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第1回 国境なきラガー団ツアー in インド



国境なきラガー団 誕生

「国際支援や世界平和に貢献したい」

人生の夢として、数年前からそんな思いがハッキリしてきた。元々は「苦しんででいたり困っている人の手助けがしたい。笑顔にしたい」そう思って警察官になり、道を変えて教員となった。

ラグビーを通じて「たくさんの笑顔が溢れる場を作りたい」という想いから20年間様々な企画や取り組みを行ってきたが、部員と行った被災地募金活動や児童養護施設との交流などが最も大きな充実感と喜びを感じることができた。どんな戦績よりも誇りに思えた。

「地球には今も飢餓や紛争で人が死に続けている。食べることもままならない子供たちが苦しみながら必死で生きている」小学生の頃から少し気にはなったが、あまり目は向けてこなかった。「そんな重すぎる物事に対して自分ができることはないだろう」と思っていたのかもしれない。しかし湘南アルタイルズで行ったウクライナ募金をきっかけに、世界の彼方にいる子どもたちのために自分ができることはあると分かった。

デリーのスラム地区

教材を求めてユニセフに足を踏み込んでみると、心が苦しくなるような海外の現実をさらにたくさん知った。今までもニュースで耳にしていたであろう戦争のニュースが、今までより100倍重く苦しいものになった。現地を想像して心が苦しむようになった。大西鐡之助先生が戦争なき社会を作るために説き続けた「闘争の倫理」の価値が自分の中で大きくなった。

「仲間」「協力」「笑顔」「ラグビー」「平和」「幸せ」

ラグビーを通じて20年かけて得た様々な経験が、一つの明確な意志に決着した。これからの人生は、国際支援や世界平和に貢献したいと。

前回KISS

そんな思いから、ユニセフやUNHCRを通じて個人送金したり、ラグビー部の活動として募金活動を行ってきた。そのうち、この大きな夢を叶えるために最も有効な手段は「教員」という特権を活かして「国際支援や世界平和に貢献したいと思い、行動することができる若者を育てること」だと考えるようになった。

自分の強みはラグビーだ。ラグビーを通じて多くの人と出会い、今も繋がっている。ラグビーがあれば夢やロマンを最も語りやすい。ラグビーなら世界と繋がることができ、ラグビーなら子どもたちを笑顔にするやり方を知っている。ラグビーこそが自分にとっても最大の武器なのだ。これを活かしたい。

そんな思いから、昨年インド遠征を行った。ラグビーを通じてほんの少しだが貧困状態の子どもたちの笑顔に貢献できた気がしたとき、涙が溢れた。

昨年のツアー記

http://seiko-rugby.com/photo/album/1167392

デリーのスラム地区

今年の夏、約9ヶ月後の退職を決意した頃に「人生が大きく変わる退職のタイミングで、何となくもう一度KISS(昨年交流したインドの部族学校)に行っておきたいな」と思った。一人で行くつもりだったが、「世界の貧困層を救う」という夢を持っている前キャプテン・藤田武蔵に声をかけた。彼なら何をおいても参加してくれる確信があった。それならと次に思いついたのが一昨年のキャプテン上柳政太。無限の可能性とスケールを持ち、私が心から尊敬する若者。この活動なら彼の視野と価値観、思考の幅の拡大に役にたつに違いないと思い、声をかけた。

するとまたいつものように、ワクワク思考が止まらなくなってしまった。「毎年恒例にしたい」「インド以外にも私にとって未知の国にも行ってみたい」「自己満足でなく客観的にも意義がある活動にしたい」

気がついたらNPO団体「国境なきラガー団」なんてカッコつけて名乗り、仲間と協力者を10名以上増やしていた。

前回KISS(ホーリー祭)


