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人生の振り返り(中期)

目次
高校1年生
高校2年生
高校3年生

高校1年生

・中学の頃の厳しい部活からの解放
・人生全てがうまくいっていた

・中学の頃の厳しい部活からの解放
中学生のときは毎週のように走りの練習があったりなど厳しい練習をこなしていた。そのため当時はこの地獄のような日々から解放されたい気持ちでいっぱいだった。あとは正直全力でやりきった感があった。だから高校ではほどよく楽しみつつ、サッカーができればいいかなという感じでいた。そこで入った高校サッカー部。案の定最初のうちはとても楽しかった。また当時の顧問が技術をうるさく言う人だったので全く走りなどはなかった。そのため行う練習も新鮮だったし、チームのレベル感もそこまで高くなくほどよく楽しかった。こんなに一年生の最初からボールを触れるんだとまで感動をしていた。

・人生全てがうまくいっていた
高校受験をほぼ勉強せず、推薦の練習だけしてそこそこの高校に入学した。周りの友達の中には自分よりも勉強しているにもかかわらず、自分の入った高校に落ちている人もいた。だから自分は特別だと勘違いしていた。先生からも気に入れられ、受験もうまくいき、サッカー部やクラスの中でもそれなりの位置いた。だから成功体験しかなかった。人生イージーモードだったのだと思う。可もなく不可もなくって感じだから心地よくただ普通に楽しかった。だから人生において普通に過ごすことがとても大切だった。

高校2年生


・自分が1軍にいることを自覚する
・高校で一番好きになった人に出会う

・自分が1軍にいることを自覚する
高校2年生のときのクラスが自分の人生で一番充実していたクラスだと思う。ザ青春って感じ。2年になりたての頃、自は学級委員のようなポジションになり、最初はクラスがあまり仲良くないということでもう一人の学級委員と仲良くなろうの会をシェーキーズで開いたりしていた。この会の目的としてはウェイウェイやっている軍団とそれ以外の人たちの中に格差みたいなものが存在しつつあったからこれを埋めようというものだった。この時に自分は埋めようと思いつつも1軍なんだと意識しはじめる。その後、このクラスは文化祭でのダンスや音楽祭などを通じてめちゃくちゃ仲良くなった。修学旅行とかまじ懐かしい。とにかくなにかを企画してはなにかを開催し、自分たちで楽しむことを常に行なっていた。クリスマス会や河原で水風船で遊び、花火をして大騒ぎをしたり、誕生日の人にはガンシューをして生卵を投げつけたり、バレンタインではクラス全体で手作りのチョコをみんなで食べた。ホワイトデーには男子全員でチョコを作った。最後の球技大会も大騒ぎだったな〜。定期テストで焼肉をかけたり、大富豪は1000回くらいやった。とにかく騒いでいたと思う。よくシラフであんなことをしていたなと今でも思う。

・高校で一番好きになった人に出会う
この時に当時このクラスにいた女の子と付き合うことになる。冬頃だったと思う。突然その子からラインがきてラインをしはじめることがきっかけとなる。その子は男子としゃべることが苦手だったらしくそれを気にした友達が俺で練習させようとラインさせたらしい。何回かラインをしていくうちに意識しはじめて、ご飯に誘うことにした。お昼に吉祥寺のポムの樹にいった。大盛りのオムライスをかっこつつけて頼んでしまい、お腹が痛くなったからよく覚えている(笑)その後その日のうちに下北沢に古着をみに行こうと約束して、すぐに古着巡りデートをした。その後は修学旅行などで最終日の夜中にオールで電話したりして仲を深めていき、よみうりランドのイルミネーションで告白した。クラスでも1軍、サッカー部キャプテン、彼女もでき、順風満帆そのもの。相当調子に乗っていたし、ずーっとぬるま湯で最高の気分だったと思う。

高校3年生

・顧問の交代
・大学受験を本気でやってみたい

・顧問の交代
自分がサッカー部のキャプテンとして一番大変だった時期はこの時期である。今までの顧問の先生が部員に暴力行為を行なったとして、(実際は胸ぐらを掴む程度だが)親から批判の嵐がきた。これまでも練習時間が長いや勝手に申請なしで合宿に行ったりなど数々の批判はされてきた。ただ今回の件で顧問の交代にまでいたってしまった。もちろんこの交代までの期間もキャプテンである自分はなんども副校長先生に呼ばれ、状況を聞かれるなどしたから大変な思いはしていた。ただ本当に大変だったのは顧問が変わったあとだった。変わったことによって今まで無意識に行なっていたことがタブーになったりすることによって今度はプレイヤーから文句の声が出てきた。実際ここには矛盾を感じていた。親は前の顧問を批判をし、息子たちは今の顧問を批判する。結局なにが良いのかわからず、気づけば自分は勝つためにどうしたらいいかなどは一切考えず、なにも音沙汰なく誰に怒られることもなく時間が過ぎることだけを考えていた。現代日本の仕事嫌いなサラリーマンみたいな感じ。自分がどうしたいなどは一切考えず、スムーズに進行していくことだけを考えていた。でないとパンクしてしまいそうだった。高校に入りたてに比べてサッカーがいつしか楽しくなくなって、ただの仕事みたいになってしまった。

・大学受験を本気でやってみたい
きっかけは高二の冬頃だった。中学の頃に通っていた先生から突然連絡がきて塾に行った。そこでは古典の助動詞をみんなやっていたが、自分は助動詞をこのとき初めて知った。ここは最初の衝撃だった。みんな高校は違うと言えど、進み具合がここまで違うのかという衝撃だった。ここから自分もやらなきゃと思い勉強をスタートさせることになった。ただ第一志望も決まっておらずただ焦りから勉強をスタートさせただけだった。毎日部活後塾に通い、眠気を抑えながら、ただひたすら自習室に通った。ここの毎日は自分に褒めていきたい。ただ勉強していただけなので、なんとなくやっていたら気づいたら高校3年生を迎えていた。高三になってからも最初のうちは部活があり大変だったが、部活はしんどかったこともあり、すぐに引退した。5月くらいに引退してから受験を本気でやろうと決意した。決意してから勉強時間は増えていった。朝もはやく学校に行って、自習をし、学校を終えてすぐに自習室に向かうそんな日々だった。毎日しんどかったけれど、部活と違って自分のためだけに行動できているのが幸せだった。部活のときは自分のことよりもチームのことを最優先していたからこそ、この感情が生まれたんだと思う。しかし、冬になり、過去問をいざ解いてみたところ絶望。どうやってこれを解くんだ?と不思議にすらなった。ここらへんから浪人がちらついてきた。あー浪人だとなんとなく感じ始めた。つまり諦めていた。現役で諦めた人間が浪人で受かるわけがない。でもこのときはあと一年もあれば余裕だと思っていた。こんな甘い考えがこのあとの地獄へとつながる、、、

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