2,利用者さんにとってADLが向上するとはなんだろう。
これは、みやすけと長年関わりのある利用者さんとのお話です。
みやすけはADLという理念の輝きを、研修でしこたま教え込まれました。
そしてとうの現場でも、今月の利用者さんはこれだけの変化がありましたよ!
的なレポートを書かせれる事務所もあるのですよ。
でもね、利用者さんの何を持って変化と取るのかは、正直難しい。
もちろん、その利用者さんが衰えてしまったら、
それは変化ではありません、特にこの業界では、そういうマイナスを嫌います。マイナスにならないように利用者さんをエンパワメントしましょう、
それが介護業界での謳い文句なのですから。
でも、みやすけは思うのですよ。
健常者でもそんなにポジティブな事ってそうそう無いでと。
そんなポンポンと元気になれるのなら、その方法をみやすけが知りたい。
そうです、みんな、それが欲しくてエナジードリンクで日々の疲れを誤魔化してるんですから。それだけ、毎日ピカピカで元気というのは、あらゆる人が所望している事なのです。
しかし、介護を利用している利用者さんというのはだいたい、誤解を恐れる事を言えば、実は"降りて行く人たち"なんですよね。
そんな様々な段階がある人生のステージから、如何にして穏やかに降りて行って頂くのか、それを長年みやすけは、ヘルパーの立場から考えていたのです。
この"降りて行く人生"、なかなか響きのある言葉だと思いませんか?
日々、ADLのアップテンポに任せて利用者さんをエンパワーするのが、ヘルパーのお仕事なのです。実際、そのように教育されます。
しかし、とうの利用者さんにとってエンパワメントというものが、少々、この介護業界の理念とかなりのズレを生んでいる事も確かなのです。
でも、元気になる事は悪い事ではありませんよね。
元気が無いよりかは、あったに越した事はない。
そりゃあそうです。そのご意見はごもっともです。
でもそれは、みやすけの感じる事と、少しズレてしまうのですよ。
まあ話しを聞いて下さい。
人は誰しも老いて行きます。
しかし、この誰しもが通る道に、どのように順応して行くのかという事を、特に年齢層が上になりがちな介護業界でもってしても、あまり語られない。
というかあまり語りたがらない。
どの職員さんに聞いても、"そりゃぁ元気が一番よ!それが利用者さんのため!"と、返って来ます。
最近は、その常套句が怖くて聞きもしなくなりました。
それでも、例外というか特例みたいな事例はあります。
特に、そのような事が起こるのは、つまり過去の利用者さんが過酷な状況だった時です。
過去、利用者さんになんらかの事情でストレスがかかり過ぎていた場合、ある日、急に利用者さんが元気になったと感じる時があります。
おおADL達成か、、と思いのお方、いいえちょっと待って下さいね。
みやすけが思うにはこうです。
そう、つまり元気になったというのは、実は利用者さんの身体が、"本来の身体のリズム"に戻ったという事なのではないか。
いかがでしょう?
人間には、その個人にとっての身体のリズムがあります。
それは成長から青年期、そして壮年期から老年期までを辿る曲線が、人によって異なるというものです。
なので、同じケアの内容でも、その利用者さんにとって、どのように作用するのかまでは、まったくの未知数なのです。ケアの結果に関しては、利用者さんによってまったく違います。
同じ事をしたとしても、元気なる利用者さんと、むしろ老いていく利用者さんとだいたい二分します。
特に元気になる利用者さんに関しては、みやすけは注意深く観ています。
つまり、利用者さんの身体が本当にグレードアップしたのか、または、利用者さん身体の本来のリズムになったのか、という見方によっては、まったくその作用が違うからです。
そして、その根本はその利用者さんにかかっていた"ストレス"がかなり関係しています。
つまり、後者の場合、利用者さんがストレスフルな状況から解放されると、その差し引きで老いぼれていたのが、本来のペースに戻るのです。そのような変化が、利用者さんが元気になったとか、快復したと評価されます。つまり、介護業界の理念であるADLが達成されたと、こう表彰される訳ですね。しかし、それは本来の利用者さんのリズムに戻ったという話であって、即ち、グレードアップされたという訳ではないのです。
そのような快復は、ある所までは顕著に出ます。
人よっては、髪が黒々となり、人にっては肌ツヤが良くなるのです。
髪の毛が伸びるスピードが早くなる利用者さんも居ます。
その瞬間は、とても嬉しいのです。
みやすけも、利用者さんと2人でやったね!と言った事もあります。
でも、それはある界を機に、その快復は減速していくのです。
老いと戦う、という謳い文句が巷ではよく宣伝されていますが、現実ではどうなのでしょうか?
みやすけはこう思います。
そう、人は成長が止まったその瞬間から、否応なしに老化と共に人生は下降線に入ると。これは死という機能を持つすべての動物の宿命なのですよ。
それがたまに記憶力が良くなったとか、腰の調子が良いというのも、それは刹那的なものでしかないのです。
人は死というゴールがある限り、総じて下降していくのみなのです。
そんな日々の中で、どのようにして楽で過ごせるのか、むしろ日々平坦で生きる事すら難しい人がほんとんどの利用者さんにとって、それでもある程度の楽しみがありながら、老いと共に下降していくというのは、ある意味では、切望に近いのかも知れません。
それにね、だいたいの利用者さんが望んでいるのは、平穏な生活なのです。
当たり前ですよね、介護を受けるそれまでが前途多難だった訳ですから。
しかし、時たまでも良いから、元気になって、ハッスルするのも良いでしょう。
それがすべての人にとっての、人生の醍醐味なのですから。
とことんその元気を楽しめば良い。
でも、その傍でひっそりと忘れ去られている現実も直視しなければ、いつかそのしっぺ返しは、あなたの首根っこを掴んで離さない事でしょう。
そうそれこそ、老化との対面なのです。
しかし、ADLを信奉する今の介護業界はまったくのデタラメなのだと、みやすけは言いたいのではないのですよ。
ADLを目指す中でも、きっと輝かしい瞬間がある、それはそうだと思います。
人生がゲームだと思えば、たまに宝箱が出てくる事もおおいに有りです。
ましてや、その中身がキンキラリンの宝石だったとしたら、さぞかし嬉しいでしょう。
みやすけなら、その宝石を即換金しに行きますよ。
それも、人生の楽しみです。
それには、みやすけも手をブンブン振って喜びますよ。
そのような、あらゆる面が錯綜してこそ人生だと、みやすけは思っています。
ADLとはなんだろう、今一度そこから俯瞰してみたら、新たに見えて来るものがある。
そう、そこから見える地平は遥か彼方の人生のゴールへと続いている、
みやすけはそう思っています。