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地伝#2 ◾️1992年 DJ GOSSY 誕生

イベントや路上でダンスを披露する機会も増えたのだが、僕らのダンスチームは誰もターンテーブルを持っていなかった。なのでショーの音源は木屋町のBARで働いている知り合いの人にいつも頼んでいた。

頼んでおいて申し訳ないが、なんかダサいというか東京やNYで流行っているようなセンスを感じなかった。京都のダンスシーンで名声を勝ち取るためには音源にもこだわる必要があった。

僕は17歳にしてタコ焼きやストリートのバイトをしていたから仲間内では一番金を持っていた。「ゴトウ、お前がDJやれ」と命じられた。なかなか上達しないダンスの練習も飽きてきていたのでちょうど良いタイミングだった。速攻でターンテーブルと20枚くらいのレコードを買った。レコードは京都のタワレコでレッドマンやホームチーム、TLCの新譜をジャケ買いした。

ダンサーとしてLB'sとZHIGGEは当然おさえていた。 

DJネームを考えようという話になった。当時の関西で有名だったのはGM YOSHIさん。ファンではなかったが、何故か名前を拝借しゴッシーという名を思いつき、DJ GOSSYが誕生したのであった。その後、深みを持たせるために名前の由来を後付けで色々と考えてみたけど、全く浮かばなかった。

仲間内で一番年下だけどDJとして使える奴になった僕の地位は一気に上がった。車移動のトランクは2個年上のカジやんに引き継がれた。

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写真右:ヘンなポーズをキメているのがカジやんだ。
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手前の金髪が僕で奥の金髪がカジやん。

ちなみに、この時あたりに八千代会館の公園でラーク(チルアウト)さんに出会った。ダンスの練習をしていたら向こうから声をかけてきた。ただそれだけなんだけど、何故か覚えている。


1992年の重要な出来事としてはAlive TVだろう。ダビングされまくったビデオテープで顔すらも認識できないようなレベルの映像を先輩の家で観させてもらっていた。

初めて東京に行ったのもこの頃で六本木のJ TRIP BARに遊びに行った。開店直後に入店しDJ BEATさんが若手のDJに2枚使いを教えている姿を見る事ができた。深い時間にはZOOのNAOYAさんがバスケットボールを片手に現れてCLUB DADAで観て(これも擦り切れビデオ)憧れていた東京がここにあった。

東京はカッコいい!オシャレで遊び方がクール!京都の保守的な文化で育った僕の人生を大きく変える体験だった。

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しっかりとZOOに影響を受けているのがわかる金髪ドレッド。後ろが村野君。隣の可愛いお姉さんは誰だか覚えていないがたまに居た。

※追記

ラークさんからTwitterでコメントを頂いた。そんなふうに思ってたんですね!

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