【特許研究】ガラス瓶メーカーが開発した光学ガラス
特許を検索していると、日本山村硝子という(自分にとっては)見慣れない企業が光学ガラスの特許を出願していました。この企業は名前の通りガラスメーカーなのですが、主力事業はガラス瓶でその市場では日本トップシェアだそうです。実際に、企業名で特許を検索するとガラス製品のほかにプラスチックキャップの発明なども多く出願されており、各種容器に用いられるガラス瓶が主力事業であることが伺われます。
そのような企業が光学ガラスの開発に乗り出した経緯は不明ですが、ガラス瓶事業のほかにもソーラーパネル用ガラス板など特殊用途ガラスの開発販売も行っており、その方面の事業の一環として開発されたのではないかと推測されます。いずれにしても元がガラスメーカーなので開発や試作の設備・ノウハウは整っているはずです。
特許の内容
高屈折率低分散ガラスで屈折率1.8以上、アッベ数35以上で屈伏点(加熱軟化による変形が顕在化する温度)が550℃以下のモールド非球面加工向けの光学ガラス、モールド非球面加工や転移点・屈伏点については以下の記事に書いています
およびそれを使って作られたプリフォーム(中間素材)光学素子(レンズやプリズムなど)について出願されています。発明の本体は特定範囲の組成を持たせることで特定範囲の特性を実現した光学ガラスであって、プリフォームや光学素子は付随的な要素です
屈折率1.8以上、アッベ数35以上というのは高屈折率低分散ガラスとして典型的なものです。この範囲はショット社の分類名ではLaSF(ランタン重フリント)、オハラ社の分類名ではLaH(ランタン高屈折率ガラス)、HOYA社の分類名ではTAFD(タンタル重フリント)に相当する領域です。アッベ図上のこの領域は近年各社による開発競争が行われている舞台です。
高屈折率低分散ガラスの中には2.0を超える超高屈折率を売りとする品種もありますが、この出願中の実施例は屈折率1.8-1.83の範囲に収まっており、この領域のガラスとしては控えめな数字です。
この発明の大きな特徴が、屈伏点が比較的低温で、モールド非球面加工に適しているという点です。
屈伏点やモールド非球面加工についての解説はこちら(実はリンク先の記事は当記事の一部として書いていたものだったのですが、長大になりすぎたため分離したものです。)モールド加工とはガラスを加熱軟化させて非球面形状の金型をプレスして非球面レンズ素子を製造する加工法なのですがこの発明のガラスはあまり温度を上げなくても軟化するので、モールド加工に適しているということです。モールド加工に必要な温度の目安は転移点や屈伏点として表されます。
光学ガラスを高屈折率低分散化するために添加される組成として酸化ランタンや酸化ニオブなど種々のレアメタル酸化物がありますが、それらはいずれも高屈折率化とともにガラスの転移点や屈伏点を上げる作用を持ちます。そのため高屈折率低分散領域のガラスは、ほかの領域のガラスと比べて低転移点化やモールド加工適性の獲得が難しく、モールド加工向けガラスのラインナップが乏しい傾向にありました。近年、光学ガラス市場はカメラ市場に引き摺られて縮小していますが、モールド非球面レンズを使用した製品の割合は増加傾向にあり、縮小市場の中ではまだマシな分野と言えるでしょう。特に高屈折率低分散カテゴリーは前述のような理由でモールド用硝材の選択肢がまだ少なく、競合品が少ない状況にあります。
前述のように酸化ランタンなどの主要な高屈折率化成分はモールド加工性を低下させる副作用があります。そこで代わりの成分を見つけてくる必要があります。モールド性を低下させずに屈折率を上昇させる。そんな都合のいい成分として注目されてきたのが酸化亜鉛(ZnO)です。レアメタルと比べて拍子抜けするほど卑近な元素ですが、元素の価格と効果は関係ないので心配無用です。
下のリンクは株式会社オハラの研究員とみられる人物が日本応用物理学会に寄稿した解説記事(PDFファイル)ですが、記事中の図7には代表的なガラス成分が屈折率やアッベ数に与える影響が図示されています。それを見ると酸化亜鉛(ZnO)は酸化ランタン(La2O3)よりやや右下に位置し、高屈折率低分散化効果はやや劣るもののそれほど悪くない選択であることが分かります。
