君はランジャタイで笑わない

【注意!!!!!!!】
この文章には記事公開時点でまだ配信されていた、「マヂカルラブリーno寄席」の内容に関することが書かれています!
既に販売もアーカイブ配信も終了していますが、執筆当時の気持ちを保ったままの文章を可能な限り残すために、ネタバレ配慮や購入を勧める記述もリンクを削除した状態で残しています。

2021年1月1日の元日、あるオンラインライブが開催された。その名も「マヂカルラブリーno寄席」

前年のM-1グランプリ王者であるお笑いコンビ、マヂカルラブリーが選んだ数組がネタを次々と披露するという至極シンプルな1時間の公演である。

メンバーはキュレーターであるマヂカルラブリーの他、ザ・ギース、永野、脳みそ夫、モダンタイムスなど、一般的な有名無名の差はあれど、劇場やライブ会場に足を運ぶお笑い好きなら一度は聞いたことがある面々である。

さて、この「マヂカルラブリーno寄席」は正月の三が日のみの配信を予定されていたのだが、あるコンビのネタ中に起きた出来事がきっかけで噂が噂を呼び、なんとオンラインライブでは異例の購入期限及び配信期間の大幅延長のみならず、よしもとのオンラインチケット史上最高売り上げ(17000枚!!)という快挙を成し遂げた。

そのきっかけとなったコンビの名前は、ランジャタイ

鳥取県出身のツッコミ担当・伊藤幸司と、富山県出身のボケ担当・国崎和也からなるこのコンビ。M-1グランプリ2020の敗者復活戦を見ていた方なら、「欽ちゃんが好きすぎるから仮装大賞に出る」という漫才を披露し、その奇怪な内容と平場での振る舞いで一部視聴者に強烈なインパクトを残すも、決勝進出の可否を決める視聴者投票の中間発表で最下位を記録し、「国民最低~!!」と叫んで笑いを取っていたコンビとして印象に残っているのではないのだろうか。

彼らの漫才はボケ担当である国崎のハチャメチャな提案ないし再現を、ツッコミである伊藤が時に巻き込まれながらも言葉少なに見守るという独特の形式を持っている。
国崎のハチャメチャな提案は「『仏が沼にハマったよ』という演目で仮装大賞に出たい」だの、「くそったれ人生にさよならぽんぽんするためのヨガを習っている」だの、「谷村新司が好きなあまりに谷村新司になろうとする」だの、そんじょそこらのハチャメチャとは一線を画している。……というか、はっきり言って意味不明である。

そんな内容のため、ランジャタイの漫才は見る人を非常に選ぶとされており、ファンの間でも「0点か100点か」と評される事は少なくない。今回の寄席の主であるマヂカルラブリーも2017年にM-1グランプリの決勝に上がった際のインタビューで、彼らがもしもM-1の決勝に上がった時のことを「0点を取れる漫才師は恐ろしい」と語っていた。
前述した敗者復活戦での結果はその傾向を如実に表しているといえる。結果は0点だが、爪痕は100点であった。

そんな彼らをきっかけにして「マヂカルラブリーno寄席」では一夜の奇跡が起こっていた。

有料ライブの内容について記述する事は一種のタブーな上に、このライブは配信形式でありこの記事を書いている時点でまだチケットを購入する事が可能なため、必要以上に内容の詳細を書くことはしない。

だが、私が「マヂカルラブリーno寄席」を見てランジャタイに抱いていた感情が可視化されたということを、ここに書き留めたくなった。

なるべく詳細に触れない範囲で書きとめておくが、もしもこの文章を読んでいるあなたが「マヂカルラブリーno寄席」の視聴を検討している方なら、今すぐこのページを閉じて、オンラインチケットよしもとの当該ページで視聴チケットを購入する事をオススメする。冒頭と合わせて二段階認証である










