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」(=非武装中立)を採択し文部省(現・文部科学省)の方針に対立する運動を開始した。また、1951年11月10日、栃木県日光市で第1回全国教育研究大会(教育研究全国集会=全国教研の前身)を開き、毎年1回の教育研究集会を開催、現在に至っている。
 その後も、「教師の倫理綱領」を定めて新しい教員の姿を模索する一方、文部大臣(現在の文部科学大臣)と団体交渉を行ってきた。
 「教育の国家統制」や「能力主義教育政策」に反対する立場を取り、1956年(昭和31年)における教育委員会が住民による公選制から首長による任命制に移行することへの反対、1958年(昭和33年)における教員の勤務評定を実施することへの反対、1961年(昭和36年)における日本の全国統一学力テスト実施への反対、1965年(昭和40年)における「歴史教科書問題」をめぐる裁判(家永教科書裁判)の支援などを行った。
 また、同じく「教育の国家統制」に反対する立場から1950年(昭和25年)以降、国旗掲揚と国歌斉唱の強制に対して反対している(なお、この様な方針を掲げる教職員組合は世界では日本のみである)。
 国政においては、日教組の政治組織である日本民主教育政治連盟は、1956年の総選挙で日本社会党などから推薦候補20人(うち、日教組組織内候補13人)を当選させ、1956年の参院選では10人を当選させた。
 1970年代に入ると、日教組への右翼団体の妨害がエスカレートした。1971年7月22日から佐賀県嬉野町立体育館で行われた第39回定期大会の例では、会場周辺を700人の機動隊が警戒に当たっていたにもかかわらず、右翼側は前日から会場の天井裏に潜伏。大会の開会宣言に合わせて天井から消火剤をまき散らし、19人が逮捕される事件も起きた。次第に会場の確保は困難となり、利用を拒否される出来事も起きた。
 1974年の春闘では、本部委員長をはじめ21人が逮捕され、12都道府県13組合999か所が捜索を受けた。この事件を前後して教師のストライキ実施方法で日教組内で対立をもたらした。また、1980年代の労働戦線統一の論議で社会党系と共産党系が対立し、1989年11月には共産党支持グループが離脱して全日本教職員組合協議会(1991年以降全日本教職員組合、略称:全教)が結成された。こうして日教組を構成していた一部の組合員や単位労働組合(単組)が脱退した。
 1994年(平成6年)には、日本社会党の路線変更に伴い、それまで社会党を支持していた日本教職員組合も方針を変更し、文部省(現在の文部科学省)と協調路線をとることに決定し、文部省と和解した。2002年度(平成14年度)から翌年度にかけて施行された文部省告示の学習指導要領では、日本教職員組合がこれまでに取り組んできた「自主的なカリキュラムの編成」運動における「総合学習」の考え方に近いとも考えられる「総合的な学習の時間」が新設された。
 時代の変化とともに対立から協調へと変化しており、特に20世紀末から21世紀始めにかけては、日本教職員組合と文部科学省との長期の対立に終止符が打たれたのではないかという捉え方もされている。

 歴史の引用をしてしまうとどうしても長くなってしまいますね。気になったところだけピックアップします。

「教育の国家統制」や「能力主義教育政策」に反対する立場を取り、1956年(昭和31年)における教育委員会が住民による公選制から首長による任命制に移行することへの反対、1958年(昭和33年)における教員の勤務評定を実施することへの反対、1961年(昭和36年)における日本の全国統一学力テスト実施への反対、1965年(昭和40年)における「歴史教科書問題」をめぐる裁判(家永教科書裁判)の支援などを行った。

 なんか似てませんか?共産主義的考え方。共産党以外にもいっぱいあるって言ったでしょ?

