トリウムガラス(2)


コダック1939年


この発明はホウ素40%ランタン60%の組成を持つ新種の2成分ガラスの発見が中核となっており、このガラスを多成分化した種々のガラスについて組成・光学特性が開示されている。多成分化の過程でトリウムを使用したガラスが試作されたのがトリウムガラスの起源のようだ。このトリウムガラスは、もっとも単純なもの(実施例T)では3成分だったが、ランタンガラスと同様に多成分化した実施例が多数開示されている。

・実施例T

3成分のみからなる単純なトリウムガラス。La2O3+B2O3ガラスの発展型としての試作とみられる。酸化トリウムが重量%で41%というかなり高濃度で含まれています。この特許の実施例の中では最高のトリウム濃度を持っています

組成(酸化物の重量%)
・La2O3 : 33%
・ThO2: 41%
・B2O3 : 26%

・・光学特性


屈折率 :nd 1.7667
アッベ数vd : 51.4

大きなアッベ数と高屈折率の両立は困難です、これはアッベ図(左ほどアッベ数が大きくなる配置の場合)にプロットされたガラス品種が全体として右上がりの分布図を形作ることから感覚的に理解できるでしょう。そのためあるガラスが高屈折率かどうかは、屈折率の絶対値だけでなく、類似したアッベ数を持つ品種との比較で代償を見て判断する必要があります。ここではアッベ数50以上の低分散ガラスに限って比較します。

実施例Tはアッベ数が51.4と大きいにもかかわらず1.6767という高い屈折率を持ちます。ショット社の現行のラインナップを見るとでアッベ数50以上の低分散ガラスの中で最も屈折率が高いのは屈折率1.755アッベ数52.3のN-LAK33Bなので、それよりも高屈折率ということになります。

なおLAK33Bは人気のある品種と見え、他の光学ガラスメーカー各社もLAK33Bの互換品としてLAK33Bと同一の屈折率・アッベ数を持つ独自品種をラインナップしています。実施例Tはそれら全てより屈折率が高いということになります。アッベ数50以上の領域において、LAK33Bは限界に近い高屈折率を持つようで、これ(およびその互換品)らよりも屈折率の高い品種はほとんど存在しません。唯一住田光学ガラス社の独自品種で、K-LaFK50というガラスがアッベ数50.0丁度で1.772という屈折率を持ちます。

画像1


1939に試作されたガラスが2020年の光学ガラスのラインナップと比べても一二を争う高屈折率低分散特性を有していることからトリウムの効果が伺い知れます。

別の見方をすれば、現在では、トリウムを使用しなくてもトリウムガラスに近い高屈折率低分散特性を持たせることができるようになっているということです。

・実施例N

実施例Nは差安価トリウムを含んだ4種類の酸化物からなるガラスです。実施例Tに酸化バリウム(BaO)を加えたような組成をもちます

組成(酸化物の重量%)
・La2O3 : 20%
ThO2: 20%
・BaO : 20%
・B2O3 : 40%
低屈折率成分のホウ素がかなり多く含まれているため、実施例Tより低屈折率で低分散なガラスになっています。特にアッベ数は58.0とかなり大きく、屈折率は1.686。屈折率は低めですが、前述のように一般的にアッベ数が大きくなるほど高屈折率が得難くなることを考慮すると、「このアッベ数に対して」十分に大きな屈折率と言えます。実施例Tと比べると、結晶化抑制に効果のあるホウ素やバリウムが多く含まれていることから、より量産に適していると思われます。

ショットの現行品種で屈折率がこの実施例Nより大きいものを抜き出しその中で最大のアッベ数を持つものを探すとN-LAK14が該当します。同様にショットの現行品種でアッベ数が実施例Nより大きいものを抜き出してその中で最大の屈折率を持つものを探すとN-LAK7という品種が該当します。それらはどちらも屈折率かアッベ数が実施例Nより小さくなっており、高屈折率低分散特性という点では実施例Nは現行の類似品種と比べても見劣りしないものを持っていることが分かります

画像2

・実施例O

実施例Oはトリウムガラスではありません。実施例Nのトリウムを酸化ストロンチウム(SrO)に置き換えたような組成を持ち、それ以外の組成は実施例Nと同一です。このため実施例Nと比較することでトリウムの効果を推し量ることができます。

・La2O3 : 20%
SrO: 20%
・BaO : 20%
・B2O3 : 40%

実施例N→Oで光学定数は次のように変化しています

屈折率nd : 1.6861→1.6576 (△0.0285)
アッベ数vd : 58.1→58.0 (△0.1)

高屈折率化効果の高いトリウムが他の酸化物に置き換えられた結果、屈折率は低下します。一方でアッベ数はほとんど変わっていません。置き換え先のストロンチウムも高屈折率低分散化成分としてはそこそこ優秀な部類に入ります。組成の20%を占めるトリウムをストロンチウムへ置き換えて屈折率0.0285の低下、屈折率の変化が単純に置換量に比例すると仮定すれば(そのような仮定はガラスの加成性から予想されることです。)、1%の置き換えでマイナス0.00143の変動になります。3%の置換なら0.00428=428×10^-5の変動になります

どうしてそのような計算をしたのかというと、この資料の図7にランタンをストロンチウムに3重量%置き換えた時のアッベ数・屈折率の変化量の実験結果が開示されているからです。当該資料の図7を見ると、酸化ストロンチウムSrOはランタンLa2O3に対して相対的に低屈折率成分として働き、3%の置換当たり480×10^-5の屈折率の低下をもたらす、ということが読み取れます。前述のようにThO2からSrOの3%置換で430×10^-5の屈折率の低下が起きるということは、SrO→ThO2はその逆が起きるはずです。以上のことを併せて考えればLa2O3→SrO2→ThO2の置換では50×10^-5の屈折率の減少が予想されます。アッベ数はほとんど変わらないはずです。つまり酸化トリウムは酸化ランタンに対して相対的にやや低屈折率成分として働き、分散はほとんど変わらないと考えられます。これは少し奇妙に聞こえます。酸化トリウムは、酸化ランタンに似ているがやや高屈折率化効果が劣る成分ということになります。それではトリウムガラスには意味がないように思えますが、重要なのは、結晶化を起こさずに製造可能な酸化ランタンの濃度には限界があるということです。その濃度を高めるためには結晶化抑制成分を導入する必要があり、それなしでガラス化させるには、組成中にはかなり高い濃度(30%程度)で酸化ホウ素を含ませる必要がありあります。酸化ホウ素はかな強い低屈折率成分なのでこのままでは屈折率の上昇には限界があります。結晶化抑制成分はアルカリ土類元素や、チタン・ジルコン・ハフニウム・ニオブ・タンタル・タングステンなどの遷移金属の酸化物が有効です。しかしこれらの低屈折率化または高分散化を引き起こし、結果として、酸化ランタンで折角付与した高屈折率低分散特性が相殺されてしまいます。酸化トリウムは酸化ランタンと同等の高屈折率低分散作用に加えて他の遷移金属と同様に酸化ランタンが結晶化するのを抑制する効果も持つため、高屈折率低分散特性を犠牲にすることなく安定したランタン系ガラスを実現できるのです。


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