NPO 団体「国境なきラガー団」

ミッション

「開発途上国の貧困層の子どもたちがより笑顔で幸せな 時間を過ごせるよう、ラグビーを通じて協力・貢献する。」

アクション

・子どもたちの笑顔が溢れるラグビーセッションを開催する。

・去った後も現地チームが進化と発展を続けられるよう、現地指導者に「指導法」「効果的ドリル」「ラグビーの精神と教育的な可能性」を伝える。

・ボールやスパイクなど、現地のニーズに応じた用具を提供する。

・団員の学生が国際協力や平和な共生社会に対する理解と貢献意欲を高める。

スタイル

・学生や社会人が無理なく参加できるよう年に1回、3〜6泊程度の活動とする。

・現地に提供する用具のための寄付を募る。

こうして「国境なきラガー団」が誕生した。

前回KISS


渡航前

記念すべき第1回の活動は昨年と同じく「KISS」という部族学校ラグビークラブの支援だ(学校の紹介は昨年の記事参照)。

インドに5年間住み、世界50カ国以上を渡り歩いた経験を持つ(柏陽高校ラグビー部)教え子の森田が「インドは旅行としては最難関国。インドを経験すれば他の国はどこもそれ以下で簡単」というほどの国。私自身も大学の卒業旅行で24年前に「これぞインド」という洗礼は経験している。想定外のトラブルが連続することが想定内だと理解している。

今年のツアーも昨年同様で同志社大ラグビーOBの藤井さんの力を借りて実現したものだ。青年海外協力隊員としてKISSに派遣されていた藤井さんに昨年は大変お世話になった。すでに約1年の任期を終えて帰国しているが、日本からKISSの上層部やコーチ陣に私たちの受け入れをお願いし、今回の派遣受け入れを実現してくれた恩人だ。知り合って1年だが大学同期で同じ九州出身。すっかり仲良くなり、花園のホテルにも激励に来てくれた。

藤井さん(前回KISS)

その藤井さんを通じてKISSサイドと連絡をとってきたが、何しろ質問に対する返信がない。返信や約束というものの感覚がインド人と日本人は真逆にあることは重々承知しているが、渡航当日になっても練習場所と開始時間が不明な状態だ。何度何を聞いても返信がなく、やっときた遅すぎるリアクションは「ok」としか書いてない。全然質問に答えてくれない・・・。こちらが「話は通っている」と思っているラグビーセッション開催というものがそもそも存在するのかという、最も根本的なところすら大きな不安がよぎる・・・。出発はもう明日なんですけど。渡航前から不安だらけ。さっそくインドだね。


Day 1

18日8時40分、予定通り羽田空港に9名が集合した。まず一つ安心。人身事故など列車トラブルに巻き込まれたり、パスポート忘れたりという致命的なミスがなかったということに大きな安堵感を覚えた。

次の不安と緊張は無事に出国できるのか。このツアーは国際線チケット・国内線チケット・ホテル予約は全て私一人で7人分行ったのだが、搭乗券氏名のスペルがパスポートと1文字でも違えば無効になって飛べない。7人分の手配をした責任と緊張は予想よりも遥かに大きかった。費用を少しでも下げるために代理店を使わずに自力で7名分取ったことをちょっと後悔。費用ちょい増しくらいなら次からは代理店を使って安心を買おう。

しかしこの不安も無事に消え、搭乗1時間前に無事に出発ゲートまで辿り着くことができた。11:45、なんのトラブルもなく順調に羽田を飛び立った。また大きな安堵。このツアーは不安と安堵を何十回と繰り返していくのだろう。

前回は香港トランジットのキャセイパシフィック航空。個人的には信頼している乗り慣れた航空会社だったが、今回はJAL。しかも直行便。しかも羽田。さすが安定感と安心感が全く違う。唯一誤算だったのは、動きやすい気がして最後尾の席を予約したこと。揺れはひどいし、機内食は品切れで選択の余地がないし。

9時間半のフライトの後、現地時間6時過ぎにデリー国際空港到着。無事に出国するとゲート外はいつもの光景だ。「タクシー?」と手招きする胡散臭い詐欺ドライバーたちでごった返している。しかし今年も心配は一切不要。サブローさん(詳しくは前回記事参照)が集めてくれたデリー日本人ラグビークラブの方々が、車(会社が雇っている運転手付き)4台で待っていてくれた。

今年も準備段階からサブローさんにはかなりお世話になっていた。アマゾンインディアでKISSへのプレゼント用で買ったスパイク35足はサブローさん邸で受け取って保管してもらっている。この夜も昨年同様の懇親会。デリー日本人ラグビークラブに所属する駐在員や起業家など実に魅力的な世界で活躍する大人たちとの交流だ。その会場となるサブローさんマンションに向かった。

