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小坂大魔王×藝大生≪プロデュース論≫

仕事を早めに切り上げて上野。奥さんと駅前で待ち合わせして、東京藝大の学園祭、「藝祭」の会場に向かう。

上野公園を横切りながら、学生たちが出店する屋台をのぞく。風が吹き荒れ、離れた噴水の水飛沫がこちらまで飛んでくる。品物が吹き飛ばされぬよう、学生たちは屋台のテーブルクロスを必死に抑えている。

屋台を一つひとつ回ってみると、自作のポストカードやTシャツを売る店が多い。陶器やアクセサリ、絵や音楽のCDなども、おそらくすべて学生たちの手によるものだろう。客の似顔絵を描く学生もちらほら。その中で、わたしたち、油画専攻の1年生でーす!今年の春に入学したばかりでーす!と威勢よくアピールする若い学生たちの店が。屋台には、怪奇かつ陰鬱な作風の抽象画がいくつか並べられている。まだあどけなさの残る彼らのどこに、こんなものを創作するエネルギーが渦巻いているのだろう。屋台に並べられた作品と、作品の制作者らしき店員の佇まいのギャップが面白かったりする。

ようやく公園を通り抜けて、美術部校舎側のキャンパスに着く。日本画科の展示、古本市などを眺め歩くうちに、いつの間にか日が暮れる。キャンパス正門の入り口付近の屋台で、女学生が鉄板で何か食べ物を作っている。その彼女が、料理をしながら急に歌い出す。声楽科の生徒なのか、道行く誰もが必ず振り返る声量。地声なのに、一般人がマイクを使ってもきっと叶わないくらいのボリューム。かつ、もう、とんでもない美声。朗々たる歌声の響きによって、あたりの空気が振動する。そのうち、同じ店員の学生たちも彼女に合わせて歌いだし、即席の合唱が始まる。気負いがなく、なんか気分が乗ってきたのでつい歌っちゃいました、的な軽いのりで。

グラウンドの屋台村をぐるっと巡ったのちに、彫刻棟に向かう。2階の暗室で、藝大のキャンパスで採取した音をコラージュした音楽作品が展示されており、備え付けのヘッドホンで聴いてみる。目の前にはモニターがあり、録音場所の風景が次々と映し出される。音楽部生の楽器を練習する音。美術部生が屋外で制作するときの金槌の打音。建物の工事中の音。行きかう学生の声、または会話。キャンパスの日常の豊かな音が組み合わさって、徐々に音楽が立ち上がる。立ち上がる瞬間に立ち会う。ヘッドホンで聴きながら、モニターで映像を視ながら。

その他、同棟の教室に展示された作品をいくつか鑑賞している最中に、展示終了を告げるアナウンスが。展示作品の見学は17時までらしい。まだ廻っていない棟、見ていない作品が山ほどあるのに。祭り自体が20時までと聞いていたので、油断していた。明日と明後日は来れないので、今年はこれで見納め。あーあ、せっかく来たのに、と悔しがる。事前にきちんと下調べしながった自分たちが悪いのだが。

せめて雰囲気だけでも味わって帰るかと、音楽部校舎側のキャンパスものぞいてみることにする。まだ客の往来が盛んな校舎に入ってみると、廊下の先に大講義室があり、その入り口で学生たちが呼び込みを行っている。「小坂大魔王×藝大生≪プロデュース論≫」と銘打つトークショーが始まるらしい。ピコ太郎の人か。100席ほどの会場はほぼ満員。大学生をはじめとする若者はもちろん、赤ん坊を抱える若いお母さん方や、ご年配の方々もちらほら。せっかく来たし、このまま帰るのは忍びないので、トークショーを観て帰ることにする。

講義室に小坂大魔王が登場したとき、さすが芸能人、といった出で立ちで、オーラがあった。トークショーは、ピコ太郎他、様々な音楽をプロデュースする小坂大魔王が、自身の経験談を交えながら、登壇する藝大生たちの悩み相談に乗る、という構成。素人の学生複数を相手にたった一人で大変そうだな、と内心思いながら見ていると、さすが芸人で、要所要所、こまめに観客から笑いを取りながら、テンポよく4人の藝大生たちに話を振って場を回していく。

トークは、ピコ太郎誕生の経緯から、YouTubeのメディア特性、自己プロデュースの考え方、ファンとの関わり方、といったテーマで、かなり真面目な内容。小坂大魔王の軽妙な喋りはもちろん、登壇する藝大生たちの聡明さにとても驚く。藝大生たちは、大勢の観客を前に物怖じすることなく、自分の悩みや考えを、自分の言葉で訴える。芸術家の卵らしく、彼らは常日頃からから、相手に何かを伝える、自分の頭の中をex-pressするということに自覚的なのかもしれない。自分が彼らの年の頃は、これほど巧に自分の考えをプレゼンできなかったように思う。。

