ヘブル語コラム①「なぜキリストはイエスなのか」
キリスト教とヘブル語
キリスト教は新旧約聖書を聖典としていますが、旧約聖書はもちろん、新約聖書も、ヘブル語やユダヤ教の背景を知らなければ正しく理解することができません。
ユダヤ教の延長線上にキリスト教があるからです。
これについてはまた後日書くかもしれませんが、長くなるのでこの辺で。
そんなわけで、ちょこちょことヘブル語(ヘブライ語)の勉強をしており、その観点から見つけた色々な発見をコラムとして書いておこうかなと思いました。
というのも、インターネット上にはユダヤ教やヘブル語関連の記事をたくさん見つけることができますが、まさに玉石混交だからです。
中には聖書的に正しく解釈していて、とても参考になるサイトもありますが、トンデモ知識やオカルト的なことばかり書いているサイトも多く見られます。
キリスト教会の中でも、ヘブル語やユダヤ教について否定的な見方をする人もいるかもしれませんが、このような状況も背景となっているのではないかなと思います。
なので、このような状況を少しでも改善できれば、と思い、キリスト教会の牧師としてコラムを書いてみようと思いました。興味本位で聞きかじっているわけではなく、一人の主の僕(しもべ)として、日本宣教をヴィジョンとして頂いている者として、書いていきます。
さて、前置きが長くなりました。今回のテーマは「なぜキリストはイエスなのか」です。「なぜイエスがキリスト(油注がれた方、救い主、メシア)なのか」ということは多くの人が書いていますので、そちらにお譲りしたいと思います。
なぜ救い主は「イエス」という名前なのか
そんなもん、親が付けた名前だからしょうがないじゃん、と言われるかもしれませんが・・・。
イエスの名付け場面を聖書で見てみると、ルカによる福音書の1章30-31節にこう書かれています。
ということで、名付け主は神様のメッセンジャーである天使、つまりは父なる神様が名付け主であるということです。母マリアや父ヨセフが勝手につけた名前ではないんですね。
イエスという名前、ギリシア語ではイエスース、ヘブル語ではイェシュアです。モーセの後継者となってイスラエルの民をカナンの地に導いたのはヨシュアですが、彼と同じ名前です。翻訳の関係で表記が異なっていて、わかりにくいですが・・・。
名前の意味は、イェ(神)+シュア(救い)で、「神は救い」という意味です。
これを見ると、おー、まさに救い主にぴったりのいい名前じゃん、となりますが、それだけではありません。
ユダヤ教の三大祭りに、仮庵祭というものがあります。詳しくは別にまとめたいと思いますが、この仮庵祭の中で、水注ぎの儀式が行われます。
シロアムの池から金の器で水を汲み、エルサレム神殿の祭壇に注ぐというものです。この儀式は、イザヤ書12章を歌いながら行います。1-4節を見てみましょう。
3節「あなたたちは喜びのうちに/救いの泉から水を汲む。」はヘブル語で
ウシャブテム マイム ベッサソン ミィマイェネィ ハイェシュアー
です。(ヘブル文字載せられずすみません)
ウシャブテム=そしてあなたたちは必ずや汲むだろう(and you shall draw)
マイム=水を(water)
ベッサソン=喜びと共に(with joy)
ミィマイェネィ=泉から(from the springs)
ハイェシュアー=救いの(of salvation)
となります。
これはフォークダンスの定番曲「マイム・マイム」の歌にもなっています。
マイム・マイムの歌詞はこちら↓
歌詞の前半部がそのまんまイザヤ書12章3節ですね。
さて、イザヤ書12章3節と、「マイム・マイム」の歌詞をご覧になって気が付かれた方もいると思います。
救いの泉、というこのイザヤ書の言葉。ヘブル語で「ミィマイェネィ ハイェシュアー」です。
イェシュア、イエス・キリストの名前が出てますね!
つまり、救いの泉とはイエス・キリストのことです。
イエスのもとに行く者は、そこから決して涸れることのない水を汲むことができます!
ヨハネによる福音書に、イエスご自身がそのことについて語られた場面が二か所あります。一つはサマリアの女と話されている場面です。
そしてもう一つは、仮庵祭の最後の日に、立ち上がって人々の前で宣言された場面です。
イエス、という名前に意味がある。それだけでなく、イザヤ書に預言されている通りに成就する必要があった。そのために、マリアの子はイエス、と名付けられたのです。
ということで、「なぜキリストはイエスなのか」ということについて書いてみました。
ヘブル語で見なければ決してわからない、まだまだ未発掘の恵みが聖書の至る所に隠されています。少しずつご紹介していきたいと思います。
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