1年ぶりの運転手さんと再会

スリリングな運転。当たりそうで当たらないのが不思議、と思っていたら、やっぱり当たった。明らかに凹むほどの衝撃でゴツんと。日本だったら警察を呼んで物損事故処理となるため、1時間近く足止めを食う。しかしここはインド。当てたこちらの運転手が当てられた側の運転手をまくしたてておしまい。その後も命の危険を感じてしまうようなスリリングなドライブを味わい、19時にサブローさんのマンションに到着した。助手席に座っていて本当に怖かった。

デリー日本人ラグビークラブの方々と合流して懇親会が始まった。起業家や駐在員としてこのインドの地でビジネスマンとして活躍している魅力的な大人ばかり。職種もコンサルティングからNHK、なんとMLB(メジャーリーグベースボール)まで様々。団員にとっては、「世界で働く」「海外のローカルに貢献する」「貧困層に対する自分流の国際支援」などについての生きた知識を学ばせていただくことができた。日本人としての振る舞い、現地インド人労働者や物乞いなどに対してどう考えどう対応しているのかなど、人として真摯に誠実に生きる国際人の方々のお話を聞かせていただいた。

サブローさん

ラグビーの人間は例え知り合いでなくとも世界中どこに行ったって手を差し伸べてくれる。見返りのないサポートと、おもてなしをしてくれる。ラグビーの不思議で魅力的なカルチャーだ。懇親会中のスピーチでも「恩送り」という言葉が出たが、ここで受けた大きな恩は、まずは今回のミッションであるKISSの子どもたちをたくさん笑顔にすることで返したい。そしていつの日か、この団員が今後は手を差し伸べてサポートをする側として、今回の御恩を新たな誰かにつなぎたい。

23時過ぎ、デリー日本人クラブの皆様の車で送っていただき、ホテルに到着。Booking.comで予約したホテルはウェブ上の写真イメージとはかけ離れたクオリティー。安かったので元から期待はしていなかったが。チェックインでも駐在員の皆さんに助けてもらい、何とかかんとか部屋に入ることができた。事前に身分確認の意味でクレジットカード情報をチェックされていたのに、まさかそのカードが使えないとは・・・。サイトを通じて「ダブルではなくツインで」とリクエストして「OK」と返信があったが、予想通りのダブルベット。お湯が出ないのは想定内だったが、時間によっては水すら蛇口から出てこなかったのは想定以上。団員の1人が部屋の鍵がないので要求したら、全部屋が空いてしまうマスターカードキーを渡された。。。夜中1時に就寝。しかし夜中の2時や3時にやたら廊下で騒ぐヒンディー語の声がうるさすぎて何度も起こされるが、耳栓のおかげで何とか眠りにつくことができた。


Day 2

朝7時、「朝食は部屋に届けるよ」という約束は10%も信じていなかったが、「昨日そう言ったよね?まだ来ないのか?」とフロントで押してみたら何と届いた。奇跡のオムレツサンド。塩味が強いが、十分に美味しかった。

8時、ウーバーに分乗にして空港へ。昨年も思ったが、ウーバータクシーというシステムを作った人に心から感謝。いちいち交渉して乗っていた25年前のインドとは移動ストレスが全然違う。空港内も「9人がトラブルなく進む」のは中々の不安と緊張を伴う。手荷物預け、荷物チェックなど何とか全て通過し、ビスタラ航空でデリーを飛び立った。

13時、無事にブバネシュワル空港到着。昨年は灼熱だったが今年はやけに涼しい。時期的には昨年よりさらに暑いはずなのに。ウーバーでタクシーに乗ってホテルへ。このツアーを大きく左右する絶望的な不運がここから訪れた。突然降り始めたスコールのような大雨。このままでは午後の練習の開催が不安だ。日本から遠隔サポートしてくれている藤井さんに連絡をしたところ、「雨は強くパッと降ってすぐ上がるから大丈夫。まだ練習まで2時間あるし」という回答だった。

