【小説】魔王に敗北して妹そっくりの女の子にTSさせられた勇者くんの話。
このツイートから早2カ月(マジで今日で丁度2カ月でびっくりした)。
ようやくお見せ出来る形になりましたので公開させていただきます。
当時反応くださった皆様、本当にありがとうございます。
続きは未定ですが、思いついたときに更新するかもしれません。
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大理石で出来た床はそこかしこにひびが入り、高い天井を支える柱はところどころ傷がついている。部屋全体を包み込む冷たい空気は激しい剣戟の音を反響させ、空間を静かに震わせていた。
ここは魔王城─玉座の間。
本来であれば厳かに魔族の統治者である魔王が君臨するべき場所には今、二つの影があった。
その影の一つは、この城の主たる魔王ヴィクトリオ。
そしてもう一人は─
「……まさか、ここまで我と対等に渡り合えるとはな。伊達に魔王討伐の命を受けたわけでは無いと見た。勇者ラルム」
ヴィクトリオの声が響くと、もう一人の影……『勇者ラルム』はその美麗な表情を一瞬歪める。
栗色の髪に白と青を基調とした衣装を身に纏った勇者は、齢18歳といった所だ。体格も決して筋骨隆々というわけでもなく、むしろこれまで魔王に挑んできた勇者を名乗るものの中では小柄な方であろう。
しかし、その若木のような体軀から放たれる圧倒的な膂力と剣捌き。視線から滲み出る、執念とも呼べそうな程の強い意志。
彼が今まで対峙した勇者と名乗るそれらとは、一線を画す存在。ヴィクトリオにそう判断させるには、十分だった。
「ひとつ、聞かせてほしい。……何故、我を倒しに来た?」
純粋な疑問だった。
魔界はヴィクトリオが現魔王に即位してから200年余り、人間界への干渉はほとんど行っていない。先代の王であれば種族繁栄の為に人間界への介入も当然考えていただろうが、ヴィクトリオはそれらの類に全く興味を示さなかった。
正直なところ爭いや剣術よりも魔術の鍛錬や研究の方に関心があったし、侵略や侵攻を行わずとも今あるもので十分だった。
しかし、先代まで長きに渡って行ってきた人間界への圧政とその爪痕は百年やそこらで消し去れるものでは無く。未だに人間は魔族を忌み嫌い続け、人間界で起きた不吉な出来事は全て魔族のせいとされる風潮すらある。
己の種族が長年行ってきたことを鑑みると、今の状況にも納得せざるを得ないが─
「何故、だと?」
交えた刃の向こう側で、ラルムの碧い目が怒りでぐらりと揺れた。深い憎悪と殺意を宿すそれを、静かにヴィクトリオを見つめる。
「お前に教える義理などない!!お前は今日、僕に殺される!死んでから自身に問うてみたらどうだ?」
その言葉を皮切りにラルムが先程より一段と斬撃に重みを加える。ガキィ!!と耳に痛いほどの金属音が響き、両者共に一旦距離を置いた。そして互いに一呼吸すると、再度目の前の相手に向かっていくのだった。
(己に問うてみろ、か)
ラルムの刃を交わしながら、魔王は思考する。
ヴィクトリオは今日、初めてこの若い勇者と邂逅した。面識もなければ、名前も初めて聞いた。剣を交えるのも当然、今日が初めてだ。
にも拘らず、ラルムは明確な憎悪を持ってヴィクトリオの首を討ち取りに来ている。ひとつひとつの剣戟に執念と気迫が漲っていて、これまで剣を交えた者達から受けた殺気の何倍も熾烈なものだった。
どうして、何が、ここまで彼を駆り立てる?
