【特許研究】1971年HOYAのランタン・亜鉛高屈折率低分散ガラス

1971年にHOYA株式会社が出願した高屈折率低分散光学ガラスの特許に関する記事です半世紀前の1971年に出願され審査の末に1978年に拒絶査定された発明です。

光学ガラスは、ガラスネットワーク構成酸化物(SiO2やB2O3が代表的)が構成する乱雑な分子ネットワークに高屈折率化や高分散化などの効果を持つ修飾酸化物が割り込んだ構造となっている。ネットワーク構成酸化物は種類が限られ、酸化ケイ素(SiO2)・酸化ホウ素(B2O3)酸化リン(P2O5)などの、周期表の右上の方にある元素の酸化物が中心です。高屈折率化のためにはこのネットワーク構成酸化物に対して修飾酸化物として高原子価酸化物(チタン・ランタン・タンタル・ニオブなど種類が多い)をなるべく多量に導入することが有効ですがしかし、単にそれらの酸化物を導入しただけではガラスの溶融性や安定性が劣化してガラス組織中に異常な結晶が成長してガラス化に失敗した「失透」と呼ばれる状態になりやすく、実用的な品質・生産規模でガラスを製造できなくなります。それを防ぐためにガラスネットワーク構成酸化物と高原子価酸化物に加えて二価酸化物を導入することが有効とされている。この考えに基づき、ガラス構成酸化物に酸化ケイ(SiO2)と酸化ホウ素(B2O3)、高原子価酸化物に酸化ランタン(La2O3)や酸化ジルコン(ZrO2)を、二価酸化物に酸化カドミウム (CdO) 使った高屈折率ガラス(以下では仮に「ランタンカドミウムガラス」と言う)が、1971年の時点ですでに開発されていたようです。

このランタンカドミウムガラスの課題として、カドミウムは生体に対する毒性があり、価格も高かった。そこで酸化カドミウムの使用を控えれば、ガラスの安定性は低下し、失透しやすくなります。それを元に戻すには高屈折率化修飾酸化物を減らす必要があります。そうすると高屈折率特性が弱まってしまい、もはや高性能な高屈折率低分散ガラスとして具現化できなくなります。

それに対してこの1971年のHOYAの発明は、カドミウムと同じ12族元素で、周期表でCdの直上に位置する亜鉛 (Zn) の酸化物ZnOを酸化カドミウムの代わりに使用することによって無害かつ安価で安定生産の可能な高屈折率低分散ガラスを得たものです。

文献内では実施例1~実施例32の32種類に及ぶ実施例について組成と光学的・物理・熱的性質が記載されています。一例として実施例1を見ると、次のような組成になっています。数字は質量に占めるその元素の酸化物の割合です。実施例の中にはより多くの種類の酸化物を添加したものもみられますが、実施例1は4種類の酸化物のみからなるかなり単純な組成のガラスとなっています。

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このうちB(B2O3)はガラスネットワーク構成酸化物、
タンタルTa(Ta2O5)とランタンLa (La2O3)は高屈折率化成分、
亜鉛Zn(ZnO)は多量の高屈折率化成分に抗してガラスを安定化させる成分

としてそれぞれ役割を担っています。組成中には酸化ランタンが非常に多く、これ一種類だけで質量の4割弱を占めます。またランタンと同様に高屈折率化効果を持つ酸化タンタルも添加されておりランタンとタンタルの合計で50%を超え、6割弱にもなっています。これだけの高屈折率化成分を含ませることができたのは前述のように、質量の2割を占める酸化亜鉛ZnOの効果によるものです。亜鉛それ自体にもランタンやタンタルほど顕著でないもののガラスを高屈折率化させる効果があります。ガラスネットワーク構成酸化物としては酸化ホウ素が質量基準で全体の2割ほど含まれています。

