見出し画像

手話を覚える

高校2年の時に指文字を自分で考えていました。指を伸ばすが1指を曲げるで0。32種類を表現できます。「あ」から「ん」まで全部自分で決めたのですが、これをどう使うか、誰かに教えてコミュニケションしなければならない。そんなある日、下校中の電車の中で手を使って会話をしている人を見つけました。とっさに筆談でそれを教えてくれと頼みました。電話番号を教えてもらい、あとで電話しました。20歳ぐらいの男性だったと思います。電話をしてお母さんが出たのですが、その人の家に行って、教えてもらう事にしました。

つんぼというのは差別用語でろうあ者と言いなさいと教わりました。

その時代、まだ手話は全国で統一されておらず、方言というか、人によってバラバラでした。

その後、時代は流れて、本が出版されるようになり、テレビ番組で手話を学ぶこともできるようになりました。

大学へ進学すると、手話サークルに入部しました。ろうあ者も3名いました。その3人と麻雀もしました。麻雀用語も手話で覚えました。3人は手話で楽しく話しをしていましたが、僕だけが手話がわからず、その時ぼくはつんぼになってしまったのです。

市役所にも手話サークルがあり、そこにも参加しました。後輩の女の子、小沢さんと行きました。そこで、保母さんを目指している、三浦一果さんと出会いました。27歳ぐらいまで友達として付き合っていました。

手話サークルでは人数が増え、女子高生まで来るようになりました。その女子高生が僕の事を好きになったのです。津田成子さんです。ほんの少し付き合いましたが就職と同時に別れました。卒業して神奈川県の手話通訳試験の結果が出て合格おめでとうの電話が最後だった。

社会人になってからは三浦一果さんと付き合うようになったのです。手話の勉強は続けていったが、縁が段々と薄れていくのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?