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2021年某日、わたしは美容室で革命を起こす。

飽き飽きしていた。

見慣れた頭。ストレートの、ありきたりな焦げ茶色。アイロンで巻いても、コシのない髪はすぐに元の形状に戻ろうとする。かと思えば、一度ついた寝癖は中々とれない。極めつけは前髪内側のど真ん中に、一部分だけ天パが混じっている。こんなところに天邪鬼な性格を反映してくれるな。纏まらない寝癖と部分天パの双璧が、難攻不落の城砦を築く。うまく鎮圧できたところで、目ぼしい用事もないのだが。

出かけたい場所はあるけれど、出かけられなくて、つまらない。

代わり映えのしない、直毛ときどき天邪鬼の、つまらない頭。

スタイリングなんて高等技術も持っていなければ、出かける機会が減ってここ最近では寝癖を直すことすら面倒になりつつある。


きっかけは夫の一言だった。

「俺、綾野剛になら抱かれてもいいわ」


そういえば年始のスペシャル番組で、綾野剛主演のドラマが全話一挙放送されていたっけ。

綾野剛、それはセクシーとヤンチャのハイブリッド権化(私見)。長めの前髪からチラリと覗く、クールかつ艶やかな目元。笑うと、冷たい印象から一転して、可愛さが垣間見える。

果たして、夫は“笑うと可愛い”にめっぽう弱い。

方や、小中高とスポーツに熱中したわたしは、お色気なしのスポーティなショートカットで女としての大半を過ごしてきた。社会人になったばかりの頃は戦略的にゆるふわセミロングにしていたこともあるのだが、数年で鬱陶しくなって、バッサリと切って捨てた。髪を伸ばすという行為そのものが、性分に合っていないのだろう。実際ショートに戻したときには、家族・友人・担当美容師すべてに「似合いすぎ」と言わしめた。「中身と外見がぴったり合ったね」の「似合う」だ、たぶん。

20代も後半に差し掛かる年頃。そろそろ大人の色気、出してもいいんじゃないか?

「綾野剛みたいにしてください」


毛先。そもそも短いから1ミリも切ってない。

カラー。綾野剛が染めてないから、しない。

ただ軽くパーマをあてるだけ。見る人が見れば、美容室に行ったことすら気づかない、小さな変化。マイナー・カスタマイズ。

鏡に映るマスク姿の美容師が、これからお出かけですかと尋ねてくる。

るんるんデートや胸熱コンサート、久々に再開する友人との飲み会。わくわくイベントに向かう陽気な足取りで、美容室に立ち寄って。さらに助走をつけて、スキップ交じりに電車に乗り込む。あの高揚感が懐かしい。

美容師と揃いの白いマスクを着けたわたしに、このあと特別な行事は控えていない。スペシャルゲストに会うわけでもない。あえて挙げるとすれば、一つ屋根の下で暮らす夫に会うことだろうか。どんなリアクションをするのか、ウキウキする。彼には「わたしが抱いてやるよ」と耳元で囁いておこう。

2021年某日。退屈な日常のひとコマで起こした、自己満足の、マイナー・カスタマイズ革命。

ちょっぴり遊び心と色気を携えたクルクル頭のてっぺんで、にこちゃんマークがついた三角の幟を掲げたい気分だ。

今日はなんだか、爪先が軽い。



息を吸って、吐きます。