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【失敗談】言葉の重み、その裏側

どうも、ゴリ松千代です。


私は学生時代、国語が得意だった。いや……のっけから正直に言ってしまえばそんな事は建前で、それ以外はてんでからっきしだったと言った方が正しい。まぁとにかく、その『得意』だった科目を武器に私は高校受験へ挑む事になった。試験の正確な順序こそ忘れてしまったが、国語は最初の方だったような覚えはある。そんなわけなので、「これは早い段階で試験への追い風になるぞ」と意気込む事が出来たのは記憶が薄いなりに確かだ。

時は流れ受験日当日、国語。

私はその『類まれなる実力』で、気がつけば周りの受験生よりも遥かに早い速度で問題を解き終わっていた。すぐ近くではまだ鉛筆の走る音が聞こえる。楽勝だ、楽勝すぎる。私はそう思いながら覚えたてのペン回しにいそしんだ。心の中で失笑が抑えきれなかった。

その後10分か15分ほど経過した時だったろうか。「はい、そこまで!」とよく通る声で試験官が終了を告げる。……私はその時、脳がそれに気付くよりも早く血の気が引くのを感じた。その遅れてきた自覚とは、問題用紙の裏側を解き忘れていた、という事だった。時間はもう取り戻せない。教室がにわかにざわめき立ち、背後から回答用紙の波が押し寄せてくる。完全に終わった。

その後の科目は放心状態に近かったと思う。一番得意だった、言い換えればそれで点数を稼ぐしかなかった科目。もう取り返せない、取り返しのつかない状況。私は試験時間の中で学生生活の走馬灯を見た。

5科目中3科目を終えた昼休憩、同じ高校を受けた何人かの友人達にその話をする。その中でも少し柄の悪い3人からは、分かり切ったセリフが飛んだ。笑われ、罵られ、分かりきった言葉をひたすら投げつけられる。「お前はバカだ」、「アホだ」……そんな事は自分でもよく分かっているし、その時まさに自分で自分を同じように責めていたところだ。

家に帰ると、心配を絵に描いたような表情と対面する。母だ。私は今にもはち切れんばかりの罪悪感から、人生における暫定一位であろうその失敗を伝えた。一瞬驚いたそぶりを見せた母は呆然としながらただただ亡霊のように寝室へ向かい、そして布団に覆い被さった。私はそれを見て、トイレでただひたすらに泣いた。

はっきりと黒に染まった心のまま、それから何日か過ぎた───。

見るまでもないが、合格発表の掲示板を見に学校へ向かう。親子で静かに押し黙ったまま、長い長いドライブが始まった。滑り止めで一応受かっていた私立だが、行くお金はないと言っていた(同時に、静かな怒りは伝わってきた)。これからどうするのだろう。家のお金の事などてんで分からない子の私にとっては、向かう車だけではなく今後の人生全てに対して投げやりに身を任せるしかなかった。

私は重力が2倍にも3倍にもなった体で掲示板へ歩いた。向こうから友人がにこやかに近づいてくる。恥ずかしさから目を見て話す事が出来ない。しかし友人はそれでも笑顔を崩さず、そして開口一番に言ってのけたのだ。「松千代君、受かってたよ!」……え?いや、さすがにそこは自分で確認したかったんだが。同じ中学という事もあって試験番号が近く、私の番号も把握していたらしい。私は半泣きになりながら「おい!」なんて冗談めいた言い方をしたが、しっかり自分の目でも自分の合格を確認するともうそんな事はどうでも良くなったし、私の笑顔がその日おさまる事はなかった。


もし当記事の読者に受験の当事者、もしくはそれを子に持つ親御さんがいれば、本当に裏側の問題には気をつけて頂けたらと思う。それに、他人の失敗は笑うべきではないと言っておきたい。

私を笑ったあの3人は落ちた。

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