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実写化、アニメ化。多方向展開について思うところあり:寝る前の備忘録

先日「ぐらんぶる」の実写化をみて、今日は「映像研には手を出すな」の実写映画を見てきた豪雪婦人です。

あれ両方とも英勉監督で、高嶋政宏と鈴之助が出ていることでなんだかんだ共通点があるんですよね。余談ですが。

さて、そんな実写化を見て原作との解離であったり共通点であったりを感じた日々ではありましたが、その感じたところを軽くまとめていきたいと思います。

原作が先か、実写化が先か

原作を知っているものからすれば、実写化というのは、原作を表現する手法として実写化が行われて欲しいという思いが少なからずあろうかと思います。

例えば、実写化をしたときに原作の再現度がどうのこうの、というふうになるのはこういったところだと思います。配役などで原作のキャラに似た出演者が出ているかどうか、そういったところにも通じるかと思うしだいです。


もちろん、そういったところで満足させてくれる作品もある中で、逆の実写化もあるのではないかと思うことがあります。

つまり、映画を作るときに、ストーリーを参考にするために漫画の原作などを用いるものです。

叩かれた実写化などは、そういうものも含まれているのではないかと感じます。というのは、原作を知るものとしては、原作の変化した先の姿がみたいのに、蓋を開けると実写映画の箱の中に、それを支えるために原作が当てられているような。

どちらかが悪という話ではなく、そんなイメージがあるというような話です。

『DINER』という作品

漫画の実写化ではないですが、少し前に話題になった藤原竜也主演の映画『DINER』を例に少し補足したいと思います。

この作品は詳細を省きますが、あるダイナー「キャンティーン」を運営するボンベロという男と、とある理由でそこにウェイターとして働くオオバカナコという女性の話です。そして登場人物のほとんどが殺し屋であり、そこでの日常は想像を絶するもの・・・というような話です。気になる方は調べてね。


ところで、この『DINER』という作品は実写映画以外にも小説版、漫画版、そしてかつてラジオドラマ版というのがあったそうなのですが、今日は小説版、漫画版で比較します。映画版はみていないので(グロいのがダメで)割愛します。

が、漫画版と小説版でもかなり内容が違います。

両方、同じオムニバス形式ではありますが、登場人物がどんな事件を起こすか、あるいはどんな死に方をするかまで全然違います。

例えば、小説版では命を落とした青年が、漫画版だと死んだと思ったら仲間として力を貸してくれる・・・なんていうシーンがありました。なんとも少年漫画チックですよね。


そうなんです。漫画チックなんです。


それぞれのメディアごとに見る人が異なるということ。それは求められる話も変わるということだろうと思います。なので、同じ『DINER』でも、もっと言えば、映像化していなくても、ここまでの違いが生まれるわけです。

これが前項の前者後者どちらに当てはまるかは置いておいて、見る人が違うと同じ作品のはずなのに話が変わって正直当たり前なんですよね。

ところで、実写映画化の話に戻りますが、そのメインターゲットって誰なんでしょうか。もしそれが原作のファンでなく「映画が好きな人」だとしたら、必然的に「原作の再現」ではなく「映画を作るのに原作を参考にする」というような図になるのではないでしょうか。


そして後者は原作ファンに叩かれるわけですね。


まとめ

原作のファンが怒るのは、期待を裏切られたからなんですよ。おそらく。そして期待しているのは原作が別の形になっている「だけ」のものなんですよね。

ただし供給される映画の中には、映画のために原作が曲げられるようなことも少なくないです。それが一定を越えると、期待が裏切られたとなるわけです。


どちらが良い悪いではないです。ただ、どっちの性質に重きを置くか、それに尽きるんではないか。そんなふうに感じるこの頃です。


それでは今日ももう寝ますね。


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