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いらない物は人へ…という主義

家で使わなくなったものは、自分で処分する。それがごく一般的なのではないかと思う。

家電にしても、それ以外の物にしても、自分の家から出た不用品だ。ゴミ処理場への持ち込み、リサイクルステーションへの持ち込み、フリマサイトなどへの出品。どんな形であれ、自分で処理・処分するのが当然だろう。


しかし、世の中には人に押しつけることで処理や処分をする人が存在する。
過去の記事でも登場した、支配欲モンスターのお局様だ。



強烈すぎたお局様の特徴を思い出してモヤモヤするので、書きなぐって発散することにした。



お局様が頂戴と言ったもの


「使っていないのなら頂戴。」とお局様に言われて、こちらも使っていなかったし今後使う予定もないものだったので、お局様にあげた ある家電。


数年後、手元に返ってきた。


【ちょうだい(頂戴)】
1 もらうこと、また、もらって飲食することをへりくだっていう語。
2 (多く、女性・子供の用いる語)
㋐物を与えてくれ、また、売ってくれという命令の意を、親しみの気持ちをこめて促すようにいう語。ください。
㋑「…てちょうだい」の形で補助動詞の命令形のように用いて、相手に何かをしてもらうのを促す気持ちを、親しみをこめていう語。

goo辞書


お局様に家電をあげた数年後、お局様も使わなくなったらしく「もう使わないから返すわ」と当たり前のように言われてリターンされてきた。こちらからしてみれば、「頂戴」と言われて、使わないため あげたはずの家電が返ってきて、はっきり言って迷惑だし「今更なんで返すの?!」と若干のイラつきすら覚えた。


「貸して」ではなく「頂戴」と言ったのはお局様だ。こちらも使わないし処分待ちのものだったので、あげたもの。
そう。「あげた」のだ。


【あげる】
(長いので一部抜粋)
9 神仏や敬うべき人などに、ある行為がなされる。
㋐神仏に供える。「供物を―・げる」⇔下げる。
㋑「与える」「やる」を、その相手を敬っていう語。「洋服を―・げる」
【補説】9 ㋑は本来、敬うべき対象に物をさし上げるの意で、「犬にえさをあげる」のような言い方はしなかった。現在では「与える・やる」の美化語として使う人が増えている。

goog辞書


それをどうして、自分が使わなくなったからと言って数年後 返してきたのか。答えは簡単。考える必要もなかった。


処分に金がかかるから。


これにつきる。お局様が頂戴と言った家電は、サイズが大きく小型家電でゴミステーションに出すことができない。処分するのにお金を払わないといけない家電だったのだ。だから自ら頂戴と言ったものでも、自分が使わなくなって「処分したいな。でもお金がかかるな。」となったとき、元の持ち主に返せばいいんだわ!という思考回路になる様子。


フリマサイトで買ったけど、使わなくなったから持ち主に着払いで返送しましたが何か?といった具合か。笑


いや迷惑すぎるわ。



家電以外も押しつける


だっさい服や使い勝手の悪いカバンを押しつけられたこともある。お局様の中では、処分する手間も省けたうえに「私あの子のためにいいことした!」と己の承認欲求も満たされるので大満足かもしれないが、こっちからしてみれば趣味じゃないものや使わないものを押しつけられているので、とんでもないくらい迷惑。

それらは、フリマサイトに出品したって売れやしねぇ…。というものなので、ずっと家に居座り邪魔でしかない。もちろん、お局様だけでなくこちらも処分に困るのだ。


「使わない」「いらない」とお断りを入れても無駄。お局様は自分の思い通りに人が言うことを聞くまで しつこく迫り続けてくるし、嫌味の嵐を吹かせて人を疲弊させ黙らせるのがとても上手な人。「この人には何を言っても無駄だな。絶対に聞き入れられない。」と思わせるくらいには、しつこい。結果、誰も何も言わなくなってお局様の天下となり、不用品を押し付けられるのがいつものパターンだった。


なのでお局様の周囲にいる人間は、お局様専用のゴミステーションと化す。



とってもケチでワガママ


お局様は、とってもケチな人だった。何が何でも得をしたい!損するのは嫌!私だけが得をしたい!という意識の塊のような人。だから常に、自分が得をするにはどうするか?損をしないためにはどうするか?を考えて行動していた。「人のため」と言いながら、最終的には自分が得をするように相手を動かそうとするのが彼女の手法だ。