また、同じく「教育の国家統制」に反対する立場から1950年(昭和25年)以降、国旗掲揚と国歌斉唱の強制に対して反対している(なお、この様な方針を掲げる教職員組合は世界では日本のみである)

 さっきも出てきた国家・国旗の問題。こんな記述がありました。Wikipediaより引用

日教組が公募して「君が代」に代わる国歌として1951年に選ばれた「緑の山河」である。

 なんか勝手なことやってます。割と本気で引いた。

時代の変化とともに対立から協調へと変化しており、特に20世紀末から21世紀始めにかけては、日本教職員組合と文部科学省との長期の対立に終止符が打たれたのではないかという捉え方もされている。

 らしいですよ。ちなみにさっきの文科省の文章の発行日令和元年6月3日となっております。Wikipediaの魑魅魍魎でしょうか?

 さらに日教組の関係した活動に関する論議より引用

教育基本法改定反対運動
2006年(平成18年)、安倍内閣は、「国を愛する心」や「日本の伝統尊重」を盛り込んだ教育基本法改正案を国会に提出した。日教組はこの法案に強く反対し、国会に教育基本法調査会を設けて慎重審議を求める署名運動を展開、200万筆を集めた。また、労働組合・市民団体と共に「教育基本法改悪ストップ!全国集会」とデモを繰り返し開催し、国会前での座り込みなどを行った。また、一部の組合員は、国会前での「ヒューマン・チェーン(人間の鎖)」その他の集会に参加した。この集会には全国の多数の組合員が参加したが、授業のある平日に行われていたため批判もあった。この点について日教組は、「集会に参加した組合員は年休を取り、他の教員に補講等を頼んでいる」と説明した。

 「国を愛する心」や「日本の伝統尊重」を盛り込んだ教育基本法改正案に日教組は日教組は強く反対。授業のある平日の「活動」にも参加。好きなように受け取ってください。

ゆとり教育の推進
日教組は、「ゆとり教育」の提唱者であるとされている。
1972年、日教組が「学校5日制」「ゆとりある教育」を提起。
2007年、安倍内閣でゆとり教育の見直しが着手されはじめたが、日教組は、「ゆとり教育を推進すべき」という考えを変えていない

 ゆとり世代は賛否で言ったら否が多い気がする。どうしたいか想像するの楽しいですよ。

 その他気になった記述もWikipediaより引用

自衛官や警察官への職業差別および、その子弟へのいじめ
佐々淳行は自著や産経新聞において、日教組組合員の教師が、警察官と自衛官の子供を立たせて「この子達の親は悪人です!」と吊し上げた事を記している。佐々は激怒してその教師を家庭訪問させたが、教師は反省の弁を述べるでもなく、自民党や自衛隊、警察を非難するばかりであった。業を煮やした佐々が、教育委員会に訴え出て免職させると言うと、教師は一転して土下座して謝罪し始め、「みんな日教組の指示によるもの」と述べたという。
 また、同紙社会部次長・大野敏明は、「自衛隊員の息子として教師から虐めを受け、登校拒否になった」と記している。同じく自衛官の息子だった友人は内申書の評価を下げられており、親の職業を言いたがらない者もいたと語っている。

 自衛官と警察官を目の敵にしてる勢力。なんか左側っから足音がする。

授業における思想・歴史認識の強制
2012年1月に開催された教研集会では、授業で原子力発電所の危険性を挙げた後、学科ごとに、原発に“賛成”か“反対”かを問う調査を実施した仙台市の高校における事例が報告された。調査の結果“反対”が少ない学科があったことについて、「教職員の授業における操作的射程は意外と成功しなかった」との報告もなされた。また、中学校の授業で「百人斬り競争」を歴史的事実として教えていることが報告された。これについて藤岡信勝は、中国のプロパガンダを教えている点で問題であり、学習指導要領にも反すると批判した。
 生徒らに「真理」とする組合教師の考えを強制しようとしてること、組合を避ける若い教師らには労働時間で組合に引きつけよう、放課後に質問にくる生徒へは憲法を理由に拒否すべきと述べていることに対して、週刊新潮は「ある見解を子どもたちに強制したら、労働者の権利をかざしてさっさと帰るように教師を導きたいらしい」と批判している。