(どうやら、今までのお飾りの勇者たちとは一味違うな)
ただ聖王に命じられるがままに己を討伐しに来た、実力も心も伴っていない従来型の勇者であれば、今までに何百とねじ伏せてきた。
しかし、目の前で自分に刃を向ける若者は殺意の陰で確かにこちらを倒さんとする決意が輝いているのがわかる。その魂の根幹にある激情の正体を知りたいと思ったのだ。
ヴィクトリオは魔術を唱えながら剣を振りかざす。爆炎が上がり、ラルムはそれに一瞬ひるんだ様子を見せたがすぐさま態勢を立て直してこちらの炎を切り裂きながら踏み込む。
「やるな、今のを見切った者は貴様が初めてだ」
「お前如きに引けを取るか!!」
ラルムの斬撃が、ヴィクトリオの頰をかすめる。剣先に抉られた皮膚からは鮮やかな紅が垂れるが、ヴィクトリオはその痛みも全く気に留めずにさらに魔術を唱えた。
再び巻き起こる炎を、先程と同じように切り裂かんと踏み込むラルムだが、すぐに足元の異変に気付く。
「っ!」
足を滑らせて転倒する勇者の身体に炎が降りかかり、その衣服に引火していく。ヴィクトリオは間髪をいれず彼の頭上に大きな雷を落としたが、ラルムは剣の柄を素早く振るい雷光を纏った斬撃でそれを相殺した。
(魔術への対処、そして耐性も申し分無い。─では、これは避けられるか?)
ヴィクトリオは再び呪文を唱える。
するとたちまち地面から槍の形をした無数の岩が突き出した。まともに当たれば身体を貫かれるその攻撃の連続も、ラルムは危なげなく剣で軌道を逸らしつつ距離を詰めていく。
そして一瞬の隙を突いて再び肉薄してくると、その刃をヴィクトリオの首目掛けて振り上げる。だが──
「……甘い」
彼は無詠唱のまま、魔力を纏った右手を前に突き出す。するとラルムの身体が強張り、その動きを止めた。
低級ではあるが、拘束系の魔術だろう。
「……っ、」
「ここまでの術を全て躱した事は賞賛しよう。だが、身の程を知ることだな」
「……僕に、情けをかけたつもりか?」
ヴィクトリオはその問いには答えない。しかし、ラルムの見立ては当たっていた。
最初の火炎と雷。突き出した岩に、今の呪縛。確かに普通の人間がまともに食らえば一溜りもない強力な術ばかりだが、それでも自分の命を奪うには至っていなかったから。
魔王は─ラルムが自分の攻撃を全て避けることを確信して魔術を行使した。それは明らかな「手加減」であり、ラルムの怒りを煽るには充分だった。
「……、ふざ、けるなぁああああああ!!!!」
「……っ!?」
呪縛を打ち破り、ラルムは勢い良く剣を振り上げる。ガキィイイン!!と激しい音が響き、二人の刃は弾かれた。
その刹那─
(……これは、)
見覚えのない映像が、ヴィクトリオの脳裏に断片的に過ぎる。
(斬鳴、か……どうやら、余程恨まれているらしいな)
斬鳴とは─激しい感情を伴って戦う者が、ごく稀に戦いの間で剣を交えている相手の半生や思想の記憶を感じ取り、共有し合う現象だ。極めて稀な現象であるため、その存在を知る者は殆どいない。ヴィクトリオ自身も、長い人生の中で久しく体験していなかった。
(この少年は……子供の頃の彼か?その隣にいるのは…… )
剣が再び交えられる。耳をつんざくような金属音と、散る火花。
「……っ、」
再び斬鳴が発生したらしい。
ヴィクトリオの中にまた、見知らぬ記憶が映像として流れ込む。気に留めようとせずとも勝手に流れ込むそれをヴィクトリオは振り払おうとはせず、ただ受け入れた。
そうすることで、己に対して烈々とした憎悪を向けるこの若者を、深く知る事が出来る気がしたから。
「………っ、は、」
再び剣が合わさって流れ込んできた記憶は、強烈な痛みを伴ったものだった。