しかし雨は上がらなかった。もちろん?現地コーチAにはメッセージで何度中止か決行か質問しても(想定内の)既読スルー。藤井さんが現地の子どもたちに直接メッセージで確認してくれて、中止になったことが分かった。落雷で地面が揺れるような激しい豪雨。4回しかないうちの1回を失い、大きな落胆を覚えた。

18時には雨がすっかり上がっていたので、それぞれホテル周辺の街の散策を楽しんだ。その後全員で夕食。昨年発見していた美味しくて安くて腹痛を起こさない現地食堂で親睦を深めた。その後はそれぞれ夜の街を楽しみ。この街はKIITという高等教育機関の大学生たちでごった返す学生街。田舎だが首都デリーよりは安全な雰囲気だ。

明日こそ雨が降らずに練習に参加できますように。そう願うが、天気予報がとにかく悪い。ほとんどが灼熱の晴れ続きのはずの時期なのに、よりによって私たちが滞在する3日間だけがなぜか雷雨続きの天気予報になっている。

デリーの「水しか出ない」シャワーから一点、私の部屋は「火傷しそうな熱湯しか出ない」シャワーだった。翌日聞いたところ、水しか出ない部屋、両方出た部屋、水も出なかった部屋など様々。地元ではかなり高級で安全な部類に入る立派なホテルだけど、これが普通と昨年理解していたので笑って受け入れるだけ。


Day 3

ブバネシュワル2日目の朝5時は雨。6時には豪雨。6時から8時に予定されていた練習はまたしても中止(もちろんAから連絡はないけど・・・)。何のためにここまで来たのかという大きな失望感に襲われるが、コントロールできないことに心を乱しても仕方がない。でもやっぱり凹む。参加者にとって少しでも意義のあるツアーにすべく、今できることを考えるしかないのだが。これも人生の縮図だ。

気持ちを切り替えて、みんなで大きなショッピングモールへ。ウーバータクシーは人生史上最高のスリリングで危険な運転だった。ゲーセンのカーチェイスゲームの実写版か。命の危機を感じ続ける20分間だった。ホントやめて。

藤井さんから教えてもらったショッピングモールは、何とも高級で安全安心なモールだった。1時間半ほど各自で買い物を楽しみ、昼食はモール最上階のフードコートへ。いい気分転換ができた。

気になる空は曇天。このまま持ちこたえてくれれば、午後はやっとラグビーができるのでは。そんな淡い期待はすぐに崩れ去った。帰りのタクシー乗車中に再び雨が降り出し、練習開始時間の3時には本降りになっていた。落胆、失望。そして「これでもしも明日の朝も雨だったら」という深刻な危機感も生まれてきた。灼熱の晴れが当たり前の季節にまさかの雨続き。日本協会の愛ちゃんと麻衣ちゃんと話し、このまま部屋で時間を潰させる訳にはいかないと、緊急ミーティングを行うことに決めた。

15時30分、ホテルの食堂を借りてミーティングを行なった。テーマは「大学時代の目標」「将来の夢・ビジョン」という壮大で実に堅苦しいもの。それをぶっちゃけた感じのフランクなノリで、みんなで質問し合いながらおしゃべりしましょうよという会だ。ここにいる私含む3人の社会人は、いわゆる一般的な会社員では全くない。大学時代に日本一を争う体育会運動部での生活に没頭し、卒業後は転職したり海外に行ったりもう一度勉強し直したり、積み上げた経験から自分を再発見し、その時々の思いに従ってあまり普通ではない人生を切り拓いてきたという共通点がある。そして辿り着いた先が「スポーツを通じた国際協力・国際支援」だ。「国境なきラガー団」の活動に興味を持って参加した学生7名に対し、もしかしたら今後の進路や人生のアドバイスができるかもしれない。そんな思惑で、このミーティングを行なってみた。

この企画は想像以上の大成功だった。一人ひとり順番に発表し、それに対して質疑応答するスタイル。「え!そんなこと考えてたの?」6年付き合って何もかもを分かり合っていると思っていたのに実は全く知らなかった仲間の想いも知った。日本協会の2人は大学時代から今日に至るまでの自分の生き様や想いを、若者たちに真っ直ぐに熱く伝えた。私には「実は先生に聞きたかったこと」の質問コーナー。「あのとき」シリーズ、「もしも」シリーズ。過去に対するタラレバ話なのに、なぜか意義が大いに感じられる不思議な本音大会だった。