 協調しましたが一番避けてほしかった「洗脳」を完全に試みてます。

日教組と北朝鮮
日教組は支持政党である日本社会党が朝鮮労働党との関係を強化した1970年代から北朝鮮との連帯を強調し、訪朝団の派遣を積極的に行い、北朝鮮の指導者を賛美してきた。
 指導者・幹部による北朝鮮礼賛
 1971年から1983年まで委員長だった槙枝元文は1972年4月の「金日成誕生60周年」に際して訪朝し、同国の教育制度を絶賛した。同年、元総評事務局長の岩井章も北朝鮮における思想教育について感銘を受けたと述べた。
 槙枝は、最も尊敬する人物として金日成をあげ、1991年(平成3年)には北朝鮮から親善勲章第1級を授与されている。日教組のトップとして「金正日総書記誕生六〇周年祝賀」に参加して、「わたしは訪朝して以降、『世界のなかで尊敬する人は誰ですか』と聞かれると、真っ先に金日成主席の名前をあげることにしています。(中略)主席に直接お会いして、朝鮮人民が心から敬愛し、父とあおぐにふさわしい人であることを確信したからでした」と述べている。

 もうお腹いっぱいです。むしろいさぎよいと思いますよ。


 さて、ながながと引用だらけの文章書いてきましたがいかがでしたか?毎度毎度ですが都合よく引用しています。自分が気持ちいいところだけです。全文読んだらまた見え方変わるかもしれませんよ。抜粋しきれてないんで。ぜひご自分の目でご確認ください。そして、別のソースも確認ください。ここはあくまでもゴシップです。

 最後に私見を。筆者中学生っくらいで勉強諦めました。強がるわけじゃないんですが、ついていけなくなったわけじゃないですよ。漠然と「これは教師になるためにやることだ」って思っちゃったんですよね。将来の夢にまったく出てこなかったし、なんか教師って苦手だったんですよ。悪い言い方しちゃうと世間知らずだと思ってました。教科書の中だけで生きてるって。今回の記事書いてて教師に対する嫌悪感の理由がちょっとわかりました。筆者山梨の出身なんですが、日教組の強いコト。いや、いい先生ももちろんいましたし、今でも飲んだりもしますけど、一部だったもので。

 それと今回の一番の大声ポイント。教師の教えってわりと価値観作っちゃうと思ってます。恩師の教えみたいなのよくききますよね。成功したのは~先生のおかげです。みたいな。そんな人に出会えたことが純粋にうらやましい。
 これは筆者の実体験です。その人は高校時代あるスポーツで全国大会に出るようなプレイヤーだったそうです。が、逃げ癖があるタイプの人でした。そしてよくこんなことを言っていました。「高校の先生が、『あなたは本気になったらダメ、少し手を抜いたほうがいい結果が出る』って言われてた。」と。仕事の同僚だったのですが確かにそんな感じで結果だしていましたが、人間的にクソめんどくさかったです。20代後半の人がずっとそんな感じだとけっこうダルいんですよね。美談で出てくる恩師はステキですが、言い訳に出てくるオトナはいろいろと邪魔でした。言うこと聞かないから。ま、都合よく使われてましたね。ドンマイ、先生。

 余談が過ぎましたが、教師が実はこんな感じなんだよってお話しでした。もちろん、右から見ているので偏見の塊ですけどね。そうそう、最近気づいたのですが、SNS等で政治的な発言したりしている人で中立とか言ってる人だいたい左説を唱えて文章締めさせていただきます。

 独断と偏見と気持ちいいWikipediaの記述を空に向かって騒いでおります。ぜひ真に受けずに。右側の人間のデマっくらいのスタンスで。賛否両論求めておりません。ゴシップです。

批判コメントする際はぜひこちらも。