先ほどまでただの映像だった記憶が、今度は感覚までもヴィクトリオに与えてくる。まるで己の身体が直接それを経験したかのような、鮮明な痛みが身体中を駆け巡った。
陰惨で、残酷で、どうしようもなく哀しい記憶の奔流。
「おい、考え事か?随分と舐めた真似をしてくれるな」
ラルムの怒りに震えた声に、ヴィクトリオは思考の海から浮上する。
晴天の空を思わせるような美しい碧はぎらぎらと燃えていて、こちらに向けられた視線は鋭く刺すような殺意に溢れていた。
斬鳴の影響は少なからず双方に起こり得るもののはずなのに、ラルムは何も見えていないかのようにただ眼前のヴィクトリオに斬りかかっている。その間にも、ヴィクトリオにはラルムの記憶や感情、見てきたであろう情景がまるで自分が彼自身になったかのように流れ込んでくる。
しばし考えたのち、ああ、そうかとヴィクトリオは理解した。
彼の感情が、強過ぎるのだ。
対するヴィクトリオは初対面のラルムに、怒りや殺意のような激しい感情などを抱いていない。だから、一方的にヴィクトリオの方にラルムの心が流れ込む。
もう一度剣がぶつかる。刃と刃が火花を散らすたびに、魔王は勇者を知る。
明日を生きられるかもわからないほどの、劣悪な環境。
凡そ子供に対する扱いとは思えぬほど冷たく粗末な寝床と食事。
道端に転がる屍は弔われることもなく、異臭を放ちながら静かに雨に打たれている。
ほとんどが冷たさと痛みで構成されている記憶の中に、ひとつだけ温もりを見つけた。彼と同じ髪色をした、年の近い幼い少女。
そして、その少女が凄惨な死を遂げた記憶を境に─冷たさと痛みばかりの彼の人生に、新たに怒りと悲しみの色が滲み加わった。
少女の死をもたらした者達への復讐、それだけが彼を動かしていた。
「貴様のことが、よくわかった」
休むことなく嵐のように襲い掛かる刃を己の剣で受け止めながら、ヴィクトリオは独りごちるように呟く。
「何の事だ……!!」
己の記憶が憎き敵に流れ込んだことを知らないラルムは、変わらず激昂したまま斬りかかってくる。それを彼は軽く受け止めながら静かに続けた。
「─プリュイ」
「─ッ!!」
人名らしきその語を口にした途端、勇者の表情に明らかな動揺が走る。その感情のブレはラルムの動きを鈍らせ、魔王が反撃に移るには十分すぎる隙だった。
「『夜炎(ノクティス・フレイム)』」
「!?」
ラルムの一瞬の隙を突いたヴィクトリオは、炎の上級呪文を彼に向け放つ。避けることも叶わない至近距離で黒い炎を諸に受けたラルムは、その勢いを殺しきれずに吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「かっ、は……!」
ガラガラと瓦礫が崩れ落ちる中、その下敷きになった勇者の身体が力なく地面に伏せている。ヴィクトリオは彼を閉じ込めるように、瞬時に強固な結界を張る。そうしてようやく彼が頭を働かせる余裕ができたところを見計らうように、そっと近付いた。
「……ぁ……まお、う……」
瓦礫の中から這い出し、剣を杖の代わりにしてよろよろと身を起こす勇者の前にヴィクトリオが立つ。
「……流石は選ばれただけあるな。通常ならば既に肉の一片も残ってはいないところだ」
「くッ……」
憎々しげな表情で魔王を見上げるラルムだが、攻撃は愚か立ち上がることもままならなかった。魔力の大半を使い果たし、体力も限界に近い状態ではもはや剣技も放てない。やっとの思いで立ち上がったラルムに、魔王は呪文を唱えることも無く魔法を放つ。
「ぐふ……っ!」
動きを止めるためだけに撃ち込まれた黒い魔力は、勇者の身体をあっさりと地面へと沈めさせる。そしてヴィクトリオもまた、地面に這いつくばったラルムの前に優雅な動きで腰を下ろした。