さて、ランジャタイのネタ中に起きた奇跡。それは

「漫才中のガヤ・野次」

である。

本来、ネタ中に観客の誰かが演者に向かって何かを叫ぶという事は、そういう事を求められている演目(なんらかのお決まりのコールがある場合や舞台上から何かを呼びかけられた時など)以外では御法度・重罪である。
演者がアドリブでうまく処理し結果的に笑いに繋がる事はあっても、そのような行為は他の観客にとって迷惑以外の何物でもない。「公演中に携帯電話が鳴る」「公演中に隣の知人と会話する」と同等どころか、それ以上にやってはいけない行為である。

しかし、このライブは無観客配信である。

そう、客席に座っているのも出演者の芸人たちなのだ。

漫才の冒頭、「本当は漫画家になりたかった」「漫画をやりたかったのに自分がやっていたのは漫才だった」という国崎。
そんな国崎が伊藤に対し「(相方であるはずの伊藤のことも)誰?ってなっちゃって」「だってあなた、モミアゲのバケモンでしょ?」「(そのモミアゲを使って)歩くんでしょ?」などと何度も何度も尋ね、それを伊藤が逐一否定するために一向に本題に入らない。

痺れをきらした芸人たちが、客席から「(本題である)漫画家は?」「漫画家の話は?」と口々に問いかけ始める。
思わず国崎は客席のほうを向き、「そうだよね、漫画家の話、しないといけないのにね」と喋りかける。

この瞬間に、1月1日に起きたランジャタイの奇跡が始まった。

ここから先はライブ本編の面白さに関わってくるネタバレを書く可能性があるため、まっさらな気持ちで本編を見たい人はこのページを閉じて、オンラインチケットよしもとの当該ページで視聴権を購入する事をオススメする。
冒頭と先ほどの注意と合わせて、三段階認証である。










国崎が伊藤のことをモミアゲのバケモンと疑うくだりがやっと終わり、国崎は「実はこっそりと、寝る間を惜しんで命を削りながら傑作漫画を描いていた」と告白する。
そのタイトルは「ダンク決めろ、カッペイくん!」(正式な表記は不明だが、個人的にはこの表記がしっくり来た)。
その素っ頓狂なタイトルを聞いて「ギャグ漫画?」と尋ねる伊藤に、「ギャグ漫画じゃない」と返す国崎。
「スラムダンクを超えるレベルのバスケ漫画だ」と言い張る国崎が漫画の主人公の説明をすると、これまた素っ頓狂な主人公像とともに聞いたことのない漫画のジャンルを連呼する。
伊藤はそれを逐一反芻しなんとか話に食らいつこうとするが、ジャンルを確認するたびに全く違う言葉になる上に、伊藤の言う事を「そうじゃない」と訂正するせいで何度聞き返しても全く要領を得ない。

再び進まなくなった漫才。
すると客席の芸人たちから「(国崎の話を)理解しようとするな!」「進めろって!」「相手すんな!」と、国崎を根本から否定するようなガヤが飛びまくる。

挙句「殺せ! そいつ殺せ!」などという暴言まで飛び交う始末。

その極端な野次に思わず笑ってしまうが、構わず「カッペイ君」の一話を再現をしようとする国崎。
伊藤は国崎の話に耳を傾け続けるが、少し進んでは立ち止まり、また少し進んでは立ち止まるという牛歩のような漫才に、当初は国崎に向いていた野次の矛先が徐々に伊藤にも向けられる。

「お前だけだよ(国崎の話に)興味持ってんの!
「お前、コイツ(国崎)しか友達居ねえのかよ!

わずか10人強の、それも出演者である芸人しかいないとは思えないほどの盛り上がりを見せる客席。

ヒートアップする野次。

野次に笑いそうになりながら、それでもネタを完遂しようとするランジャタイ。

私はここで笑い死にそうになったのと同時に、ランジャタイの漫才に抱いていた、ある感覚が可視化されたような気がした。


ランジャタイの漫才は、伊藤が国崎の突拍子もない提案にやんわり「違うよ」と言う事はあっても、国崎の提案そのものは一切否定していない。

だから国崎が「仮装大賞に『仏が沼にハマったよ』で出るから、焼き鳥屋をやってて」と、書きながら何一つ理解が出来ない役割を振られても、困惑しつつ「焼き鳥屋をやればいいのね」と焼き鳥を焼き始め、国崎が自分の世界に入りこんだままを危険な目に遭いそうな時には「ああっ!」と心配した素振りを見せる。


