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「ひかりみちるしじま」(15ー最終回)

 1970年2月、突然予告なく現れた母との一夜が明けた。9時前に私が目覚めると、暖房設備のない部屋はすっかり冷え込んでいた。毛布1枚にくるまって寝たはずの私に昨夜母に提供した掛け布団が掛けられていた。
 母はもう起きて服を着替えており、敷布団は畳んで部屋の隅に片付けてあった。確か、昨夜は午前2時頃まで横になったまま話をしていた。その内、私は実家の夢を見ながら眠りに落ちていった。せせこましい自分の部屋で、母の目と耳を掠めながら高校時代の悪友と父の日本酒を盗み飲みした夢だった。

「寝られたか?」
 私が訊ねると、母は柔らかい笑顔を向けて言った。
「うん、でも、この部屋寒いわあ。目が覚めてあんたを見たら、あんまり寒そうやったから、私は起きて、あんたに掛け布団かけたんよ」
「ええ、そうか、そらすんまへん。今年の2月は一段と寒いからなあ」
「大阪の方が、広島より絶対寒いわ」
 確かに私は少し喉が痛んだし、なんとなく体がだるかった。風邪のひきはじめかもしれないと思った。でも、そのことは母に感じとらせないように努めた。顔を洗うにしても、トイレに行くにしても、いつもよりキビキビと動くようにした。
母は部屋を掃除してくれた。その間に、私は駅前のパン屋で、サンドイッチと瓶入りの牛乳を買ってきた。前に住んでいた男が置いていった小さなお膳に向かい合って、サンドイッチと牛乳の朝食をとった。

「今日、帰るわ」母が食後のタバコに火をつけてから言った。
「そうか、ほんなら大阪駅まで送っていくわ」
「ええよ、あんたちょっと具合悪そうねえ、風邪でも引いたんと違う。私は一人で大丈夫、あんたもう少し休んでなさい」
 
 母は結局その日の午後3時頃部屋を出た。それまでに、溜まっていた私の洗濯物を洗ってくれ、夕ご飯用のカレーを作ってくれていた。その間ずっと、私は布団に横になって吉本隆明の詩集を読んでいたが、いつの間にか眠ってしまっていた。
 目が覚めた時、もう母の姿はなかった。お膳に母からの置き手紙があった。

<今3時、お父さんが心配するから帰ります。大阪の2月は身体も心も凍りつくようでした。私は早く広島に帰りたいと思う一方で、貴方を残していくことが心配でなりません。お父さんも私も、云わず、語らず、いつも貴方のことばかり案じています。>

<この世界は様々な矛盾、不合理にみちています。そういうものに対する若者の純粋な憤りもわからぬではありませんが、先ず自分自身の本当の考えで、自分の足で歩める独立した立派な大人になってからでも決して遅くはないと思います。
 何卒、両親からの願いです。借りものの思想や、他人の言動にまどわされるような軽率な行動態度で将来に悔いを残す事のないように、本分に全力を注いで下さい。>

<お父さんももう年です。胃腸障害、めまい、耳鳴り等身体の不調に耐えながら、家族のために懸命に頑張ってくれているのです。頑固な人ですから口には出しませんが夜分も熟睡出来ない日が多いようです。貴方に対する心配、仕事の事等、頭の中に絶えない心労の故だと察して、私も云いようのない気持ちに枕をぬらす事の多い日々です。>

<お金を一萬六千円置いておきます。いつも云う事ですが、無駄遣いしないで有効に使うように>
 
 母の手紙はいつもの文体、いつもの手紙だった。私に学生の本分たる勉学一途の生活に戻れと諭す手紙だ。几帳面な細字で、少々堅苦しく語りかけてくる手紙だった。
 母の手紙は、いつも私の心を乱す。自分のやったことの意味や意義を強調したい気にさせる。その一方で、母の手紙の背後に見える実家の生活風景とそこでの両親の思いを想像して申し訳ない思いにもなる。
 
 私はこれからの裁判のこと、判決はどうなるかを考えた。これからの私生活のこと、仕事や異性との付き合いのことを考えた。そして、何も終わっていないし、何も始まっていない、宙吊りの状態に自分がいることを改めて確認した。考えていると胸を万力で締め付けられるような苦しさにとらわれた。全身に力を入れた。敷いたままの敷布団に身体を投げだし手足を宙に突っぱって「ぐわー」と思いきり叫んだ。この苦しさから逃れられるなら何でもすると思った。
 すると突然、全身に電流のような細かな振動が伝わった。ほのかに白い光が私の身体を包みこみ、全身の血管に光が流れこんだ気がした。
「これが当たり前、これが続く、生きてる限りは、これが当たり前」そんな言葉が自分の身体の奥のどこかから響いてきた。身体の力が抜け、胸の痛みも消えた。

 自分に言い聞かせた。生きるということは、問うことだ。正解のない問いを発することだ。いつも宙吊りのまま問い続けるのだ、と。 (完)


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