パノプティコンを押し通せ
一般論的に考察して出口のないトンネルを通ろうなんて人間は最初(ハナ)からいないだろう。
御多分に洩れず僕も、自己啓発書を読み漁り、自己肯定感を二次曲線的に高めに高めた上で、ITでのし上がってやろうという、夢と野望という名の「妄想」を膨らませ、鼻の下を想像以上に伸ばし切った状態で東京に来た、否、「上京」してきた中二病継続中の身だった。
ナポレオン・ヒルのおっちゃんよ、今に見ていろ。不屈の精神力で、いわゆるシンデレラストーリーとやらを演出し得る「時代の寵児」とやらになってやるよ。
古いしダサい。
今振り返ればこのダサさは想定の範囲「外」だ。
そして痛い。
どうかしていたんだ、あの頃は。
輝かしい日々の、悲しい記憶。
いくら大金をはたいても、フォーブズに掲載される億万長者でさえも、買うことのできない、20代という取り戻すことのできない、最強かつ人類のモラトリアム期間。
国立大学工学部を卒業してから、人と違うことをしたいと意気込む思考の浅はかな1人の少年は、同級生の6割が大学院に進み、その他ほとんどがメーカーへ就職する中、何を血迷ったのか、その大学の地元で健康食品を通信販売で売るような掃いて捨てるほどにありきたりな中小零細企業に入社した。
大学時代にアルバイトでこの会社に関わってからというものの、いたく社長に気に入られ、まぁ普通にメーカーに就職するようなレールの上を進んでいくような先が見通せる人生を歩むくらいならこちらの選択肢も悪くないかぁ、という浅薄な「血迷い」の元に入社した。
「営業の神様」や「なぜハーバードビジネススクールでは営業を教えないのか」など、営業の仕事にまつわるビジネス本から影響を受けたことは確かだ。
よく言えば思考の柔軟でどんな価値観も吸収し得る土台があり、悪く言えば何にでも染まり自分の信念がないカメレオン的なワカモンが考えることである。
日々、やることは決まっている。
ひたすら個人宅に電話をかけ続け、ひたすら健康食品を売り込むという、狩猟型で耳と口が付いていて日本語がある程度滞りなく喋れて、一定のコミュニケーションが出来るような人材であれば誰もが出来るようなものだ。
対象は、健康食品なだけに高齢者。
とりわけ、50代〜70代前半までの女性。
70代後半から80代を超えてくると、こちらの売り文句を理解しているのか、はたまた会話が成立しているのか分からないような方もおり、その方の家族からのクレームもあったりするので売り込みはNGだ。
主婦を得意とする、若干メンヘラ気味のブヨブヨ精神の僕は、それでいて上手く電話越しのお母さんの懐に入り込み、巧みに売り込んで実績を増やしていった。
来る日も来る日も電話電話。
雨の日も風の日も。
業務はシンプル極まりないものだった。
毎日毎日続けていれば当然、マンネリ化し、日々の業務が形骸化してくる。
単調な仕事に生きた息吹を吹き込むことができるのは、自分次第だと今になったら分かる。
しかし、当時の僕には単調な日々の単調な業務に嫌気がさし、転職を考え始めた。
元々、転職に転職を重ねて最終的には独立をしようと企んではいた。
ちょうどその時期に差し掛かったんだなと都合よく自分の立場を正当化した。
タイミングよく今度は社長同士の繋がりで、北関東へ越してきた。
その健康食品の会社の社長から紹介された北関東でら事業をする社長の新しい事業に興味を持った。是非とも手を貸してくれないかと言われた。
君の手が必要なんだ。
求められれば舞い上がる蝶のように、感情が浮き足立つクセのある僕はすぐに意気投合、快く承諾した。
そして「新規事業」、「スタートアップ」、「ベンチャー」などのワードに目がない思考停止系少年は、米粒にパクパクと群がるどこでも釣れそうな魚の如く、パクッとワードに引っ掛かかり、釣られて関東へやってきた。
新規事業とは、ウォーターサーバー事業の運営であった。
今では一般家庭にもかなり普及したウォーターサーバー。
競合他社もかなり増え、地方のショッピングモールに行けばいつでもキャンペーンと銘打ち、ボトル1本サービスしますと営業スマイルのお兄さん、お姉さんが素敵な口八丁手八丁で売り込みを仕掛けてくる。
当時、ウォーターサーバーといえばまだ一般家庭にはまだほとんど普及しておらず、それが目につく場所といえば、歯医者さんや高級住宅のマダム用、オフィスなどが主流だった。
新規事業のウォーターサーバーの営業をやり、稼ぎまくっていた僕。
「稼ぎまくっていた」にも語弊がある。「稼ぎまくっていた」と今だに自己を演出している僕は3人1部屋の社宅で同期3人と暮らしていた。
20代半ばのあの頃はキラキラしていた(と思う)。
そしてギラギラもしていた。
4月期の研修を終え、6月までの実績で20人中トップに躍り出る。
実際、飛び込みは得意であった。
マニュアルは熟読し、ロープレは完璧なまでにやり込み、それでいて何度も何度も否定されながらこの商材を必要とするお客様に出会うまで諦めない。
そうやってマジで営業時間ギリギリの最後の一軒までピンポンピンポンと押しまくる。
すると絶対いるのだ。
もう必ずと言ってニーズのあるお客様はいるのだ。
1日の営業をやり切ると、決まって達成感に酔いしれ、営業事務所へ向かう営業車の中でYouTubeの音楽をかけながら、
「今日もやり切ったなぁ」と、1日の飛び込み営業の成果や、エリアで出会ったお客様との会話を思い出す。
