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キャンディーボックスと飴ちゃん!

机の上に灰皿がなくなって、なんとなく殺風景になってしまった。
そこで、キャンディーボックスを置こうと考えました。

飴ちゃん

関西のおばちゃんのイメージというとヒョウ柄の服に飴ちゃんをいつも持っているというイメージがあるようです。

なぜ? 飴に“ちゃん”をつけるかというと“雨”と区別するため。
もともと関西では食べ物にお豆さんというように“さん”をつけるから。
という話もありますが、コミュニケーションのツールと言えます。

それは昔からで少なくとも60年前、祖母とバスに乗ると酢昆布とパインアメを渡されました。

また無方庵の綿貫先生のお家に行くと、テーブルの上にキャンディーボックスがおいてあり、話の合間に飴ちゃんを進めてくれていました。

ずいぶん前に先生とロンドンに行ったとき、骨董屋街でガラス製のビスケット入れを見つけて買ってきました。その時は飴ちゃんでなく、金平糖の原型のポルトガルの砂糖菓子を入れて御所坊の待合に置いていました。

ところが、小さな子供さんに割られてしまった!すごく残念な思いをしたことがあります。

粋やなあ!

ある会議の会場。けっこう高級な場所だったと思いますが、場所は覚えていないのですが、グラスに注がれた水の横に飴ちゃんが2粒ほど置かれていました。

それはのど飴で、たぶん冬場だったから会議の時に発言しやすいようにという事の配慮だと思いました。というのは飴ちゃんの包み紙がその場所のオリジナルだったからです。

さすがだな! 粋やな~あ! と思いました。

そしていつか御所坊のオリジナルの飴ちゃんをつくりたいと考えていました。

キャンディーボックス考

夏に鍛鉄作家の高橋正治さんに「キャンディーボックスを作ってよ!」とお願いしました。

大きさは炭酸せんべいの一番小さい丸缶ぐらい。中身が少し見えるようにガラスを使ってほしい。

そしてある日、写真が送られてきました。

それからしばらくして、3つ送られてきました。
さっそくお礼の電話をかけると「どう?」と聞かれたので、もう少し取っ手を重厚感のあるようにしてほしいと注文を出しました。

そしてキャンディーボックスが出来上がりました。

御所坊オリジナル飴ちゃん!

御所坊のなじみのお客様の中で飴ちゃんを製造されている方がいるので、そこにお願いしたいと考えた。
その会社のサイトをみてどんな種類があるのか見た中で、“辛い生姜飴”が目についた。

縁があり、天橋立の宮津の生姜を使っている。だからその生姜を使えばよいやんと考えて社長に直接お願いをしました。

試行錯誤の上、ええやん!という飴が出来上がってきました。
ご賞味ください!

改めて 飴とは

日本書紀に舒明天皇が有馬に来られたのは631年ですが、日本書記が編纂されたのは720年。その当時には飴が存在していた。

延喜式にも「京都で飴屋が出来た」と記載されており、鎌倉時代には行商の飴売りも存在していたようです。

あるテレビ番組で、日本の5大都市でおばちゃんが飴を持っているかどうかを調査した結果、東京では9%だったのが、大阪では84%のおばちゃんが飴を持っていたそうです。

飴ちゃんと「ちゃん」を付けるのは飴さんよりも親しみがあり、コミュニケーションのツールで使用するには「ちゃん」が付く方が親しみを持てるからだそうです。

そして大阪に飴を製造する会社が多いのは、江戸時代国内外の砂糖が大阪に集まり全国に出荷されていたからだそうです。
最盛期には堺筋だけで200軒の業者があったそうです。





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