地伝#32 ◼️2006年 THE BIGGEST CAMP
走馬党のアルバムに収録しているTHE BIGGEST CAMP という曲がある。
これはQが企画していた日本で最大のヒップホップフェスの名前で、8月に長島スパーランドの野外会場、そして武道館での公演が予定されていた。
そのタイトル曲を走馬党で作ったのだ。
しかし、レコーディングの真っ只中に武道館の公演中止の連絡があった。興行主が突然の撤退。
スタジオにいたQの携帯電話はひっきりなしになり続けていて一日中対応していた。厳しい言葉を投げかけられたりもしただろう。
何よりさんピンCAMPを超えるような伝説のイベントにしたいと言っていた本人が相当ショックだったはずだ。
そんな状況の中でもQは走馬党のアルバムだけではなく同時にガリヤのアルバムまで仕上げてしまう。なんてタフなんだろうか。
さすがに少し疲れているようには見えたが、人のせいにしたり言い訳したりせずに正面から問題に向き合っていた。
僕は今でも何か問題や失敗があったときにはこの時のQを思い出して自分を奮い立たせている。
長島スパーランドの野外公演は予定通り開催された。
施設の大広間が控え室になっていて、広い和室には雷やUBGの大所帯から出演者や関係者まで100人近くいた。クルーごとに車座でライブ開始まで談笑している。ヒップホップのスター達が大集結。宴会するような畳の部屋に。すごい光景だった。
ユーザロックは最近買ったガジェットやジュエリーを畳に広げてお披露目している。
D.Oはニコニコしながら各出演者達に挨拶回りをしていて走馬党のところにも来てくれていた。気配りのできる人なんだと意外に思った。
ステージではAK69のライブが始まり続いてブレイク前のアナーキーもステージに立っている。
走馬党の面々と施設内の廊下を歩いていたらリュウゾウ率いるR軍団とすれ違った。2年ほど連絡を取ってないだけなのに、すごく距離感があるような変な感じだったな。
東京公演は中止になった代わりに無料ライブが代官山UNITで開催された。当然すごい人の数だった。
Qと飯を食べてるときに言われたセリフをたまに思い出す。僕があまり精力的にDJをしなくなった頃だ。
ヒップホップは死ぬ気でやらないと。
そんな奴ばっかりなんだから。
それでも生き残れるのは一握りなんだ。
多くのラッパー達と相対しているQからの言葉には説得力があった。
しかし、その言葉の通り結局僕は数年後に現役ではなくなっていた。
理由はギャングスタラップが主流になったのが、面白くないからだった。
走馬党CDの撮影時にインデモラルでオフショット。好きな写真。
Blastのインタビュー
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?