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作り置きをしない理由 その1 「資材と鮮度」



これだけ。
私が手掛ける御朱印帳のメインとなる資材の「総称」。
並べてみれば、こんなにシンプルで単純明快な響き。
だが、
実際はそうでもない、という事が「全うなレベルで分かってきた」のは、
1500日以上の時間、これらとひたすら向き合い続けた末の事。
地味ではあるが予想以上に奥深い。

もしかすると、
以下述べる事は、何事においても共通して当てはまる事かもしれない。
しかし、それについては、
「私のものづくりの世界で言える事」に限定したいと思う。

「知識を握って、論じ、想像したり憶測を並べる」
いう事と、

「実際の体験を通し、経験から得たものを並べる」
という事は、全く異なる気がする。

経験は知識としても蓄積されて行く一方、
経験は「感覚」にも変わり、イコール「分かってきた」に定着していく。
この度の表題に至った経緯がこれだ。

ある時から
作品は作り置きをしない
と決めた。

それは何故か。

スピードや効率、利便性辺りの面を考えた時には、
作り置きは貢献する。
作品の種類問わずだ。

しかしどの様な物を手掛けるにせよ、
私にはどうしてもそれら以上に重要視したい
大切なコンセプトがある。

それは「鮮度」。
作品の鮮度。

冒頭で作品の資材となるものの総称、



と並べた。
そう、重複するが単純明快な響き。

しかし、これまでに
幾通りの織物に触れ
その性質の違いを体験し、

紙の繊細さをどれ程見せられ、

また
布や紙の生死を分ける事となる
糊の使い分けに奮闘したことだろうか。

これらの資材は、


気温
水分
湿度

薬品
など、
言い換えれば、
「製作環境」と「加わってくる条件」にことごとく
反応を示し、形も状態も変える。非常に繊細。

だから「鮮度」。

毎作品の資材の反応や形・状態を
作業の初めから最後まで全て最大限に監視したい。
そして作品は「仕上げたて」をお届けしたい、
それが「鮮度」というコンセプト。

私は繊維や織物の専門家でもなければ、
紙加工の専門家でもなく、
糊を生成できる知識もない。
しかし、
織物御朱印帳を作り続ける者として
扱うこれら全ての資材がどれ程奥深く、複雑で、デリケートなものであるか、
という事を「全うなレベルで分かって来た」、そう感じる。

この回では多くを語る事にはならないが、
糸が生成されるまで
糸が織物という形になるまで
和紙が出来上がるまで
和紙が奉書紙という形になるまで
それぞれの資材が資材として出来上がるまで・・・
これもまた長い道のり、工程、そして奥深いあれこれ。

この部分までを漏れなく考慮し、完成したハンドメイド作品を目の前にする時、
一体どれだけの人の手の働きがここに詰まっているのだろうか、と感動を覚える。
その一つ一つの資材がとても大切で尊いものであり、感謝の心で使わせて頂き、その集大成が自身の作品として誕生する。なんとありがたい。

だから
やはり作り置きはしない。
一つ一つの資材を作品の美しい素材として最高な状態で生かしたい。
「鮮度」である。