床が抜ける。(藁ぶき屋根の頃)

昭和36年生まれの私。姉とは、年子でした。

まだ、私が、母のお腹にいて、臨月状態の母。

古い家の作りで、祖母が戦争未亡人であり、3人の男の子の子育て、田畑の仕事を曽爺さんとともに、きりもりしていたから、ボロ家屋でもしかたのないことでした。

お勝手場は、土間。食卓のあるところに床が張ってありました。

朝、お勝手場から、配膳の準備をするために、床に足をおいたとき、臨月の母は、床が抜けて、落ちた。

ビックリして、すぐにその場修理。昔は、大工さんいなくても、DIYが普通にできたようです。まだ叔父二人も同居していたから、男手がありました。

第二の床抜け話。

オヤジ合わせて、3人兄弟の、真ん中のおじの祝言のときも。

両家との顔合わせ、儀式、そして一同揃って、記念撮影で、一箇所に集まったところで、「床抜け」がドスンと起きたようです。

その時も、人手がありましたので、なんとか床を補修し、ことなきをおさめたようであります。

その話を母から、聴いて、「ボロや」と悲観的な思いはわかず、「狭いながらも楽しい我が家🎶」と、榎本健一さんとことエノケンさんの「私の青空」という歌を思い出す。

「ボロイながらも、楽しい我が家🎶」ですね。

 


しかし、母の思いは・・


生きのなやみ
17 思いどおりになったら来はしなかった。
   思いどおりなるものなら誰(た)が行くものか?
   この荒家に来ず、行かず、住まずだったら、
   ああ、それこそどんなによかったろうか?

ルーバイヤート:生きのなやみ



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