「真面目なテーマを明るく軽く雑談のように」とイメージしていたミーティングだったが、思ったよりも遥かにピュアで真っ直ぐ、そして熱くて重みのあるものになった。1時間程度かと予想していたのに、気がついたら18時30分。約3時間もみんなで真面目に白熱した時間を過ごしていた。「こんな話なら夜中までいけるわ」の感想も。

19時、雨がすっかり上がった街へ出て夕食。元々はバラバラに手を挙げて参加した9人。先ほどのミーティングで尊敬し合える「ワンチーム」になった実感があった。そんな訳で今日も夕食は9人で。安定安心の昨日のお店に入り、昨日とは異なる組み合わせで座った。テーブルによって話は様々。若者らしい浮いた話を楽しむテーブル、ミーティングの延長戦のように熱くて重厚な話を楽しむテーブル。実にいい雰囲気。もう明日が最後と思うと、お腹を守る意識は弱くなってきた。露天のチャイ屋でみんなでチャイを飲み、ホテルへ帰った。

明日が最後のチャンス。天気予報は3日ぶりに晴れ。明日こそは晴れると信じている。インドの神様。この素敵なチームに最後くらいは運を恵んでください。


Day 4・5

夜中の1時〜3時にホテルの1Fからか、爆音の音楽が響き渡る。踊ることが重要な娯楽となっている国。夜通し踊っているのだろうか。「この時間にホントやめてほしいわ」と耳栓をつけても、1時間ごとに音楽や犬の声に起こされる。

5時、諦めて起床。こんなにも寝られなかったのに、頭が冴えている。なぜならついにラグビーができると信じているからだ。晴れを信じて窓の外を見てみた。雨は降っていない。が、かなりの濃霧。「中止」の理由になりはしないか。またも緊張と不安が生じた。

5時45分、ギフトとして持ってきたボール25球とスパイク35足、ビブス30着を持って出発。前夜にAから知らされたCampas13ラグビーグランドへ向かいながらも、不安は払拭できない。「霧で中止」「別の理由で中止」「実は元々練習がない」「グランドが違う」様々なことがありえた。現地スタッフに何度確認しても信じることができないのがここインド。不安で不安で仕方がなかった。

Aから知らされていた開始時間の6時ジャストに到着。日本であれば練習開始のせめて15分以上前には到着しているのが当たり前。しかしここインドは「6時開始」は叶える気もない努力目標にすぎない。藤井さんからは6時開始なら6時15分くらいにポツポツ集まり始めるよと聞いていた。大きな不安を抱えながら待った。

6時15分、誰も来ない。6時20分、Aに電話しても出ない。SNSのメッセージは既読無視・・・。6時30分、不安と恐怖は怒りに変わり始める。6時40分、絶望と失望。

誰も来ないグランドで

6時45分、2台のバイクはグランド前の道路に悲しく仁王立ちする私に向かって走ってきた。明らかに私の目を見ている。「来たか!ついに来たのか!」ビンゴ!ラグビーのコーチに間違いない2人に挨拶をすると同時に、強く抱きしめてしまった。

「Another ground!」そうかそうか!Aから違うグランドを言われていたことも、既読無視で絶望の時間を過ごしたことも、もはやどうでもいい。絶望のどん底からの奇跡のような生還。安堵と感動。コーチに誘導されて約15分歩き、昨年も訪れた陸上競技場に到着した。

すでに7時10分。会えた!ついにKISSの子どもたちに会えた。すでに練習をしていた子どもたちの数はざっと100人強程度か。濃霧が影響したのか、6歳〜10歳程度の小さな子どもたち100人くらいはオフになっていた。想定よりも年齢カテゴリーが上の子どもたちへのセッションとなったが、もうどうでもいい。やれれば100点の気分だ。

