ひまわり泥棒コバト 2

「今日ね、僕のところに雑誌の取材が来たんですよ」
 いつものようにゆったりとタンブラーを傾けながらコバトさんは言った。少し楽しそうだ。
「凄いじゃないですか。何て雑誌ですか、買いますよ」
 俺が言うと、コバトさんは肩を揺らしてフフ、と笑う。
「知りません。追い返しちゃった」
「ええっ、もったいない」
 コバトさんには才能がある。だから取材の話だって本当は初めてではない。俺はその話を聞くたび、初めてのように驚いてみせる。俺はいつも、彼のことを何も知らないふりをしている。
「だって、煩わしいんです」
「そんなあ。うちにも来ないかな、取材」
 そうすればうちにも常連以外のお客さんが来てくれるかもしれないし、繁盛すればバイトだって雇える。店を少し広くすることだってできるかもしれない。残念ながら、今この店にいるのは俺とコバトさんだけだ。
「来ませんよ、ここには。だって塩しかないんですもん」
 コバトさんは穏やかで、とってもドライだ。けれど俺は首を傾げる。タレを使わない塩だけの焼鳥屋、なんてなかなか話題になると思うのだけれど。
「こだわりですよ、うちの」
「知ってますか大将、『こだわり』って本来いい意味の言葉じゃないそうです」
 コバトさんは穏やかでドライで、そして少し意地悪だ。
 俺が苦笑いしていると、がらりと入口の引き戸が開いて客が一人入って来た。
「大将、生と、レバー2本」
 コバトさんの隣に来るなりそう注文するのは、"先生"。先生は誰かにものを教えているわけではないけれど、漫画を描いてご飯を食べている人なので俺たちは彼女を先生と呼ぶ。
 先生はタレのレバーが好きだと言うくせに、うちによく来る。うちの焼鳥を食べに来ているわけではないからだ。
「先生、今日はお疲れですね」
 左手で右肩をとんとんと叩きながらコバトさんが笑う。先生がお疲れだ、ということには俺も気付いていた。だって、先生のかけているレンズの大きな眼鏡が鼻の先までずれているから。
「ここに来る時はいつも疲れとりますわ」
 俺の手から小ジョッキを受け取りながら先生は言った。彼女が生と言えば、小ジョッキだ。先生はあまりお酒に強いわけではない。
「嘘。さぼりに来ることだってあるでしょう」
「疲れたからさぼるんです」
「僕のところに来る時も疲れてるんですか」
「疲れた時は機織りがしたくなるんです」
 俺はレバーを焼きながら二人の会話を聞いている。先生は時々コバトさんの家に仕事をさぼりに行っていて、コバトさんは『先生』の機織りの先生なのだ。二人は仲がいいようで、それなのに少しよそよそしい。それはコバトさんがコバトさんであり続けようとするからだ。 

 コバトさんのことを、町のみんなは何も知らない。散歩に出かけて途中でおじいさんに捕まって将棋を打ったりしているけれど、そのおじいさんもコバトさんのことをコバトさんとしか知らない。本名も、年齢も、どこから来たのかも。
 しかし俺は、コバトさんの名前を知っている。年齢だって知っている。コバトさんが、俺が18まで住んでいた家の近所に住んでいたことだって。以前にそれを言うとコバトさんはいつものように笑った。
「今僕、コバトさんって呼ばれてるんですよね」
 それ以来俺は彼のことをコバトさんとしか呼ばなくなった。コバトさんは「コバト」という名前を盾にして昔のことを語らないことに決めたのだろう、と思ったからだ。けれどコバトさんは過去を知る俺のことが嫌いなわけではないようで、こうして頻繁に俺の店へ来てくれる。
 俺はそれが、少し嬉しい。 

「大将、湯葉も」
 先生は毎回、生湯葉を注文する。俺は焼き上がったレバーを先生に渡してから、伝票に湯葉を書き加えた。
「先生いつもそれですね。おいしいですか」
 珍しくコバトさんが他人の食べているものに興味を持った。右側に座る先生の方へ首を傾けながら、頰で自分の肩を擦る。先生も少し驚いたようにコバトさんを見つめた。
「コバトさん、ベジタリアンなのに湯葉食べたことないんですか」
「生湯葉は、食べたことないんです。それに僕はベジタリアンじゃないですよ。肉を食べないだけ。チーズとかは好きです」
 そうなのだ。コバトさんは焼鳥屋の常連でありながら肉が嫌いだ。食事自体は家で済ませてから来ているそうなので、うちではもっぱら焼酎を飲んでいる。たまに食べていくのは串ものならネギやギンナンやシイタケ、あとは塩キャベツやたたきキュウリだ。
「じゃ、わたしの少し食べますか」
 先生は俺が差し出した生湯葉の皿を受け取る前に箸を入れ、コバトさんの目の前の皿に一口分ぺちょりと置いた。濃いめの豆乳に浸った生湯葉がくたりと皿の上に横たわる。
「このまま?」
「わたしはいつもわさび醤油ですね」
「なるほど」
 言われた通りコバトさんは湯葉の上に醤油を少したらし、わさびをほんの少し乗せて口へ運んだ。
「どうです」
「あ、おいしい。大将、僕も一皿ください」
 店のものを褒められたのは嬉しいけれど、それが焼鳥でないところが少し複雑だ。俺は生湯葉用の皿をもう一枚棚から出した。
「半分あげましょうか」
 先生が言ったので俺は手を止める。
「いいんですか」
「ええ。食べきれないし」
 嘘つけ、と俺は思う。いつもぺろりと一皿平らげるくせに。しかしコバトさんは笑って、じゃあ、と生湯葉を先生と分け合った。
 俺はコバトさんのことを知っているし、先生のことも少し知っている。
 先生は、コバトさんのことが好きなのだ。

#小説

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