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ありあまる幸せを誰かに奪われたことがあるかい

親に入れられた宗教大学を勢いで辞めたところから、人生が狂い出した気がする。
「理想的な1週間のスケジュールを書いてください」と言われれば、睡眠、睡眠、睡眠、とにかく睡眠なわけで、結局皆最後は肉塊なんだから、努力をしても無駄だと割と本気で思っている。あえて口には出さないけど。

私はやることもないので、夜の街をぶらぶらしていた。歌舞伎町に行くには未熟なお年頃と思い、深夜の笹塚を散歩していた。
そこで出会ったのが、結婚指輪をした“はぐれ出っ歯菅田将暉”だ。
闇堕ちしたジャズシンガーが昔、「女は風呂上がりが最も美しい」と言っていた。
だからかもしれない。
半乾きの髪を風に靡かせながら街を闊歩していた私は、いきなりその男に声をかけられた。

「ダッチワイフに向けて自分の日記を読むYouTubeやってるんだけど、チャンネル登録してくれない?」

空中殺法をお見舞いしてダッシュで逃げるつもりが、その日は竹馬のようなヒールで道をかき鳴らしていたため不可能だった。

「登録するだけですよ? バッド押しまくりますからね」

心底どうでもいい相手に機嫌取りなど不必要だ。
「お母さん第二章」というユーザー名に恐れ慄きながら、「ボインのおばちゃま、に変えた方がいいと思います」とおべんちゃらアドバイスをして差し上げた。

「僕は世界に爪痕を残したいんだ」

歯形の間違いでは?と思うほどに、見事なガチャ歯が私の喉元を突き刺す寸前まできていたが、私はいたって冷静であった。

「どうぞご勝手に」

爪痕を残すだの、名を売るだの、馬鹿げている。無宗教の成れの果てだ。

「憧れのあの人は目下の「普通」を渇望していて、四肢のない私もまた「普通」を渇望している。それが高望みとも知らずに」

驚異的に意味の分からない言語を吐かれ戸惑う私に、男は優しく付け足した。

「うちのペティちゃんの台詞だよ」

「ペティちゃんってもしかして……?」

「ザッツライト」

未回答のうちに当たったことにされたため聞くに聞けなくなってしまったが、察するにダッチワイフのことだろう。

「ペティちゃんには四肢がないの?」

「動かせなかったらないのと一緒でしょ」

「それは違うよ。じゃあ寝たきりはどうなるのさ」

「僕は媒体によって異なる意見の統制を図りたい」

ロボット返答を繰り返す男が、空気を読みあう夫婦という関係性に溺れることなく辿り着けるものだろうか。

「お兄さん、菅田将暉の復刻版みたい」

「悪い気はしないなあ。そしたら君は中山侑里の愛蔵版だ」

「誰?」

「ペティちゃんの本名」

ひどく馬鹿にされたか気がした。
髪が乾き始め、化粧を忘れた私は惨めさを抱え込む。

「兎角私は骨が痛いのだ!ああ、苦しい。胸が苦しいぞ」


ハマショーの『MONEY』がすきです。