現地コーチたちは私たちに全てを委ねてくれた。「Aso!」オリヤ語でたぶん「集まれ」の意味。KISSの子どもたちを集めて挨拶をした。一人ひとり名前を大きな声で伝えたが、「I’m Musashi!」のコールで子どもたちは「Ohhh! Musashi Musashi!」の大盛り上がり。1年前にMusashiが残した好印象は、KISSの子どもたちのしっかり残っていた。おかげで場の温度が一気に上がった。ここにいる子どもたちの普段の練習通り年齢性別ごとにグループ分かれてもらったところ、ちょうど6グループ。ラガー団の参加学生6名がそれぞれのセッションを行った。

3度続いたまさかの雨天中止の落胆。今日こそはと意気込んでいたのにグランドに誰も来なかった不安と失望。そんな絶望の淵から生還したような1度きりのグランドセッション。6名それぞれがあとで反省して修正することができない1回勝負のコーチングを行った。

今年もKISSの明るく優しく、どこまでもピュアな子どもたちにコーチたちが救ってもらった。夢の時間はあっという間に過ぎ去り、8時50分にグループごとのセッションを終了。昨年同様、7対7のタッチフット対決をこちらから挑み、今年も見事に蹴散らされて完敗を喫した。
その後は日本から持ってきたギフト「中古ボール25球(湘南工科大学附属高校からの寄附)」「新品スパイク35足」「ビブス30枚」「空気入れ5台」「カラーマーカーセット」を贈ることができた。

練習後は子どもたちは朝食を食べてから授業に向かう流れ。しかし、僅か90分1回関わっただけの日本人コーチたちに対し、解散後もいつまでもいつまでも「帰らないで」「まだずっと居て」「寂しいよ」と慕っていた。そんな子どもたちに「Goodbye」とはは言えず、「See you next time」「We’ll come back again」と応え続けた。オリヤ語の子どもたちにこの英語が通じているか分からないけど。

最後はKISS体育局のボスであるルドラさんがわざわざ足を運び、挨拶にきてくれた。「来年以降は直接私に連絡をほしい。ホテルではなく学校の寄宿舎に泊めるし、食事も手配する。学校見学やKISSの教員や生徒と話す機会などを含めて、7日間のコースを作って迎えるよ」と言ってくれた。重役からの大変光栄で嬉しいお言葉だ。2ヶ月前から藤井さんも私も何度もルドラさんにメールしたのに返信がなかったんですけど・・・というのが事実だが。


帰りはホテルまで初めてのオートリキシャー。ウーバーを使って呼んだが、1台3人乗客が基本のリキシャー。とはいえそれは基本で、お金を積めば何人だって乗せてくれる。昨年同志社メンバーから聞いた話では最大8人乗っている強者を見たとか。そんな知識があるので、運転手に交渉して100ルピー(180円)追加で払うから5名乗せてくれと交渉して成立。5人ぎゅうぎゅう詰めリキシャーでホテルまで帰ることができた(2人は膝の上)。

10時前、ホテル着。その後のトラブル想定を考えると、思ったよりも余裕がない。朝食を放棄し、ホテルから空港へ向かった。空港の入場検査、荷物チェックなど全ての不安な関門をトラブルなく突破し、1時間遅れとなったビスタラ航空雨でデリーへ。デリーの空港内で日本協会の愛ちゃんと麻依ちゃんとお別れ。この2人がツアーに帯同してくれたのは、本当に心強かったし、私たちにとって学びが多かった。心の底から感謝。せっかく9人がワンチームになれたのだから、またいつか会いたいね。

19時、入国審査を経て空港内でお土産購入。団員は最後の時間を食い入るようにまとまり、何かにつけて楽しそうに笑い合っている。

「また来年も参加させてもらえますか?」という質問が嬉しい。4回中3回も練習が中止になるという想定外の不運と向き合ったツアーだったが、真剣なミーティングや食事などを通じて国際支援や世界平和に対する意欲を高め、1度きりだったラグビーセッションで大きな充実感と感動を得ることができた。「もしもあと3回セッションがあったなら」というタラレバは、次への意欲に繋がった。

朝7時、羽田着。昨年とは異なり、意外にも強い腹痛や発熱(急性胃腸炎)は無し。ツアーを走り抜けた充実感と、4分の1しかセッションを開けなかった「まだやりたい」感を胸に、第1回国境なきラガー団のインド遠征は幕を閉じた。


