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2011年頃の就活

こんにちは、goroです。

私ももう35になるんですが、こんなおっさんに片足突っ込んだ私にも悩める若者たちから就活の相談がよくくるんですよね。

不思議なもんです。

ということでnoteに思い出せるものを書いていきたいと思います。

ただ、就活で使っていた手帳が見つけられず、記憶ベースの話になります。
割と覚えていますが、若干不正確になるかもしれません。悪しからず。

以下、時系列で当時の様子を記載していきます。

その中で重要と思われるトピックは後述する中で別枠として取り上げます。

※goroは理系的な学問も学んでいましたが、基本的には専門職ではなく、営業も行うような総合職の選考を受けていました。
※goroの偏見も多々あります。どうか個人の意見としてご容赦ください。


【大学3年4月】
今年から就活始まるなぁ、IT系で働きたいなぁ(ぼんやり)程度の考えで勉強とバイトに勤しむ。


【大学3年6月】
就活に向けて具体的に動いたのはここが最初。

私が通っていた大学では提携先のインターン(2週間程度)に参加すると2単位として認められる制度があった。
※あくまで大学が提携している企業でのインターンの話であって友人の中には自分で興味のある企業のインターンに応募して参加している人もいた。

ただ、提携している企業(役所もあった)は多くなく、6社程度だったと思う。

その中で多いところは5名、少ないところは2名の受け入れをおこなっていた。
合計すると全体で15名少々がインターンに参加できることになる。

学内で企業ごとに応募者を募り、枠を超える場合は成績等による審査とのことだった。

私は2名の枠の情報系企業を希望。

どのくらいの応募があったかわからないが、大学時代が人生で一番ガリ勉だったので問題無くインターンが決まった。

余談だが、この時大学とは関係なく、JR東海のインターン的なもの(1日だけの職場見学的なみたいなやつだったはず)にも応募したがこれは選考で落ちた。


【大学3年8月】
インターンに行く。

・雑用がほとんど(書類の仕分けとか)
・給料がもらえるタイプのインターンではない(大学提携なので…)
・社員にいろいろ話を聞いたが、働くことに前向きな意見が出てこない
・苦行

結論:行かなきゃよかった(単位貰えたから良かったけど)


【大学3年10月?12月?】
確かいわゆる合説(合同企業説明会)が解禁される。

リクナビとかマイナビが主催するイベントに参加する日々が始まる。

東京・大阪は楽しいけど住む場所じゃないなと感じていて、地元(静岡県)か奥さん(当時彼女)の地元である愛知県で働くことが出来そうな企業を中心に探すことを決める。

この時、合説で知った某メディア系企業の社長が良い感じだったので「職場見学は行けますか?」と聞いたら「OK」と返事をもらったので後日訪問。
会社の雰囲気も参考になったが、就活でのコミュニケーションの勉強にもなった。


ちなみに神経質なところがあるgoroは、就活が不安でこの時期とにかく予定を詰めまくっていた。
大学の単位はほぼ取り終えていただので、ゼミ+興味のある2講義しかなかったが、それ以外はほぼバイトと就活(合説/セミナー)に埋められていた。

以前にも触れたことがあるが、給付で奨学金を貰いながらでも就活の移動費が足りないのでとにかく空いている時はバイトしていた。

今思えばよく頑張っていたと思うが、次の事件が起きる。


【大学3年12月】

goro、倒れる。

大学へ歩いて行こうとしたところ、平衡感覚を失い、上手く歩けなくなる。

幸い彼女の家のそばだったので何とか駆け込んだが、嘔吐が止まらない。

結果:過労とストレスによるメニエール病となる(21歳の男性がなるのは大変珍しいらしい)


バイトは減らし、大学の教授にも事情を説明しゼミを何度か休む。

就活だけは減らせないので何とか続ける。


健康が第一であることを思い知った(いま就活で悩んでる若者も、どうか健康だけは大事にしてほしい)。


【大学3年1月】
病気の症状は全くないわけでは無いが、落ち着く。

確かエントリーシートや面接が本格化したと思う。

この時に"就活軸"なる洗脳的な響きの言葉に出会い、自分なりの軸を決める。

とりあえずピックアップしていた会社に順次エントリーシートを提出する。

買い手市場という時勢もあり、東京や大阪の就活であれば50社くらいエントリーしている人も普通にいたと思うが「そんなに移動も出来ないし、行きたい企業もそこまで多くないので10番希望くらいまでの会社に応募して、ダメだったらその時考えよう」という方針だった。


