祭りに群れをなし、人であることを慈しむ。
なんか、それなりのタイトルを書いてみただけだったりする笑。
祭りを興す側になりたいとは思わない。酒を飲み、気を解放し、騒ぐ。あっち側になりたいと思う気持ちは、全くない。
と同じ程度に、祭りを誰かと見学するのも気疲れの元だったりする。
が、祭りと聞くと、なぜか不思議とワクワクする。
結局、この歳になっても、その一番の要因は「 屋台 」だったりする。
28年振りの田舎暮らし。の祭が賑わっているということで、一人で見物に。
さてさて、どんな屋台が、多くの見物客を楽しませているのやら。
ん、、、この時期に「 トウモロコシ 」は存在せぬのか。
往復で確かめた。50機はあろう屋台に、トウモロコシの文字は遂に発見できなかった。あー、私の推し。推しさんがいなければ、こうも寂しいものなのか。さぁ、早々に帰ろう。強烈な花粉が顔面をお祭り騒ぎにしてくれる。
祭りの見物は一人が素晴らしい。人混みを付かず離れず見失わずを気にするでもなく。何を食べるも食べないも。山車を見学するもしないも。どれだけの時間を過ごすも過ごさぬも、自由気まま、気にすることは何もなし。
祭りに群れをなす人の根源は?人の欲求は?に思いを馳せながら、強烈な花粉にその思考回路もやられて帰路に付く。
祭りの参加は一人に限る。
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