「勝負あったな」
「……っ、」
煽りでしかない魔王の言葉に、勇者の瞳に怒りと殺意がぎらりと光を放つ。誰の目から見ても、ラルムの敗北は火を見るより明らかだった。しかしそれは、ラルムの矜持を砕くまでには至らなかったらしい。
「少々気は引けるが……これは貴様に限らず、今までこの地を踏み入り我に敗北した人間全てに掛けている術だ。─悪く思うな」
黒く質のいい手袋に包まれたヴィクトリオの手のひらの前に、複雑な図形が幾重も重なり合い、解読できない文字がびっしりと書き込まれた魔法陣が現れる。
「あ…………、」
ラルムの顔に初めて、絶望の色が浮かんだ。
魔法陣が複雑な形であればあるほど、その術が強力であることをラルムは知っている。これだけの術を防げるだけの魔力は、今の彼には残されていない。今日まで生きてきて、この規模の魔法陣を生み出せるような逸材に出会ったことが無かった。
これは、数多の魔術に精通する魔王にこそ行使できるものだ。
この魔術をかけられた自分が無事で済むなど絶対にあり得ないと、ラルムは本能で悟った。
(ここで、終わるのか………魔王に何の抵抗もできずに)
ずっと魔王を討つことだけを考えて生きてきた。いつか必ず「この手で」と呪いのように己の魂に刻み付けてきたはず。その機会はやっと訪れたのに─命を散らす瞬間を前にして、ラルムの心はまるで霧がかかったかのように定まらなかった。
せめて一瞬でも、己の最期の光景を目に焼き付けておこうと勇者は魔王の整った顔をまっすぐに見る。澄んだ空を思わせる碧が己を食い入るように見つめていることに気付いた魔王は、僅かに目を眇めた。しかしそれはほんの一瞬の出来事で、彼は呪文を詠唱する。
「『畏怖の渦中に戦慄く者よ、己の無力なる姿を示せ』」
ラルムがその呪文の言語を理解しようとするよりも先に、魔法陣から放たれた光が彼を包み込んだ。
「あ……あぁあああぁぁああああ!!!??」
全身を凄まじい感覚が襲い、彼は絶叫した。ガクガクと身体が震えるのを抑えることが出来ない。
(なん、だこれ……身体がバラバラになる……ッ!?)
まるで身体中の肉と骨が別のものに代わろうと捩れ歪んでいるようだ─否、実際にラルムの身体は急速に変化していた。
人間の男にしては小柄だった身体は更に縮み、腕と脚の筋肉はみるみるやせ細っていく。青年然としていた声で発せられていた悲鳴は、段々高く細い音になっていく。
ラルムの変化を静観していたヴィクトリオは、己の目を疑った。
これまで幾度もこの術を使用してきたが、こんな変化を起こした者は一度も見たことがない。
「っ……、はぁ……っ、はぁっ……、」
ラルムを包み込んでいた光が止み、同時にヴィクトリオの手のひらの前に浮かんでいた魔法陣が消える。そうして初めてラルムに起きた変化の全貌を、ヴィクトリオはその視界に収めることが出来た。
「…………」
栗色の髪は腰に届くまで伸び、首は頼りない細さになっていた。
全体に丸みを帯びた曲線が増え、男の身体にはない柔らかさを生み出している。小柄だった身体は更に縮み、元々纏っていた服のサイズが完全に合っていない。ぶかぶかとした袖口から覗く指もほっそりとして、先ほどまで剣を握り振り回していた者のそれとは信じがたかった。
ヴィクトリオは、すぐに理解した。
彼が何故その姿になったのかを。それが何を意味するのかを。
「なるほどな……」
ぽつりと言葉を零した魔王に、勇者だった者はゆるゆると顔を上げて視線を合わせた。
何が起きたかを到底理解していない勇者の表情が、徐々に強張っていく。わなわなと唇を震わせる勇者を一瞥し、ヴィクトリオは更に言葉を続けた。
「……我が貴様にかけたのは、貴様自身がこの世で最も弱く、力を持たないと考えているものに変身させる術だ」
