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連載小説「和人と天音」(10)


 和人の部屋にはコラージュ用に雑誌や新聞の広告チラシなどから切り抜いた写真やイラストをファイルしたノートがあった。コラージュの作り方は、あらかじめイメージがあって、そのイメージにしたがってイラスト類を選ぶだけの時もあれば、その場の思いつきでイラストを貼っているうちにイメージや言葉が流れ出てくる時もあった。

 恭二はどちらかというと、自分なりのイメージが湧いてくるのを待って、それに合うイラストや写真を探してコラージュ作品を作ることが多い。和人は、特にイメージを持たないでただパラパラとイラストを眺めて、その場の直感で使うものを選んでいって、コラージュする方が好きだった。そのほうが自分でも意外な作品ができた。自分の心か身体の奥に自分が知ってるよりずっと広い世界があるような気がした。その世界に入っていくと、何をしてもいいような気がして何だか心地よかった。
 先生は、「わかってるつもりで、一番わかってないのが自分だからね」とよく言っていた。それを聞くと和人は、自分の奥に広い世界があると信じてもいいんだと思った。

 和人は恭二と一緒に、もう一時間ばかり部屋にこもってコラージュ作りを続けていた。
 時々、恭二が和人の意見を聞いてきた。和人は自分の感じたままを正直に答えた。恭二は、和人の言うことをとても素直に聞いてくれた。恭二は自分のイメージとかインスピレーションを大事にした。
「書きたいことしか書かないよ、俺は」と言って、時には先生の言うことも聞き流したりするくせに、和人の意見はとても尊重してくれた。

「腹がへったなあ」恭二が言った。
「晩ご飯食べてないのか?」和人が聞くと、ニヤッと笑った。
「いや、食べてきたけど、もう腹がへった。食べざかりだからなあ」そう言って、恭二は澄ましている。
「わかった、ちょっと待ってて」和人はコラージュ作りを中断して、台所へ行った。夕食用に作ってくれた母の特製しらすピザが三切れ残っていた。それをレンジで温めて、豆乳と一緒に部屋に持っていった。
「うめえな、このピザ」口いっぱいに頬張りながら恭二が言った。
「うん、うちの名物さ。じいちゃんが好きなんで、よく母が作ってくれる」
「うちは母ちゃんも姉ちゃんも働いてっから、週に一日ぐらいしか晩飯作らない。ほとんどインスタントを自分で作って食ってる。知ってる?最近のインスタントうめえのが多いよ。」
「うちの母も働いてるから、晩飯だいたい早めなんだ。腹あんまり空かなくても食べてるよ。じいちゃんが食わないからインスタントはあんまりない」

 和人が短い間に恭二と親しくなったのは、お互い母子家庭で、家族三人で暮らしていることも大きかった。和人は母とじいちゃんの三人暮らしだし、恭二は母親と高校生の姉の三人で暮らしていた。お互いの母親のことはあまり喋らなかったが、もう一人の家族のことはよく喋り合った。和人はじいちゃんのことを、恭二は姉のことを。この日も恭二は姉のことを話しだした。
「姉ちゃんは、高三なのに毎晩イタリアンでバイトしてんだ。金のいる大学に行くから、稼がなきゃならねんだ」
「金のいる大学って?」
「そりゃ、医科大学さ。医者になる大学はえっれえ金がかかんだよ」
「へえ、そうか。お医者になるのって、勉強難しいんじゃない?」
「そりゃ、難しいさ。でも姉ちゃんはちょっと変わってんだ。勉強が好きでたまらないんだってさ。勉強してる時が一番あたしらしいって言ってるよ」
「ふうん、なんかすごい人そう」

 恭二はまるで独り言でも言うように喋り出した。
「そうさ、すっげえ人なんだよ。俺たちの親父は俺が小一、姉ちゃんが小六の時に、胃癌で死んだんだけど、その時から姉ちゃんは医者になると決めてた。そんで、うちが金持ちじゃないし、少しでも母ちゃんの苦労を減らせるように、中学の時からずっとバイトして大学行く金貯めてきたんだ」
「親父がもう少し早く診てもらってたら、助かったかもしれないって母ちゃんはよく言ってた。金がないからギリギリまで病院に行かなかったって。だから姉ちゃんは医者になって、金がない人でも療(なお)す病院を作るって言ってる。俺は別になりたいもんなんてない。姉ちゃんを助けたい、姉ちゃんの夢を実現させたいと思ってんだ」
「だから、中学出たらコンピュータの専門学校に行って、インターネットで金儲けする方法を習って、何度も練習する。二十歳なるまでに金貯めて病院を作る。隅から隅までいつもきれいに掃除されてピッカピカで、姉ちゃんが院長の病院を。それだけが俺の夢さ」

 恭二は真剣な目をして和人を見た。和人は頷いた。恭二の話に心が動かされた。
病院を作るのにどれぐらい金がかかるのかまるでわからなかったが、恭二の夢が叶うといい。恭二の姉の夢が叶うといいと思った。そして、自分もたいせつな家族の夢を叶えたいと思った、が、そこではたと困った。
「じいちゃんの夢は何だろうか」と考えても何も思い浮かばなかったのだ。
 その和人の心の葛藤を感じたかのように、恭二が言った。
「和人、お前が一番大切な人はだれだ?」
「そりゃあ、じいちゃんかな。父が家を出てってからずっとぼくの面倒見てくれたんだ」
「そのじいちゃんに何をしてやりたい?」
 和人は答えられなかった。じいちゃんの夢が何なのか、まったくわからなかった。想像することもできなかった。
「わからない」怒ったように和人は言った。

 恭二は黙って和人を試すように見つめた。その目に誘われて和人は言った。
「じいちゃんは何をしたいのか、じいちゃんに夢があるのか、ぼくは知らない。これまでそんなこと考えなかった。じいちゃんがしたいことなんて」
「考えてみろよ。これから」
 恭二の声は優しかった。こいつでもこんな声を出すこともあるんだ、と和人は思った。そして言った。
「わかった。これから考える。じいちゃんが何したいのか。じいちゃんをぼくが助けられるのはどんなことか。考える。ありがとう、恭二」
 和人はちょっと泣きたいような気分になったが、勿論泣かなかった。右手で拳骨を作って恭二に突き出した。恭二も右手で拳骨を作り、和人の拳骨にガチンと合わせた。

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