ひまわり泥棒コバト 3

 B5のキャンパスノート。らくがきのようなアイデアたち。どうしてストーリー漫画なんて描き始めてしまったんだろう。デビュー作は四コマだったのに。
 現在連載中の作品、単行本は13巻。ここ一年は休み休みで掲載しているので20の大台にはほど遠い。
「なあなあ、アニメ化の話とか出ない?」
 わたしが訊くと電話の向こうで佐野さんがため息をついた。佐野さんはわたしの担当編集で、顔はそこそこ男前なのだけれど、なにしろ口が悪い。
「掲載順位を見た上でそれを言ってるのかね、ナメ川くん」
 ナメ川というのはわたしのペンネームだ。滑川スネ子。国民的漫画との呼び声も高い作品の登場キャラクターから取った。金持ちになりたくてこの名前にした、というのは建前で、どうせギャグ漫画でやっていくだろうから適当につけただけ。それに、どちらかといえばわたしは剛田の方が好きだ。
 掲載順位。ああなんて嫌な言葉だろう。アンケートの結果が雑誌の掲載順を大きく左右する。もちろんはじめの方に乗っている方が人気者。それぐらいは知っているけれど、そうやって人間のする仕事に優劣をつけるだなんて奴らは作家の人権をなんだと思っているのだ(という支離滅裂な持論を展開したら佐野さんにこっぴどく叱られたことがあるので口には出さない)。
「四コマ描いてた頃は巻末だったねえ。あれはそういう枠だったからだっけ?」
「今はその巻末にほど近い所にいるんだよ、お前は」
「ひえェ、お助けェ」
「描け」
 佐野さんはいつもこう。二言目には「描け」だ。それが正論で、悪いのはさぼり癖のひどいわたしなのだけれど。
 わたしだってわかっている。描かなければ生活はできないし佐野さんの職場での信用も失墜しわたしたちは二人揃って窮地に立たされる。いわば運命共同体、ぞっとしない話だな。
「何で打ち切りにならないの、わたし」
「コアなファンはいる」
「まあなんて奇特な方たち!」
「今どこまで描けてる?」
「あとペン入れだけ」
 わたしは大嘘つきだ。まだネームが数ページできているだけ。
「早すぎる。嘘だな」
 正解。佐野さんはさすがだ。こうしてわたしのような出来の悪い作家の元へ頻繁に連絡を入れて進捗を確認しなければいけない。彼の仕事はきっとわたしよりしんどい。  

 くず、という自覚はある。それでいてわたしは今日もアイデアノートを放り出してコバトさんのアトリエへ行く。
 いらっしゃい、と笑うコバトさんは優しい。優しいからこそ酷いひとだ。わたしを叱責して仕事に戻らせるということをしてくれない。
 ぱたん、ぱたん、と機を織るコバトさんの横顔はきれいだ。彫りが深くて鼻が高く、黒い貝殻のような目が時々こちらを向いて笑う。
 プロとしてよくないことを考えていることは重々承知だ。しかしわたしは今、自分の連載よりもコバトさんを描きたいと思っている。
「先生もやりますか」
 手を動かしながらコバトさんが言った。わたしは首を横に振る。
「いえ、今日は見てます」
「そうですか」
 ぱたん、ぱたん。コバトさんは仕事をしている。わたしは仕事をさぼってそれを見ていた。

#小説

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