参加団員の感想

上柳政太

自分自身、この活動を通して感じたことは二つあります。

一つ目は、とにかく子ども達が笑顔で、心の底から「ENJOY RUGBY」を体現していることです。経済的に苦しく、スパイクすら買えない。そんな中でもボール1つを仲間で囲い、とにかく笑顔でラグビーを楽しんでいる姿が印象的でした。

また、自分たちがコーチという立場で活動しましたが、常に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えてくれました。日本に比べると、環境的に裕福とは言えませんが、どんな環境でも人は心の在り方で「幸せ」と思えるということを学びました。

二つ目は、ラグビーを通してひとつの仲間になれたことです。育った環境、文化は違います。しかし、そんなものは関係なく、グランドに着いた瞬間から目をキラキラさせて彼らから挨拶へ来てくれました。

そして何より、練習中は彼らと一緒に「幸せ」を分かち合える時間となりました。本当に「この子達に出会えて良かった」と思うことができ、何かひとつの仲間になれたと思いました。

自分は今まで、ラグビーを通じて多くの出会い、経験がありました。しかし、それは日本国内での出来事でしかないと感じました。今回、国境なきラガー団としてインドの貧困地域で活動しましたが、ラグビーを通して今まで関わることのできなかった子達と同じ「楽しい」時間を過ごし、ひとつの仲間であると思いました。

小野洋敏

まず最初にデリー空港を出た直後に、空気が濁っていることと臭いが私には強烈すぎました。正直、あとこの環境で4日は嫌だと率直に思いました。

インドに在中の日本人の方からは自分自身がまだ経験したことのないお話をしていただき、これからの人生でためになるお話をしていただきました。さらにラグビーを通して共通の知り合いの方がいたりと、いい意味で世の中狭いと感じました。

ブハネシュワルについてから天候に恵まれずラグビー活動ができなくて、もどかしい気持ちでいっぱいでした。ですがホテルのミーティングで聞かせて頂いた、皆さんのこれからの将来やマイさんアイさんゴロウさんのこれまでの経験談を聞けたのは中々ないことなので良かったです。私が1番最初に話しましたが、そのあとの皆さんのお話は自分よりも内容が深く、考えており驚きました。自分も将来について見つめ直すいい機会になりました。皆さんありがとうございました。

最終日の朝は念願のラグビー活動ができました。グラウンドは違うと言うトラブルはありましたが無事開始することができました。私は男子の18歳から20歳を担当しました。最初からインドの子たちは私を笑顔で受けていれてくれてとても嬉しかったです。ラグビーの練習を一緒にしていく中で、面白いことが起きたらみんなで笑い、ミスをしたら必ずアドバイスをし、いいプレーができたらみんなで褒め合い、最高の雰囲気で練習をすることができました。言語、文化、肌の色、目の色、環境など違いますが、ラグビーが一つにしてくれました。心の底から気分が良かったです。

私は最初にこの環境で4日は嫌だと思っていましたが、彼らと一緒にラグビーをしてそんな気持ちは吹き飛びました。もっとここにいたい。もっとラグビーをして交流を深めたいと思いました。ここで経験したことは日本では絶対にできません。今回の活動で、自分がどれだけ恵まれた環境で生活できていると言うことを再認識することができました。今回の活動は、私の今後の人生大きく影響すると思います。国境なきラガー団を誇りに思います。ありがとうございました。

鈴木孝彦

砂埃とほのかなスパイスの香りが漂い、車のクラクションが鳴り響く。日本とは大きく異なる環境は刺激的かつ有意義な時間だった。そんな環境で生活する現地の子どもたちとラグビーを通して、感じたことをまとめる。

 子どもたちのラグビーに対する熱量はものすごいものだった。これはグラウンドに入ってすぐわかった。ただ純粋にラグビーを楽しんでいるということを感じた。私は子どものスポーツ教室をやっているが、日本の子どもにはこのような熱量は感じられない。インドの子どもたちは常に笑顔で楽しく、我々に対する感謝を忘れていなかった。このような点を意識しているのかはわからないが、結果として私にはその熱量が伝わった。またそれに負けじと私も彼ら以上の熱量で接することができ、時間はあっという間に過ぎた。

