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宮戸と寒風沢を渡船でつなぐモニターツアー

ゴシュランの鈴木です。宮城は昨日も今日も秋晴れ☀お出かけ日和です。私はワクチン2回目の接種を終えて家でおとなしく、身体の様子を観察しています。今のところ変化はありません。引き続き静かにしてます。

昨日のこと、(株)インアウトバウンド仙台松島さま https://www.inoutbound.co.jp/ の地方創生事業の一環で東松島市宮戸と塩竈市寒風沢をつなぐモニターツアーのツアー造成と現地ガイドを担当させてもらいました。画像は東松島側をガイドしてくださったBUSHIの関口さんから共有させてもらいました。関口さんありがとうございます。

寒風澤桟橋に新しく看板が出来ましたが、そこには先祖の和泉守さんのお名前が入っていてとても嬉しく思いました。

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寒風沢は何度も歩いていますが、歩くたびに新たな気づきや発見があります。この土地を耕してきた人、この土地を守ってきた人、震災後もここで営みを続けている人、震災後ここに移住しチャレンジしている人などさまざまな人が寒風沢島に関わっています。これらの時期は特に寒いし沢に吹く風は冷たくて厳しい。ここにいることが瞑想状態(心が1点にとどまる)のように思える私は、この島の秘めた可能性ってこれから発揮されるような気がしてなりません。歴史、食、文化、癒し、スポーツ―リズム、なんでもできますね!企画者としては島・シマなので・・・・例えば島ラソン=シマラソン、とか島ー雀=シマージャン、とか寒風沢―=サブサワ―(砲台跡ちかくの柚子で作って欲しい)とか、寒風レ=サブレとか、ですかね😊

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(画像は寒風沢の中心をとおる一本道・ゴシュランでは勝手に寒風沢縦貫道=サブサワフリーウェイと呼んでいます。)

脱線してしまいましたが、本題に戻ります!

ツアーのタイトルでもある「渡船でつなぐ」ということで宮戸と寒風沢の関係性を調べてみると、
その昔
①宮戸と寒風沢の間に位置する鰐が淵に渡船が配置されていた。
②島民同士の交流が盛んで婚姻関係を結ぶケースがあり親戚関係が比較的多かった。

③はじめて世界一周した日本人は江戸時代、石巻米沢屋(廻船問屋)若宮丸の乗組員であった宮戸の儀兵衛さんと多十郎さんと寒風沢の左平さんと津太夫さんの4人。
④寒風沢にお寺があるにも関わらず、宮戸の観音寺を菩提寺とする寒風沢島民がいた。
⑤塩竃市営汽船は宮戸まで運航されており、塩竃、仙台方面に通勤通学で利用していたそう。(飲みにも行けたそう🍻)

⑥寒風沢と宮戸とは似た伝説がある。鰐が淵には大鰐鮫がいたそうでそういえば宮戸の小夜子姫は潜ヶ浦・・・鮫が浦も近かったなぁ〜

地元のお父さん、お母さんたちに聞いたらもっといろいろ出て来るのでしょうが、今よりも島同士人同士が密接な関係にあったようです。

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(画像の向こうに見えるのは船入島です。お宝伝説があった島ですが、怖い伝説も残っています💦)

現在、宮戸から寒風沢に行く場合、車で松島、利府のR45を経由し、塩竃のマリンゲートから市営汽船に乗って約1時間30~40分要します。実際に駐車場に入れたり、切符をかったり船着き場への移動を含めると1時間40~50分くらいでしょうか!今日は鰐が淵から寒風沢側に船で移動したので3分もかからなかったと思います。近いようで遠い宮戸と寒風沢。80メートル離れた双方の島の風景を丸1日で楽しめた今日、いつか皆さんにも体験していただけるようにコツコツと歩く文化を広めていきたいと思っています。

インアウトバウンド仙台松島の皆さん、行政職員のHさん、ガイドの関口さん、大変お世話になりました。ありがとうございました!

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追記☆鰐が淵を渡ってる宮戸側に上陸した地図。きっと鰐が淵で別れるのが寂しくなって一緒になった人もいただろうし、向こう岸からお互いに会話もしただろうし、近くても遠いところに魅力を感じます。

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寒風澤側に着岸している渡船。80メートルは宮戸。この距離感がなんともたまらない魅力なのでした。ここ水深が深いそうでくれぐれも泳がないように😊(誰も泳がないと思いますが)

ゴシュラン 鈴木フェイスブック https://www.facebook.com/yumiko.suzuki.shanti

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