「っ!?」
衝撃を受け、驚愕のあまり声も出せない様子の勇者を他所に魔王は続ける。
「この術を受けて、様々な姿に変化した者を見てきた。ネズミ、赤子……虫に姿を変えた者も少なくはないな」
そこの鏡をみるといい、とヴィクトリオはラルムの背後の壁にある鏡─先ほどまでの戦闘によって大きくヒビが入ってしまったそれを顎で指した。
疑問を抱きつつラルムはそちらに視線を向け、息を呑む。
「……は、」
長い栗色の髪に、華奢になった身体。角張りが取れた代わりに丸みを帯びた顔の輪郭と、柔和な雰囲気の整った容貌。
瞳の色こそ鮮やかな青のままだが、鏡の中には─十代半ばほどの少女がひとり映っていた。
それもただの少女ではなく─
「……それが、貴様の考える『弱さ』の象徴なのであろう?」
「あぁ……あ………、ああ………」
亀裂の入った鏡に映る少女の顔が徐々に青ざめ、絶望に染まる。
嘘だ、こんな筈じゃ─声を紡ぐ余裕すらないラルムだが、彼が何を感じ何を考えているのかをヴィクトリオはしっかりと汲み取っていた。
─信じたくないだろうな。
─己が最も守りたいと願い、慈しんでいた存在。たった一人の妹。
そんな最愛の人を無意識のうちに「この世で最も無力な存在」と軽んじていたなど、受け入れるはずがない。
喉が裂けてしまうのではないかと思うほどの激烈な絶叫が、広間中に響き渡る。
悲鳴とも、慟哭ともつかない激しい感情の発露。
声が枯れるまで泣き叫んだ少女は、それきり己に残された力を使い果たしてしまったらしい。
ふつりとマリオネットの糸が切れたように重力に従って崩れた身体に、魔王はそっと近づいた。
「わっ、女のひと……?」
「……かわいい」
快活そうな空色のおかっぱ頭の少年と、内気そうな桜色のこれまたおかっぱ頭の少女は、ヴィクトリオが抱えて戻った少女の姿を見て驚いた様子で声を上げた。
二人の頭部には狼を思わせる耳が生えており、臀部にはもふもふとした尻尾が生えている。彼らは獣人の魔族と人間の間に生まれた半獣人。赤子の内に両親を失って以来、魔族の長であるヴィクトリオが面倒を見てきた子供たちだ。
「イデア、アニマ。二人とも無事だったか」
「はい!ヴィクトルさまに言われた通り、南の塔に避難していました!使用人のみんなも無事です!」
「……南の塔、安全だった。多分、結界のおかげ」
よかった、とヴィクトリオは安堵のため息をつく。
勇者が魔王城に接近しているという情報が未明に入り、戦う術を持たない住み込みの従者たちをヴィクトリオは戦闘が始まる前に予め本城から退避させていたのである。 万が一自分が敗れたら彼らだけでも逃がす算段だったが、その必要はなかったようだ。
ヴィクトリオは腕に抱えていた勇者をベッドへ横たえ、改めて二人の方へ向き直る。それまでにこにことヴィクトリオの帰還を喜び笑んでいた二人の表情に、戸惑いが浮かんだ。
栗色の髪に、白と青の装束。
碧い瞳……は、目を閉じている今は確認できないが。
「ヴィクトルさま、その方ってもしかして……」
「ああ。─勇者だ」
それを聞いた二人は、驚いたように顔を見合せた。
無理もないだろう、とヴィクトリオは思う。魔王を倒しに来る者の代名詞ともいえる存在である勇者が、こうして目の前で意識を失っているばかりか魔王本人が連れて帰ってきたのだから。
「え、えっと……勇者は男のひとだと聞いていたのですが……」
「それで間違いない。……この姿には、我がした」
「ええっ!?ヴィクトルさまが、勇者を女のひとに?!」
「な、なんで……?!」
イデアとアニマは揃って首を傾げながら、再び顔を見合わせる。