 正直、ラグビーが一日しかできず、残念な気持ちがある。予定通り実施できていればもっと現地に置いていけるものがあったと考えると悔しい。だが私はあの数時間でできることは最大限やったつもりだ。今回インドの子どもたちから感じた熱量は日本ではまだ感じたことがない。教育者を目指す私として、あのインドの純粋で楽しむ子どもたちの姿、熱量を再現できる、そんな教育者になりたいと感じた。

立山一希

今回の活動の募集がかかった時、逃すわけにはいかないと思い、親を説得して応募させてもらいました。実際に、現地の子どもたちにラグビーをコーチングできたのは最終日の1回だけでしたがその1回の練習は経験したことのないとても濃いものでした。

まず、私たちがグラウンドに着いた途端、子どもたちが目をキラキラさせて眩しいくらいの笑顔で私たちに寄ってきてくれました。挨拶をして練習を始めるとすぐに年齢も性別も関係なく全員がラグビーを好きなのが伝わり、ラグビーをしている子どもたちにとって1日の中で本当に幸せな時間なものなんだと感じました。

それは、自分や今回活動に参加した仲間をはじめとした日本で携わってきたラグビー選手からは感じ取ったことがないほどのものでした。また、これまでプレイヤーとしてだけでしかラグビーをやってこなかった自分が「コーチ!コーチ!」と呼ばれながらラグビーを教えていて一緒に楽しんでいて、ラグビーやスポーツの繋がりを子どもたちからより実感させられました。

自分が将来やりたい活動と似ていて、その活動のための学びになると思って参加した活動。ここには書ききれないほど感じたもの、経験でした。今後もこういった活動に携わり自分の活動に繋げていきたいです。

藤田武蔵
昨年度もこの活動に参加しており、今回は2度目のツアーでした。前回のツアーでは、KISSの子供達に学ばせてもらうことの方が多く、「彼らにもっと良いものを残せたのでは」と心残りがありました。そのため、前回よりコーチングのゴールを明確にして望みました。

天候が優れず、1回の練習しかできませんでしたが、自分が考えてきた伝えたいことは全て伝えられました。今回のツアーは、雨が多かったため、現地の出店やショッピングモールに行く機会がありました。前回のツアーでは分からなかった、現地の方の暮らしや食べ物の味、インドのことをよく知ることができました。

私の夢である貧困を無くす活動に活かしていきたいと思います。本当に学びのあるインドツアーでした!!

川井錬士朗

僕はこのインド研修を終えて、ラグビーで人と人繋がることができることを学びました。1日目、デリーに行き、日本人のラグビーチームの方達とご飯を食べさせていただいて、やはり彼らも、ラグビーを通じて、仲良くなったとのことでした。

また、1日目デリーのホテルに泊まり、インドでの当たり前を経験しました。インドは日本のようには約束を守られない国とよく吾朗さんから聞かされていて、ホテルがツインの予約のところダブルの部屋に通された時、吾朗さんの言っていることがほんとなんだなと実感しました。
2日目、インドの貧富差の最底辺の地域である、オリッサ州はブバネシュワルに行きました。そこは確かにスラム街もあり、インドの空港の近くのビルが立ち並ぶ街に比べたら、やはり、貧富の差はあるんだなと感じました。しかし、二日間降り続いた雨の影響でラグビーを教えることができず、最終日だけのセッションとなり、子供たちの印象もわからないまま教えていました。英語も伝わらなかったし、自分が実演しないと何を言いたいのか彼らはわからなくて、いいコーチングができなかったが、子供たちが自分の言いたいことを汲み取ってくれて、ラグビーを楽しんでいるのをみて、ラグビーは世界の誰とでも仲良くできる最強のツールなのだなと実感しました。


 国境なきラガー団は派遣国を変えながら「年に1回」の超短期ツアーを継続していくつもりです。活動費は自腹が原則ですが、派遣国に贈る中古ラグビー用具や練習用具代などご寄付いただけると大変助かります。また、運営の協力や組織とのリンク、新しい派遣先の開拓へのご協力などいただけると大変助かります。松山までお気軽にご連絡ください!

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