【大学3年2月】
複数社の面接が進んでいく。

SPIもあったが、おそらく重要視されないだろうと踏み、あまり勉強せずに受ける。

スケジュールとしては第一志望の選考が最短で進んでいった。

【大学3年3月】
3月20日過ぎくらいに第一志望から内々定(厳密には4月1日以降じゃないと経団連のルール違反だが…)。

3月末ごろに6番希望くらいの会社から内々定。

【大学4年4月】
残ってた会社には基本的には断りの連絡をいれた(メールにて)。

3番希望くらいの某テレビ局は選考がおもしろそうだったので継続したが、3次受けた後に連絡無しとなり、不合格。

就活終わったので京都へ1人旅へ。

以上。


【就活軸について】
そもそも就活軸という言葉の定義自体非常にあいまいである。
だが、とりあえず自分は企業選定の理由として
「ITを使った街づくり、町おこしが出来ること。人の流れを変える・つくることが出来ること」を重要テーマとした。

また、自分の強みの3要素を掲げた。
「すぐに笑顔になれること」「人の基準になれること」「懐に入れること」
確かこんな感じだったと思う。

※ここで重要なのは自分の強みが本当に強みかどうかではなく、面接官に説明(披露)でき、面接官が納得できればそれが正解なのである。

「企業の選定理由・自分の強み」これらを就活軸として決めることで何がいいかというと、どの企業にも同じようにエントリーシートに書けるし、その企業にも面接で同じようなパフォーマンスを発揮できる点です。


【合説について】
先にどうでもいい豆知識をお話しすると、合説は企業や主催者が結構贅沢にお金を使っています。
私の時は大学のある地域から合説の開催場所(東京、大阪、名古屋など)まで無料で往復バスが出ていました。
これを利用し、行きだけ無料バスに乗り合説に参加した後、その地域で遊んで帰ってくるなんてことが何度かありました(帰りは電車など)。
片道分の交通費が浮くので安いホテルとかに泊まって一泊したこともありましたね。

さて、合説ですが、一部の企業ではすでに採用が始まっていると思ってください。
私は内定をもらった後、翌年に内定先の合説に内定者として参加し、質疑応答の相手をしました。
その際に人事課長から「良さそうな子がいたらその子の参加票の右下にレ点を入れてほしい」と言われました。そのレ点がその後どう活用されるかまでは聞いてませんが、言うまでもないですね。

【学歴フィルターについて】
これも言うまでもないですが、あります。
具体的にどの大学まで許容されるかは企業によって異なりますが、良い大学に在籍している学生のESは割と簡単に次の選考に回されます(会社に入ってから実際にそういうシーンを見ました)。

他には特定の大学に在籍している学生のみ招待される説明会とか一日インターンみたいなのはありました。
あとで確認した情報では人事担当者によって選別されているそうです。


【企業側の選考の狙い】
※以下は私の主観です。もちろん企業によって選考スキームは違いますが、ざっくりとした流れです。

ES:事実上学歴フィルターです。

1次選考:この時点ではまだ候補者が多すぎる。能力ではなく短時間での人当たりの良さ、第一印象である程度勝負が分かれる。企業にもよるが人事担当者以外の社員も駆り出されるので、就活生は変に「私は御社のこと勉強してますよ」感を出す必要はない。社員からすると「こいつが後輩でもセーフだな」という印象が大事。

2次選考:ここで人事関連の人間が対応し始める。どんな人間か、どんな特徴か、どんな企業を受けているかなどを調べられる場である。
人事側からすると「上司にこの学生をどんな子か説明するための材料集め」のような時間である。

3次選考:おそらくここで人事課長クラスと採用担当者が出てくる。先に言うと次は部長・役員クラスの面接になるため、そういった人間たちに対し「人事としてはこの学生は内々定を与えてもいいと思っています」という人材を選ぶ場となる。個人的にはこの選考が一番大事だと思っている。

なお、人事側は内々定を出すからには入社してもらわないと自分たちの評価、会社の損害に繋がるので非常に困るのである。したがって、「当社の優先順位は何番か」「当社への意欲が高いか」という点が重要視される場であると思う。

