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彼がそれを見ることはもうないのだから

通勤電車は、里帰りの客でいつも以上に混んでいた。

ドトールでヴォルテール『寛容論』の続きを読む。第13章では、ユダヤ教を引き合いに出している。表向きは不寛容な決まりごとの多い宗教だが、意外と寛容な一面もある、という論旨。本筋より、合間に引用された預言者たちの破天荒ぶりが気になる。

なるほど、預言者のなかには、自分の復讐のために神をかかわらせた者もいる。エリヤはバアルの祭司たちをみんな焼き殺すために、天から火を降りそそがせた(列王記上18‐38と18‐40)。エリシャは二頭の熊を呼び出して、自分を「はげ頭」と呼んだ子どもたち四十二人を引き裂かせた(列王記下2‐24)。しかし、こういうことはめったに起きない奇跡であり、真似たいと思ってもなかなか真似できることではない。

ヴォルテール (著), 斉藤悦則 (訳)『寛容論(光文社古典新訳文庫)』[Kindle版]光文社,Kindleの位置No.1191

頭部がよほどコンプレックスだったのか。やり過ぎのようだが。子どもたちの人数も多すぎる。これだけ大勢の子どもたちに「はげ頭」をからかわれるとは、一体どのような状況だろうか。列王記が気になってくる。

宗派によって教義の内容がだいぶ異なるのも面白い。死生観からして全然違う。掘り下げてみると、結構面白い宗教かもしれない。

さて、霊魂不滅の教義は、おそらくバビロンの捕囚のあたりから、ユダヤ人のあいだで受けいれられていった。しかし、そのころでもサドカイ派[ユダヤ教の一派]は一貫して、人間は死んだのちに罰せられることも賞されることもないと、固く信じていた。また、人間は死ぬと、歩く力や消化する力といった活力がなくなるように、ものを感じる力、考える力もなくなると、信じていた。かれらは天使の存在も否定した。サドカイ派とほかのユダヤ人との隔たりは、プロテスタントとカトリックとの隔たりよりも、もっとずっと大きかったのである。とはいえ、かれらはそれでもやはりほかのユダヤ人と同じ宗教団体のなかにとどまった。そして、サドカイ派から出た大祭司さえ存在する。

 パリサイ派[ユダヤ教正統派]は、宿命と輪廻を信じていた。エッセネ派[分派]は、善人の魂は幸福の島へ行き、悪人の魂はタルタロス[冥府の最底部]の淵に行くと考えていた。エッセネ派は、生贄をささげず、自分たちだけで独自の会堂に集まった。 

 要するに、ユダヤ教をまぢかでじっくり検討すると、そのきわめて野蛮な恐ろしさのただなかに、これ以上ないほどの寛容さが見られるので、驚かされるだろう。たしかに、それは矛盾である。しかし、ほとんどすべての民族はそれぞれ何かしらの矛盾に支配されてきた。だとすれば、血の掟をもちながら、それでいて穏やかな習俗をつくりだした民族こそ幸いである。

同上,Kindleの位置No.1331-1334

オフィスに戻る途中、いかにも一雨来そうな曇り空だなと思って空を見上げたら、顔の上に大きな雨粒がぼたりと落ちる。駆け足でオフィスに向かう合間、二発の雷が落ちる。

エレベータに飛び乗ると、突然、背後から自分の名前を呼ばれる。2年前に一緒のプロジェクトで働いていた同僚だった。懐かしいね、いまここ(このオフィス)で働いてるの? どんな案件やってるの? などと、手短に近況を共有しあう。去り際、また昼食でも一緒に行きましょうと私が話すと、(一緒に行っても)どうせまた蕎麦ですよね、とニヤついた笑顔で返される。当時の私は、毎日のように蕎麦を食べていた。毎日のように、というよりは毎日。よく毎日飽きませんね、と周りにからかわれると、三食蕎麦でも良いくらいです!と豪語して笑い返していた。そのやりとりを、私は今まですっかり忘れていたが、彼は忘れていなかった。

雨の止んでいる間を縫って、早々に帰宅。夕食後、奥さんと散歩も兼ねて、3軒のコンビニを物色して回る。森永製菓のICEBOXを探すが、どの店舗も見当たらない。噂通り、販売休止中か。代わりにアイスクリンを買う。バニラの味は甘ったるいが、アイスクリームより乳脂肪が少ないせいか、後味はさっぱりしている。

その後は、ジムに行って読書。ヴァージニア・ウルフ『』。

波は砕け、みるまに浜辺に水を打ちひろげた。波は次々と寄り集まっては砕け、波の砕け落ちる勢いで、飛沫(しぶき)がはねかえった。波は濃紺に染まり、背に映えるダイアモンド型の光の模様のみは、動くにつれて小さく波打つ馬の背の筋肉のように、さざ波立っていた。波は砕け、退いては、また砕けた。大きな獣が足を踏み鳴らすような音をたてて。

ヴァージニア・ウルフ(著),川本静子(訳)『波』みすず書房,p.137

昨日予感した通り、次の幕で、7人目の男が死んでいた。

「すると、この世界は、パーシヴァルがもはや見ることのないものか。眺めてみよう。肉屋が隣りに肉を配達している。老人が二人、舗道をよろよろと歩く。雀が木にとまる。やげて機械が動き出す。僕は、そのリズムと鼓動を耳にとめるが、僕が加わっていないものとしてだ。彼がそれを見ることはもうないのだから。(彼はどこかの部屋で、血の気を失くし、繃帯にまかれて横たわっている。)では今こそ、何が非常に重要なのかを見出す機会だ。だから、慎重でなければならず、嘘をついてはならない。彼について僕が抱いた感じは、中心に坐っていた、ということだった。僕がその場所にいくことはもうない。その場所は空っぽなのだ。

同上,p.140

明日の朝は2時間早く起きて、出社前にジムで運動することを目覚まし時計に誓う。SmartNewsのトップに並ぶ記事を確認して、寝る。

・ブルーノートのブックカフェ、京都に10月、3店舗目(京都新聞)
・ロシア、米国証券の保有削減へ  制裁に対抗―財務相=RIA(ロイター)
・北海道:島牧村で猟銃使用駆除へ クマ出没相次ぎ(毎日新聞)

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