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実施例1の光学定数(屈折率とアッベ数の組み合わせ)はnd=1.8109、vd=42.8です。この位置をアッベ図上で表すと上図の緑線が交差する位置になります。左下の曲線の系列が古典的なフリントガラスの系列で、そこから右上に離れるほど高屈折率低分散特性の強い高性能ガラスということになります。そう見ると発明の実施例は高屈折率低分散ガラスの右上の最前線付近に位置し、多くの硝種が密集する領域に位置します。光学定数が最も近い品種(現行のHOYAの品種に限る)を検索すると、MC-TAFD51-50というモールド非球面加工用の品種がヒットしますが、これが1971年の特許と同様の組成を持つのかは不明です。開発が活発な高屈折率低分散領域で50年前の技術がそのまま使われているとは少し考え難いです。ただ、型番にタンタルが入っていること(TAFDはタンタル重フリントの意味)や、転移点が低め(=酸化亜鉛を多く含むことが伺われる)であることから、1971年のガラスと類似のガラスである可能性はあると思います。

出願文献中には32種類の実施例が記載されています

実施例2

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実施例2は実施例1と同じ系統の組成を持ちますが、酸化ランタンが少なく、代わりに亜鉛が増えています。文献に記載の数値を見ると屈折率は実施例1より低く、分散は大きく(アッベ数が小さく)なっており、アッベ図では実施例1の少し左下に位置します。実施例2は高屈折率低分散特性という点では実施例1より劣っています。一方で液相温度は実施例1の1060℃に対して1030℃に低下しており、より低い加熱温度でも安定した生産が可能になっています。また酸化亜鉛は酸化ランタンよりずっと安価なことから原材料価格の面でも有利と思われます。実施例1と2の対比は、この組成系統の光学ガラスにおける性能と価格のトレードオフの典型例を示すものです。

実施例5

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実施例5も実施例2と同様に亜鉛を増やして高屈折率化成分を減らしたタイプの組成ですが、亜鉛が45%に達し、代わりにランタンが大幅に減らされています。屈折率は実施例1の1.8019から1.7558にまで減少しています。アッベ数は実施例1の42.8から42.7への変化です。屈折率が大幅に下がった一方で分散という点ではほとんど変わっていません。液相温度は11060℃から940℃への大幅減となっており、高額原料も削減されたことから生産コストはかなり有利と思われます


実施例3

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実施例3は実施例1と同じB,Ta,La,Znの四元素の酸化物からなる系統で、原料の比率が異なります。図のように実施例1との比較で酸化ランタンが5質量%増え、代わりに酸化タンタルが増えています。この2つの酸化物は前述のように高屈折率低分散特性を得るための修飾酸化物ですが、そのカテゴリー内部での分配の変更で、酸化ホウ素や酸化亜鉛の比率は実施例1と同じです。

酸化タンタルは酸化ランタンと類似した高屈折率低分散化効果を光学ガラスにもたらす修飾酸化物です。しかしその効果は同一ではなく、高屈折率化よりも低分散化効果の方が強く出るランタンに対してタンタルは低分散化よりも高屈折率化効果の方が強く出ます。そのため、タンタルを一部ランタンに置き換えたことで、高屈折率化効果が弱まり、低分散化効果が強まることになります。このため実施例3は実施例1より少し屈折率が低く、分散が小さい、クラウンガラスよりの光学ガラスになっています。総合的な高屈折低分散特性として見れば大きな変化はなく、組成の変化は高屈折率特性と低分散特性の間での配分の変化をもたらしています。

ランタンよりも高価なタンタルが増えていることから原材料コスト面では実施例1よりやや不利と思われます。一方で液相温度が実施例1より下がっていることは製造コストの低減に有利です。

上で紹介した例はいずれもホウ素・タンタル・ランタン・亜鉛の4酸化物の組成ですが、他にケイ素・アルミニウム・ジルコン・チタン・タングステン・ニオブなどを添加した実施例も示されています。

なおこの発明は1974年に拒絶査定、1978年にも再び拒絶査定となり、権利化はされていません。

参考文献

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S48-059116/073AD1476F52E8B7D34CAEDDD6DE801A1F2B92E4C1062EC1ADC44F939F26B8C7/11/ja
https://annex.jsap.or.jp/photonics/kogaku/public/42-07-kaisetsu3.pdf
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2004/040312-2/

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