尤も、意図して女性化させたわけではなく、結果としてそうなっただけなのだが。しかし幼い二人にわかるように事情を説明するには、過程が入り込み過ぎている。
驚きと好奇心の眼差しを向ける子どもたちの視線に合わせ、ヴィクトリオは身を屈めた。
「……色々と、あってな。勇者はしばらくここで保護するつもりだ。今は戦う力もほとんど残っていない。お前たちが恐れる必要はないから安心してくれ」
ヴィクトリオにそう言われ、イデアは興味深そうに。アニマは恐る恐る。
それぞれベッドに横たわるラルムを眺める。
魔王を討伐することを目的とし、魔族たちにとっては天敵とも呼べる存在であるはずの勇者。
しかし目の前で眠る自分たちよりも少し年上に見える少女は、そんな危険な存在にはとても見えない。
栗色の長い髪は室内の灯りを反射してきらきらと輝いており、きめ細かな肌は触れれば吸い付いてきそうな程に柔らかそうだ。睫毛は長く、閉じられた瞼を彩るようにびっしりと生え揃っている。
「勇者さん、きれいなひとですね」
「……お人形みたい」
無邪気で素直な感想を口にする二人に、ヴィクトリオは苦笑する。
ともあれ、己が保護し育てている彼らが彼女に対して好意的な印象を持てたのは僥倖であった。
「落ち着いたらお前たちにも紹介するとしよう。まずは体を休めておけ。戦の後始末は明日行う」
「はい!おやすみなさいませっ!」
「おやすみなさーい……」
「ああ、おやすみ」
元気良く返事をした二人は、ぱたぱたと駆けながら部屋を去っていく。
その様子を見届けてから、ヴィクトリオは再び眠る勇者の方を見やった。
(さて、どうしたものか)
ヴィクトリオは少女に視線を落とす。背丈は自分の胸辺りまでしかなく、華奢な体つきをしているためひどく軽い。
恐らく体重もそれ程ないだろう。顔立ちは非常に整っており、眠っている今はあどけない少女のように見える。
「ラルム」
ヴィクトリオはそっと彼の名を呼ぶ。か細く白い指先が動くことも、閉ざされた瞼が開くこともない。
まるで起きることを拒んでいるかのようにぴくりともしないラルムの姿に、彼は思わず笑みをこぼす。
なぜこんなにも、彼に興味を抱いているのだろう?その答えを、まだヴィクトリオ自身も見つけられていない。
ただ、ひとつはっきりと確信出来たことがあった。
ラルムは恐らく─記憶を改ざんされている。妹の存在は真実だろうが、斬鳴の中で見た彼の記憶はところどころが歪で矛盾が生じていた。
その最たる例が、彼の妹の死が魔族の手によるものとされていること。そして魔王であるヴィクトリオ本人が直々に仕向けたかのように記憶されていることだった。
(大体何故魔族の王たる我がどこの馬の骨かもわからない人間の小娘一人の命のために人間界へ出向かねばならぬのだ。茶番ならもっとマシなものにしたらどうだ)
それにまんまと騙されて魔王への復讐を誓う勇者も勇者だ、とヴィクトリオは内心悪態をつく。
客観的に見れば、ラルムもまた虚構に騙されて人生を狂わされた被害者なのかもしれない。しかし、先代の死後数百年かけてようやく互いの不可侵による均衡が築き上げられ始めていたところだというのに。
仲間を引き連れるわけでもない人間の若者一人に城門を突破され、玉座の間にまで押し入られたのは青天の霹靂としか言いようがなかった。ヴィクトリオからしたら勇者ラルムはまさに、招かれざる客というべき存在。
さて、どうしたものかとヴィクトリオは再び眠りの底に落ちている少女を見遣る。
これまで打ち負かせた勇者たちはみな、ラルムと同じように彼等が最も弱いと考える者の姿に変えてきた。そうして魔王城の結界の外に追いやって、二度と城門をくぐらせないようにしてきたのだ。
従来通りに行くのであれば、ラルムも同様にここから追い出してしまうのが道理なのだろう。取り乱して気を失った時点で、外に放り出してしまえばよかったのかもしれない。
