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タトゥー入れたら強くなるだとか馬鹿げたこと言ってんじゃねえよ

ソレを入れようと思ったのは、その日がカンガルー日和だったわけで(村上春樹のに確かそういうのがあった。雨だと痛みそう)他に特別な理由はなかった。

流行りの奥渋に“AM2nakkan"という小さなタトゥースタジオがあるのを知り合いから聞いていた。正しい発音の仕方は分からない。
無機質な鉄筋コンクリートの建物の地下。

出てきたのは長髪アロハシャツ極太ジーパン便所サンダルといういかにもな出立ちの彫師で、そういえばこういうのには資格とかあるんだっけ、と私は急に不安になった。
ブラックジャックならまだしも、無免許野郎にゴリゴリ削られては女が廃る。

身体にメスを入れるのは、中2の盲腸手術以来のことだった。
あの頃、世界はまだ黄味がかったパンツで、今や血だらけ即捨てボロボロパンツ……おっといけねえ、パンツにたとえるべきではなかった。
とかく私は疲弊していた。

運命を変えにきたのだ、この場所に。
左耳のずっと奥、プロペラが旋回する音を止めにきた。飛行場の近くで過ごした、地獄のような16年と4ヶ月。
あんな紛い物の家族なんて天地がひっくり返ってもいらない。
かからないはずの間違い電話をずっと待っていた。本物の家族がどこかに存在していると思い込みたかった。
お風呂に入れず押し入れの中で体液まみれになった日。
食器が割れ、プラごみが散乱し、ドライヤーのコードをくくりつけられ、情報を遮断された。
吃音症になったのは多分、2歳の時に床に散らばったパチンコ玉を飲んでから。
私はもうこの身体を抱えきれない。


タトゥースタジオの店内は異常なほどに、真っ盛りの夏と言わんばかりの装飾であった。
サーフボードに波の音、巨大なガリガリ君の置物。

「それ実寸大なんよ。年季もん」

長髪の(仮免)彫師がガリガリ君に目をやり言った。
黒目の中の白い部分がほとんど消えかかっている。並んでみると、同じ目線。ジャスト152センチだ。

「売れてへん世界線のEE JUMPみたい」

どこが? という私の白けた目線もつゆ知らず、準備をすすめる彫師。
ソニンみたくボインじゃないけど。
コートのポケットに入れてあったホットカルピスを2口飲み、脳に今が冬であることを思い起こさせた。

「こちらお書きくださあい」

問診票のような紙を渡されチェックしていく。
入れるのは、耳の下と太腿の付け根。

「デザインはどうしましょうかね」

「あ、あの、昨日FAX送ったんですけど」

「あれ君か。店帰ったら床一面紙でビビったんよ」

「そんな……20枚くらいです」

「十分多いで。ほかさんでよかったあ、あぶね。持ってきますね」

タメ口と敬語が入り混じった微妙な距離感。
強面なのに笑うと窄まる目尻。
左耳軟骨に突き刺さった鈍く光るピアス。
大人は基本的に嫌いだけれど、この人は別、なのかな。

「緊張してる?」

「はい、まあ、ちょっと」

「男前と2人きりやもんねえ」

返答に困る。

「無視しやんと……ん、16歳かあ、よう調べてきてくれたんやね。ほんまにええんやね?」

「私がっどれほどの勇気をも、もって、ここにきた、きたか」

やっぱり、これだから大人は嫌いなんだ。
年頃の女の子が一人できよった、と舐めているのだろう。

「言うとくけど俺は1ミリも妥協せんよ。仕事やし」

こちらの思考回路を見透かしたような台詞を吐きながら、彫師は天井の端から端へ渡る洗濯ロープのようなものに紙を吊るし始めた。

「で、どうします? デザイン」

ロープには私が渡したものと別に、誰かの胸部のレントゲンとエコー写真と廃墟の写真がぶら下がっていた。
それにはあえて触れずに、首元には「3本の蔦とFの文字」feminism或いはfreedom、famousのF。太腿には「かえるの王様と噴水」を彫ってもらうことにした。
これは復讐なのかもしれない。
痛めつけられたことを忘れぬように。
私が私であることを自覚したまま、それでも歩いてゆけるように。

デザインを転写している時間、皿に用意されたロータスビスケットをつまんで待った。

「ほな消毒するからこっちね」
ジーンズを脱いでベッドに横になる。
下半身にタオルケットをかけられ、捲った右太腿のみガーゼで湿らせていく。

昨日漫画喫茶でネットサーフィンしている最中に見た、オイルマッサージのAVを思い出した。
キスさえ未経験の高校生の分際で、そういった知識だけは豊富だった。
あれは満たされた人間がさらに満たされる行為だ。
私はいつになったら誰かに愛してもらえるんだろう。人を愛せるんだろう。
馬鹿みたいに泣きそうになりながら、人跡未踏の地を貫くドリルの音が嫌な過去を引き連れて、息も絶え絶え意識が遠のいていった。



……ずっとずっと死にたかった。



いや、死にたかったんじゃない。



死にそうだったんだ本当に。



「おい。おーい」頬をぺちぺち叩かれる。
不思議と心地よい。

「起きんしゃい。終わったで」

巨大な猫の上で眠る夢を見ていた。
私は安心してそのふかふかに収まっていた。

時間感覚の狂った頭で辺りを見回すと、
恐ろしいほど純粋な彫師の瞳と目が合った。
本当に同じ物質で出来ているのだろか。

「綺麗やで」とお褒めの言葉。

「え?」

「俺の作品どう?」

そっちか。
持ってきてもらったちゃちな手鏡で首元を覗く。それから太腿も。
思わず息をのむ。いけてんじゃん、私。

「運命変わるかも」

「間違いないな」

背中にトン、と触れた手の温度が高く、
幸せってこういうことをいうのかもしれないと悟ったある休日の話。

ハマショーの『MONEY』がすきです。