私はきっと国崎のおかしな動きや素っ頓狂な一人芝居そのもので笑っているのではなく、そんな国崎を優しく見守る伊藤を見て、「何やってんだこいつら」と思って笑っている。

そうしているうちに気がつくと、「常軌を逸した行動を取り続ける国崎」と「その国崎に対して愚痴ひとつ言わずにちゃんと理解しようとして付き合う伊藤」というランジャタイの関係性そのものが面白く思えてくるのである。


似たような感覚を、おととしの2019年にも覚えた事がある。
M-1グランプリ2019の敗者復活ステージのトリ、トム・ブラウンである。

ボケの「みちお」とツッコミの「布川ひろき」からなる彼らもランジャタイと同じく人を選ぶとされている漫才師であるが、M-1の決勝進出を果たした事もあり、テレビなどのメディアにはそれなりに頻繁に出演している。

そんなトム・ブラウンは2019年の敗者復活にて、「果汁100パーセントのピーチグミを五つ集めて、みちおが好きだったピチピチの頃の安めぐみにする」というネタをやっていた。

そのネタの終盤、ボケのみちおが自ら言い出した目的を果たそうと死に物狂いの全力で動くのだが、その姿を見たツッコミの布川は「なぜ、なぜこんな目に……!」と本気で心配するのである。
観客が「安めぐみを呼び出してくれ」と頼んだわけでもなく、みちおが勝手に言い出して、勝手にやっている事である。

しかし布川はそんなことなど気にせず、あくまで本気でみちおの身体を心配する。
この瞬間、観客はトム・ブラウンの2人の関係性に(半ば強制的に)巻き込まれていくのである。
トム・ブラウンの場合は「みちおが冒頭で自ら目的を提示し、達成に向かって挑戦するも失敗を繰り返す」という分かりやすい縦軸があるが、ランジャタイにはそれがなく、ただひたすらに国崎の世界を見守り続ける伊藤という存在がある。

訳の分からない話をひたすら聞いてくる相手がいるのをいいことに好き勝手喋る男と、こんな奴でも大事な友達だからとその男の意味不明な話をなんとか理解しようと苦心する友人。

舞台上の二人の人間関係を想像しながら、彼らのやり取りで笑う芸。


これを漫才と言わずになんと言おうか。


この寄席のキュレーターであるマヂカルラブリーは、昨年のM-1グランプリで掛け合いが殆どないネタで優勝した。

マヂカルラブリーの前の王者が、堂々巡りの問答をひたすら繰り返し喋ることで笑いを生むミルクボーイだった事もあって、メディアでは「あれは漫才ではないのでは」という論争を巻き起こす事となった。

しかし、「絶対につり革に捕まりたくない」と言い張り困難に耐える野田を見守りながら、「立て! 立って耐えろちゃんと! もしくはつり革を掴め!」「死んでしまうぞこんなところ居たら!」と呼びかける村上は、「無茶をする野田を心配する村上」という「関係性」そのものではないだろうか。

私は、お互いの素の(もしくはそう見える)関係性を元手に笑いを加速させる事が出来たら、その時点で「漫才」としての要件は満たしていると思っている。
だからこそボケの行動にツッコミがうろたえる姿が面白いし、その姿が本気に見えれば見えるほどより笑いは増していく。

だからもしも面白さが理解できないと思った漫才師がいたら、「こいつら2人で何やってんだろう」と心の中で思いながら見てみるのはどうだろうか。
真っ直ぐ見ているだけでは気づかなかった彼らの「関係性」が見えて、少しだけ周りのお客さんが笑っている理由が分かるかもしれない。


PS.
2021年にもなってまだひたすらにエンタの神様をバカにし続けている永野も最高でした。

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