亜鉛ガラスのアイデア自体は新しいものではなく、今回の山村硝子の出願では先行する発明の例として、日本電気硝子の2013年の出願や中国の成都光明光電公司(CDGM)の2018年の出願が言及されています。さらにCDGMの発明ではショットの中国法人が2006年に出願したホウ酸ー酸化ランタンガラスについて言及していますCDGMの発明はショットのガラスから高額原料を削減して低コスト化したモールド加工用光学ガラスの実施例が記載されています。いずれの出願の実施例にも10-20%程度の酸化亜鉛がモールド性を向上させる成分として含まれています。これらの発明は従来と同等の高屈折率低分散特性の維持することを優先し、転移点・屈伏点は従来より低下しているとはいえ、依然として高いままであり、モールド用硝材として見るとやや中途半端なものに留まっていました。これらのガラスでも酸化亜鉛がモールド加工性を与えるために使用されていますが、酸化ランタノイドや酸化タンタル・ニオブといったモールド加工性悪化の副作用を持つ各種の高屈折率化成分が質量ベースで全体の50%程度も含まれているため、高屈折率特性は十分でな一方で、屈伏点は依然高いものだったのです。
また別系統の先行技術として山村硝子自身が00年代に出願した2つの発明についても言及されています。これらは酸化亜鉛に加えて、酸化リチウムを含有させることで前記のショットやCDGMの発明よりも低い転移点・屈伏点を実現しています。酸化リチウムは少量でも屈伏点を大きく低下させる効果がある一方で、ガラスの化学的耐久性(特に耐水性)を劣化させるという大きな欠点があり、これらの発明における光学ガラスは耐水性に難があったようです。
つまり今回の出願は00年代に失敗に終わった光学ガラスの再挑戦と言えるものだったのです。十年以上経て開発が再始動した内情は不明ですが。
これらに対して今回の山村硝子の発明では高屈折率低分散特性を妥協する代わりにモールド加工性を十分に高めることができる組成範囲を見出したものとなっています。基本的な組成設計のコンセプトとしては耐水性を劣化させるリチウムに頼らず、主に酸化亜鉛によりモールド加工適性を付与し、モールド加工性を低下させる亜鉛以外の高屈折率化成分の含有量を減らすことでモールド加工性を良好に保つというものです。もちろん高屈折率化成分を削りすぎれば本来の目的である高屈折率低分散ガラスにはなりませんので適切な組成の範囲というものがあります。その組成の範囲がこの発明の実体となっています
このグラフは山村硝子の特許に実施例1として記載されたガラスの組成です値は酸化物ベースの質量%です例えばLaが25%と表示されていれば(La元素それ自体ではなく)La酸化物である酸化ランタン(La2O3)が質量の25%を占めているという意味になります。
ホウ素(B)とランタン(La)が多量に含まれているのはランタン系高屈折率低分散ガラスに典型的な特徴です。このガラスでは他に目立つ組成として亜鉛(Zn)が大量に含まれていることが分かります。前述のように亜鉛はガラス転移点や屈伏点を下げてモールド加工性を良化させる効果があります。
以上3つの元素以外にイットリウム(Y)やタングステン(W)が多めに含まれていますこれらはランタンと似た効果のある高屈折率化成分です。上図は高屈折率化成分が右に来るように並べており、Yより右側にある元素(Y~Tiはすべて高屈折率化を主な作用とするものです。
言及されている先行特許文献を芋づる式に遡ると1971年にHOYAが出願した発明に、従来のランタン系高屈折率低分散ガラスに含まれていた酸化カドミウム(CdO)を酸化亜鉛に置き換えることで高価で有毒な原料であるカドミウムを避けて溶融性が良好な高屈折率低分散ガラスを得ることができる、というものが見つかります。説明によれば、この組成はこの時にHOYAが新規に発明したものらしく、それが本当なら、この発明こそが後年に続く亜鉛ランタンガラスの始祖ということになります。
これは今回の特許の実施例に近い光学定数(屈折率とアッベ数)を持つ各社のモールド用ガラスのカタログデータですモールド加工で特に重要となる転移点を見ると住田光学ガラス社のK-VC89とオハラ社のL-LAH-84が優秀であることが分かります。今回の出願に記載されている山村硝子の実施例はK-VC89とL-LAH53に続く中位ループに属しており、まあまあの実力ということになります。上の表に表した項目以外の要素も加工性には影響しますので参考程度に
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