そんな日が続き、成果は出すがある程度日が経つとやはり飽きっぽい気性が災いしてか、この飛び込み営業もやりたくなくなったのた。
営業の仕事も続けながら、本も欠かさずに読む習慣をつけていた。
毎日せっせと夜や昼休みの営業車の中など、スキマ時間を見つけては自己啓発本や営業本、ビジネス本を取っ替え引っ替え読み漁っていた。
バカの一つ覚えのように。
そんなことを繰り返しているうちに、人は気づくものだ。
この飛び込み営業って、お金稼ぐっていう側面から言うと割に合わないんじゃないか。
そんな疑問がよぎってからと言うものの、お金を稼ぐとはどう言うものか、どうやったら本当に短時間で最大の効果を出せるのか、手っ取り早く稼げるのはどんなものがあるのかなど色々と情報を調べたりして出会したものがある。
「ネットビジネス」だ。
10年ほど前から巷で一気に流行り出した情報ビジネス。
有名どころの起業家も参戦したりして、メディアからも注目されたりした。
電車の宙吊り広告もハックされ、キャッチーなタイトルが目を引いた。
一般的な感覚なら、そんな簡単にお金が稼げるわけがないと思うのだろう。
だが、そこは思考浅い系の中二病夢みがちなワカモノの本領発揮するポイントだ。
僕の中で心の中の何かが、小さく、しかし確かな音を立てて弾けた。
これだ。
「俺も秒速で数億稼ぎてぇー」
それだけだ。
目的も何もない。
ただ、甘い蜜に吸い寄せられ、心理学を駆使したマーケティングに踊らされ、飼い慣らされ、言いくるめられた1人の現金出力マシーンが誕生しつつあった。
早速、僕は情報コンテンツの中で面白そうなものを選んで購入することに決めた。
それは僕よりも5つも若い20歳の男がローンチを組んだものだった。
結果から言うと、してやられた。
沖仲士の哲学者であるエリック・ホッファーは希望と勇気の違いについて言及している。
希望は挫かれやすいが、勇気は心の中に留まり長続きする傾向にある、と言うような内容だったと思う。
当時の僕は、キラキラ木漏れ日が溢れるような溢れんばかりの希望を心の中に抱いていた。
こういう心理的状態というのは搾取されやすいのかもしれない。
希望的観測はややもすると、否、往々にして見当違いな着地点に不時着するようだ。
希望の不時着であり、そこから絶望が屹立する。
禍々しい状況に陥るほのかな香りはその当時からしていたのかもしれない。
情報商材を購入してからと言うものの、僕は仕事終わりの夜の時間と早朝の時間を、自分が稼ぐことに費やした。
時間を費やして費やして費やした。
結果から言うと、成果は出ることはなかった。と言うか、その時間を費やせば費やすほどに、何か心の中に虚しく儚い、負の賢者タイムのような感情が訪れるのだ。
俺は何してるんだろぉ。
何でこんなことやってるんだろぉ。
何でこんなに焦っているのか、焦らされているのか。
結局、お金を稼いだところでそれは手段であるはずだ。それを目的にしたら人生キリがない。
じゃあ何でそんなことをやっているのかと、今度は自問自答する日々が続いた。
就職もそうだ。
他の人が通らないような、アッと驚くような仕事がしてみたい。
何か自分を特別な存在たらしめる根拠が欲しかったのかもしれない。
それを外部の要因に求めたのだ。
だが、それをして自分の心は満たされるのか。
虚しいだけじゃないのか。
結局、カッコ悪く端的で稚拙な結論に収斂された。
認められたかったんだ。
僕は、誰かから認められたかっただけなんだと気づいたのだ。
すごいね、と言われたかっただけなのだ。
じゃあもし本当に、お金を稼いでそれなりの地位にエスカレーター式に上り詰めていくことができたとして、それでも周りが自分を認めてくれなかったらお前はどうすると自問した。
答えは、「もっと頑張るしかない」だったのだ。
僕は無理ゲーをやっていた。
周りの目を気にし、期待の中に押し込められ、求められる「役割」を無意識に強制的に演じていたのかもしれない。
しょうがない側面も勿論ある。
仕事をするとは、取引先の期待に応えることなのだから。
そして期待値を少しでも上回れば喜ばれるし、その仕事が次の仕事に繋がったりする。
しかし、もっと深いところでの期待に応えたいと言う、認められたいと言う自己承認欲求は時として人を破滅に陥れるのかもしれない。
マクベスがそうだったじゃないか。
規模の大小がかなり違えど、僕はマクベスの下位互換じゃないのか。
ミシェルフーコーのパノプティコンみたく、誰がいるかもわからないのに誰かに監視され、「期待」や「周りの目」という大リーグ強制ギプスをあてがわれ、必死で数をこなして規律を守っている。
しかも、無意識にだ。
潜在的にポピュリズムを演じるほど、そして演じ続けるほど人生の大切な時間というのはそう長くはない。
それに気づいた時に、虚しさと切なさと、微かな自分への愛しさに感情が苛まれた。
認められなくても、それでも生きていかないといけない。
この時点で、僕は生まれ変わったのかもしれない。
第二の性だ。
男としてというより、本来の本質的な自分として。
踊らされる自分ではなく、実地の、言わば地に足のついた確かな感覚としての自分を。
それを悟った時点で今までの経緯は無駄ではなかったと思いたい。
そして仕事は続いていくし、人生は続いていく。
それからもう一つ、考える。
大切な時間、人生とは早くそれに気づいた者勝ちなのかもしれないと。
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