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このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない

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土地を購入して10年、構想10年。そして、2002年7月に東シナ海を見渡す山に全室露天風呂付き離れの温泉旅館『石山離宮 五足のくつ』をオープンすることができました。オープンするま…
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2014年11月の記事一覧

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その16.

その16.『浦安のラーメン屋』 とにかくもう一度、足元を見直す必要があった。 金融機関を説…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その15.

『増価主義』 城先生との契約期間は、過ぎた。 第一回目の記念すべき事業計画書は実現する…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その14.

『捨てられた事業計画書』 「北海道と沖縄に観光客が多いのは、なぜだかわかる?」 ホテル&…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その13.

『せどや』 南フランスのエズ村は、別名・鷹巣村と呼ばれている。 鷹の巣は、雛や卵を守る…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その12.

『時代の変化』 日本でも古くからの温泉地などへ行くと、 「よくこんな急峻なところにつくっ…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その11

『ポジターノの夢追い人 Mr.Carlo Cinque』 ナポリの空港に着いたのは、もう夜遅くだったが…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その10.

『幸運の女神』 私は、25歳くらいの頃、1987年頃から、 天草の下田温泉一帯で旅館建設用地を探し始めていた。 そして、29歳の4月頃であったと思う。 その土地に惹かれるように 私は歩いてこの土地にたどり着いた。 海を見渡す雑木山を何者かがすでに半分ほどを削っており、 また、その作業はかなり以前から放置されているようだった。 この土地を見た瞬間に私の心は波打った。 ここしかない、と思い、即、買うことを決めた。 その土地は、 地主と買主と土木工事請負人の三者でもめてい

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その9.

『Hideaway』 その頃、アメリカでは、 「Hideaway:ハイダウェイ」という言葉がもてはやされ…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その8.

『部屋から海が見えますか?』 「天草で一番の御馳走の自信あります」のコピーと、 その実践…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その7.

土地の力あれは、たしか二度目のリスボンだったと思う。 滞在していたメリディアンを朝早く出…

このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その6.

『サグレスの国民宿舎』 ポルトガルにはポサーダ、 スペインにはパラドールと呼ばれる国営の…