今までの勇者相手なら間違いなくヴィクトリオはそうしていたはずだ。
しかし、ひとつ気がかりなことがあった。
「……聖王がここまで、勇者の人生に干渉するとは」
それも、勇者本人の心に深い傷跡やトラウマを残すレベルに。
よもやラルムの妹は、彼が魔王に憎悪を抱くきっかけにするためだけに殺されたのだろう。彼女を殺めた者達も、その後ラルムを引き取り剣士として育て上げた者も、全て聖王の描くシナリオをなぞる役者に過ぎなかったのだ。
聖なる力を扱う素質を持った、勇者としての器。
それに適合してしまったことが、ラルムの不幸の始まりだったと言えるだろう。
「全く、聖王の名が聞いて呆れる」
これではどちらが悪なのか分かったものではないではないか。ヴィクトリオは嘆息する。
聖王は恐らく、本気でこの勇者を使い潰すつもりであったに違いない。
これまでの歴代の勇者たちも皆、使い捨ての道具にすぎなかったのだろう。己の追い出したかつての勇者たちが二度と城門をくぐることがなかったことからも、それは容易に想像がつく。
そしてそれは、今回も例外ではなかったということだ。
「……つくづく本当に運がないな、勇者」
ヴィクトリオは憐れみを込めて、少女を見下ろす。
不幸で彩られた人生の中、ヴィクトリオを殺すことだけがラルムの生きる糧だった。人を生へと突き動かすものは、何も夢だとか希望だとか輝かしいものばかりではない。誰かを恨むこと、憎むこと、妬むことだって、人の原動力となり得る。
ラルムにはそれが、ヴィクトリオだった。
だがそのヴィクトリオに敗北して捕らえられた今、ラルムは己が死ぬ以上の屈辱を味わっていることだろう。その現実から逃れたくて、今も暗い意識の底に沈んでいる。
しかし、そう簡単に解放してやるわけにはいかなかった。ヴィクトリオには、ラルムをこのまま終わらせてやることなどできなかった。
「貴様とて、真実を知らずに死にたくはないだろう?」
返事のない問いを投げかけながら、ヴィクトリオは栗色の髪を優しく撫でる。その手付きはひどく優しいもので、とても先程まで殺し合っていた相手に対するものとは思えない。
「嘘偽りを取り除かれ真実を知った時、貴様はどの道を選ぶのか。 それでも我の首を取ると言うのであれば、また相手をしてやろう。だが─別の道を選ぶのであれば」
そこまで言うと、ヴィクトリオはふっと口元を緩める。それから身を屈めて少女の額にかかった髪をそっと払ってやった。
興味があった。
自分への憎しみで中身を満たすように生かされた勇者がそれを失った時、果たしてどのような反応をするのか。
ひょっとすれば、あの聖王の鼻を明かしてやれるかもしれない。
ラルムに対して行った洗脳にも等しい記憶改変や、その人生への干渉具合から考えるに、これまで勇者を使い捨て続けてきた聖王もラルムに関しては何かしらこだわりを持っている可能性が高い。
ラルムの何がそうさせたのかまでは今の段階ではまだ分からないが、恐らくそこにこそ聖王の企みがあるのだろうとヴィクトリオは踏んでいた。
その企みが憎いであろう己の手によって阻止される様を想像するだけで胸がすく思いだった。自然と口角が上がる。
やはり自分はこういう世界の住人なのだと思うと、どこか可笑しかった。
決して情や哀れみでラルムを拾ってきたのではない。あくまでこれは己の目的の為の行動なのだと自身に言い聞かせるように、彼は独り言ちた。
「早く目を覚ますがいい、勇者ラルムよ」
その言葉に答える者は、誰もいなかった。
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