4次選考:社長、役員、部長などが対応、もしくは人事と同席する場。彼らは正直忙しいので細かく学生を見る時間がない。人事担当者からの報告を聞いて、ESを見ながら気になった点を聞いてくる。
人間性をすべて知ることは不可能なので、1次選考のように短時間での印象が大事になる。(役員たちの面接対応の時間が限られている選考であるという事情もある)

【合否連絡について】
これは今も同じだと思いますが、企業は合格させたい学生には早めに連絡してきます。
あくまで人事は仕事として大量の学生の選考を進めながら面接の日程を組んでいくので、早めに決められるスケジューリングは進めておきたいものです。
2週間程度連絡がなければ不合格だったと考えて切り替えるほうがいいでしょう。

【人事のイレギュラー対応について】
私が就活で面接を受けていたのは2011年3月です。

そうです、就活中に311がありました。

私はその日も翌日も面接が入っていましたし、電車で2時間程度の移動も必要でした。

ですが、世の中は大混乱しており、電車も正常には動いていませんでした。

震災当日に面接があった企業の人事は地震の話題で笑っているような素振りがあり、かなり幻滅しました。
翌日に面接があった企業の人事は朝一に電車が止まっていて面接に間に合わなさそうという電話にも、呑気な対応でこちらの必死さを理解してもらえませんでした。

一方で、震災から一週間後にあった別企業の面接では人事担当者が「地震の時どこにいたの?ご家族も影響はない?他の面接も大丈夫だった?」など大変心配してくれました。(最終的に入社したのもこの人事担当者がいた第一志望の企業です)

買い手市場の時代ではありましたが、就活生も企業を選ぶ場ですのでイレギュラーが起きた時に誠意をもって向き合ってくれない企業と付き合う必要はないと思います。


【第一志望の企業について】
12月の合説シーズンには第一志望が決まっていました。

企業分析的なことはおこないましたが、正直それよりも過去の面接の傾向などを調べていました。
上述したような選考スキームで何を見られそうか、決定権者は誰でどのように攻略すればいいのか、我ながら卑怯なことをたくさん考えていました。

ただ、決めていたのは"わかりやすいアピールをしよう"ということです。

エントリーシートは一番に届くように最短の日付で速達にしました。
最初の1次選考は会場に来た順でグループが振り分けられ、簡易面接がおこなわれるため、開場の1時間以上前に会場に行き、先頭を確保しました。
(人事が学生のリストをまとめるエクセルがあったとしたら私の名前が間違いなく先頭に入力されていたはずです)

ちなみに一次選考ではグループわけの際に整理券が配られました。
当然私は「No.1」の整理券をもらったわけです。

その整理券を3次選考の際にスーツのポケットに忍ばせておき、人事課長が「正直うちの会社の志望順位はどのくらい?」と聞いてきたタイミングでポケットから取り出しました。

「御社に第一志望として絶対に内定を頂きたく、一次選考から1番を目指してやってきました。これはその気持ちの象徴と、お守りとして今でも大事に持ち歩いています。」と言い放ったところで、人事担当者と人事課長は声を出して笑っていました。

(このほかにも用意していった武器があり、それも使いましたが長くなるので省略します)

この時点で「人事からの内定は出たな」と確信しました。

後日内々定の連絡(面談)の日に人事と食事をしたのですが、私がその年度の内定者第一号でした。
人事に理由を聞いたところ
人事課長「面接の場であんなことやってくるのお前だけだった(笑)内定を出しても絶対に断らないだろうと思ったから」
人事担当者「早くから当社を第一志望と明言して、たくさんアピールしてくれたので、内定第一号はgoroくんに出そうと決めていました」
とのことで、効果は抜群でした。


【最後に】

他にもいろいろ書きたいことはあったのですが、長くなるのであと1つだけ。
技術職や専門職でない就活の場は、結局「人と人」とのコミュニケーションの場です。

よく就活は恋愛にたとえられますが、相手に何ができるか、相手に何を伝えたいかということを突き詰めていくことが大事かもしれません。

結局社会人になっても仕事は「人」です。どんなにすごいプログラムが書けても、どんなにすごい匠の技を持っていても、見てくれる人、買ってくれる人がいないとビジネスは成り立ちません。
仮に社内のSEでも、そのコードを理解して、世に発信してくれる仲間が必要です。

仕事は「人」とするものなので、「人に対して何ができるか」を考えると、就活も上手く進んでいくかもしれません。


みなさんの就活が実りあるものになりますように。

おしまい。

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