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「ヤクザと家族 The Family 」を見て

映画「ヤクザと家族 The Family」を見た。
社会が変容していく中で、義理人情によって生きるとはいかなることかを問う映画である。

主人公山本賢治は、父のようになりたくない思いと一人である孤独を抱えていた。父のようになりたくない思いとは、父の人生を狂わせた覚醒剤とそれに関係するヤクザに関わりたくない思いだ。また、家族がいない孤独を感じていた。そこに、覚醒剤には関わらない、義理人情を大切にする柴咲組が山本を受け入れるかたちで救ったのだ。
義理人情で生きるとはどういうことか。義理人情の関係は、家族のような絶対的な関係と言える。彼らにとって、義理を守らないということは、誇張ではなく、死ぬことと同じなのだ。それを守るためには、社会のルールや法などは関係しない。それを守った山本は殺人により刑務所に入ってしまう。
義理人情に反く生き方とはどのようなものか。それは、金を稼ぐことだろうか、生産性や損得勘定から裏切りを行う生き方だろうか。この映画を見てしまうと、後者の生き方が軽薄で空虚なものに思えてくる。しかし、社会が変容すれば、それを生き抜く方法も変わってしまう。現在に生きる私は、そのようにしか生きることができないのか。そして、刑務所から戻ってきた山本には、もう、居る場所はなくなっていた。
山本は、義理人情によって生き延びることができ、また、それによって死んだ。そのようにしか、生きることができなかった。その人生を山本自身がどのように考えるかについては、最期の海に沈むシーンの山本の目が表している。
この映画は、決して、こんな社会が悪いとか、義理人情を大切にしましょうといったことを伝えたいのではないと思う。今や、関係が終わることが死と等価になるような絶対的な関係は少なくなっている。そんなときに、そのような関係を描くことに価値があり、私はそれに心を揺さぶられた。

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