それらは恐らく、日頃のお局様の発言から鑑みるに、無意識の思考だっただろうと思う。無意識の部分で、自分が得をする方法を考えていたのだ。だって本気で「私は人のために考えてやっている!」と鼻息荒く、自信に満ち溢れた表情とオーラで発言しまくっていたから。


結局のところお局様の頭の中は「金」でいっぱいだったのだろう。その思考は、現職場の銭ゲバ同僚とよく似ている。



とにかく自分のお金を使わなくていいように、自分が得をするように、周囲をとことん利用する人だったなと思う。それに加えて、とてもワガママで「自分を姫のように扱え」「自分に優しくしろ」「自分を敬え」「自分を特別扱いしろ」みたいなオーラも放っていたため、非常に厄介で超絶 面倒くさかった。

よく今まで社会人をやってこれたなとある意味 感心してしまうくらい、物凄くワガママで自分勝手な人だった。それは今でも変わっていないだろうと思う。



まとめ


そのケチさとワガママさで、自分が処分したい物は人に押しつけるというやり方で楽処理・楽処分していたお局様。周囲は必要のない物だったり、ボロくなったお局様のお下がり品を押しつけられることになる。


「これあなたに合うと思うの!使って!」と言われて押しつけられた形の崩れた使い勝手の悪いだっさいカバン。

「これいいと思わない?私もう着ないからあげる!」と言って押しつけられた だっさいブルゾン。

「ここに置いておくと誰も世話をしなくて枯れるから…。持って帰って!」と言って押しつけられた植木。

「これ便利なのよ!私もう使わないからあげる!」と言って押しつけられた黄ばんだキッチンペーパーホルダー。

「もう使わないから返すわ」と言って押しつけられた、あげたはずの家電。


それら全て私にとっては必要のない物だったので、ゴミでしかなかった。お局様の家から出たゴミの数々を押しつけられた挙句、こちらで処分したといったところだ。

まだ植木が残っているのだが、できれば処分したい。植木を見るたびにお局様の数々の悪行が蘇ってきて、とても気分が悪くなる。植木は何も悪くないため、植木には申し訳ないが処分したくてたまらない。(去年枯れたのでやっと捨れた)


その植木は、お局様がどこかから株分けしてもらったものを、お局様が会社で育てていたものだった。

お局様が退職する際に「ここに置いてても誰も世話してくれないし枯れてしまうから持って帰って!うちはアパートで狭いから置けないの!ベランダも狭いから無理!あんたの家は広いんだから持って帰れるでしょ!」と言って押しつけられたものだ。


そんなに大きな植木鉢ではないのに(恐らく7号か8号くらい)、それすら置けないってどれだけ狭いアパートにお住まいなんでしょうね。


「このまま会社に置いていて枯らせるのは嫌、でも自分の家に持って帰りたくない。あ!あの子に世話をさせればいいんだわ!」といった思考だろうか。お局様の中では、世話をさせるなので「押しつけるにはなっていない」と想像できる。(そういう屁理屈を「正論」として言う人だった)

これで植木は枯れないし、緑が家にあるのは良いことだから「私いいことした!」くらには思っていそうだ。

狭いだの何だのというのは、自分が持って帰りたくない言い訳なのは分かっている。お局様はこの手の「どう考えても嘘だろ。都合のいいことばっか言ってんじゃねぇわ。」と思うことを大きな声で力強く主張していたので、イラ立ちを通り越して「またか…。」と疲れることの方が多かった。


とにかく、ワガママでケチで自分勝手なお局様は、周囲の人間をゴミステーション変わりにして自分のいらないものを処分する、迷惑極まりない行動を取る人だった。

お局様の中では迷惑ではなく「私いいことした!」という、お局様の都合の良いように変換されていたと思われる。いつも人に押しつけたあとは、とても満足そうな顔をしていたものだ。

しかし、その行動は周囲にとっては迷惑行為以外の何でもなかった。それにも気付かず満足げに笑うお局様は、ある意味 可哀相な人なのかもしれない。


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