幼少期~現在につながるストーリー①

3人姉弟の真ん中長男として生まれた私は、なぜか、
小児喘息
アトピー性皮膚炎
アレルギー性鼻炎
などを持ったちょっとひ弱な男の子でした。

今でも記憶にあるのが、幼稚園児のとき、夜間に突然の発作がでて父に抱きかかえられながら救急病院に担ぎこまれました。
そこから中学生ぐらいまで病気持ち男子として生活することになりました。

そんな病弱な孫を見かねて、実家に同居していた鍼灸師の祖父が、体調が良くない時に治療をしてくれるようになり、悪いなりに体調を整えてくれていました。

私にとってこのおじいちゃんが、父以上に一緒にキャッチボールをしてくれたり、ドラゴンボールの映画や○○レンジャーショーに連れて行ってくれたりと自然とおじいちゃんの背中を良く見て育っていきました。

そんなおじいちゃん子であった私が治療家、鍼灸師を目指すのは自然な流れだったかもしれませんね。

おじいちゃんの存在が治療家奈良大吾郎を作ったわけですが、今こうして独立して一人で経営をするという選択をしたのは、やはり父の存在かなと思います。

私の父は出身がマレーシア。中国系のいわゆる、華僑。
華僑の人は独立心が強く、個人でビジネスする人が多い。
父は留学生として来日し、母と結婚。
現在も車の貿易会社を経営しています。
父方の祖父はマレーシアにいましたから、ほとんどあったことはないのですが、やはり個人で自転車屋さんを営んでいたそうです。

このおじいちゃんが凄いのは11人子供がいたというので衝撃。

つまり私には父方のおじさん、おばさん、が11人いるってこと。
私自身も全員のことは良く知らないのですが・・・いとこも何人いるのやら・・・

そんなこんなで、父も祖父もいわゆる会社員ではなかったので、子供の頃から会社勤めのイメージはほとんどなかったのは幼少期から父や祖父を見ていたからなんだなと思います。

さて次回は『中高から大学は世界へ』というお話です!!



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