藝大生たちは、当然のようにSNSやYoutubeなどを駆使して、自分の作品を世に発表している。既に数千人レベルのフォロワーがいたりするのだが、ファンを更に増やすにはどうすればいいのか、自分のやりたいことと皆が好きなことの折り合いをどうつけるか(ジャンルの壁について)、自分の好きなものをどうやって多くの人びとに知ってもらえるのか、彼らは切実に悩んでいる。想像するに、芸術だけでは将来食っていけないんじゃないかという不安や焦りが学内の空気を支配しており、学生たちは早い頃から、芸術そのものの追求と同じくらい、身の立て方、自身の生存戦略に敏感なのかもしれない。

登壇した藝大生たちの応答が想像以上にしっかりしているのは、ある程度選ばれた学生だからかもしれない、などと思っていると、トーク後のQAで手を挙げた他の学生たちも、同レベルのプレゼン能力と創作に対する課題意識を抱えていて、ひょっとするとこれがこの大学の学生のアベレージなのかも、と思い始める。大学生以外にも、音楽部付属高校の女子高生が、私は笙楽(雅楽)が好きで皆にもっと知ってほしいと思っているんですけど、なかなか興味をもってくれないのでどうしたらいいでしょう、と質問していて、高校生にして、自分の好きなものが確固としてあり、それを皆に伝えたいと思っていて、でもその巧い伝え方が見当たらなくて、内なる情熱が出口を求めんとしていままさに迸ろうとする、そのような気迫が彼女にはあって、その事実が、もうすごいなこりゃと思いながら聴いていた。

小坂大魔王に対する学生たちへの回答は、どれも真摯で良かった。彼の言葉で特に印象に残ったのは二つ。一つは、コミュニケーション能力というのは、ただ自分の考えを喋るだけではなく、自分と異なる価値観を受け入れるために自分の「器を広げる力」でもある、ということ。もう一つは、自分の「憲法」を見極める、ということ。人の思考は階層的。楽器の演奏技術をもっと磨きたい、フォロワー数を増やしたい、といった上層階の考えの最下層に、一体何があるのか。自分は売れたいのか?もてたいのか?ちやほやされたいのか?自己満足がしたいのか?思考の最も底にある、自分が本当にやりたいこと。それが「憲法」だと。小坂大魔王の場合、それは「笑わせたい」だった。成績優秀、スポーツ万能の兄と比較し、勉強と運動は兄には叶わない、だったら代わりに「周りの人間を楽しませて、クラスの人気者になる」ことを自分の進路に定めようとしたのが、小学校三年生。それ以外、ベースはあくまで芸人。お笑いライブの出囃子の音楽を自分で作ってみたいと思って、DTMに手を出したのが音楽制作の始まり。それも、ライブの観客をもっと笑わせたいという想いから。そのずっとずっと先に、ピコ太郎のPPAPがある。おおよそ、そんな話だった。

夜の上野公園を抜けて、カレーを食べて帰宅する。そのあとジム。読書はせず。AbemaTVでフリースタイルダンジョンの最新回を観る。久々に火がついて、YouTubeに上がっているフリースタイルのバトル動画をサーフィンしながら、トレーニングを終える。

ふぁんく:
どうもどうも初めまして ふぁんくと申します
難波のプーさんやらしてもうてます
今日はハニーハントじゃなくモンスターハント
ハチミツじゃなくて コンプラかかんぞ犯罪級
犯罪級のスキルこぼれ出してるね関西臭
君は今日は最初で最終のバトルになる
クリティカルで首を狩る パンッ

崇勲:
どうもどうも初めまして 春日部のプーさんと申します
このverse(バース) ふぁんくに分からすまで俺ハチミツなめまくる
甘い蜜に寄ってきた奴 次々取る まるでカブトムシのよう
夏休みだぜみんな遊ぼう ありがとう

ふぁんく:
プーさん対決 
俺のほうがたぶんやばいです
今日のしけた空気 俺のマイク一本ですべて解決
コイツのデカいケツ 俺のマイクでペンペンしたろうか
剣禅一如(けんぜんいちにょ)のこの世界
俺が変えてやる 最後の出会い

崇勲:
そうさ デカいケツ
HIPHOPはデカいに越したことはない
ケツが跳ねてく ホップステップジャンプでCHAMP
どこのCHAMPか分からん奴が最初の相手
大抵ディスってくるかと思ったが ふぁんく 好きになったよ

フリースタイルダンジョン2018年9月5日放送より

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・「いつまで並ぶのか」空港職員に旅行者詰問も(読売新聞)
・停電、どこが復旧?ヤフーが地図で復旧状況を表示(朝日新聞デジタル)
・菅官房長官、死者数を訂正し謝罪=心肺停止と合算(時事通信社)




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