定年も老後も余生もない。

 公立中学校の教員を35年間つとめて定年を迎えた今年、退職手当をもとに飲食店を開業した。テイクアウト専門店「&キッチン」である。横浜市磯子区の浜マーケット内に店舗をお借りし、昨年暮れから仕事の合間をぬって、解体、造作をDIY、4か月かけてオープンにこぎつけた。何もかもまったく初めて、しかもコロナ禍中の飲食店開業、いかにも無謀、多くの同僚が選ぶように再任用であと5年続けられたのに、なぜそうしなったのか。

今でも教師は自分の天職だと思っている。子供が好きなのはもちろん、授業にしても行事にしても学校運営にしてもクリエイティブでいられた。教師になったのはバブル全盛期、公務員の給料は民間とは比較にならないほど安く、バブル崩壊後は安定した職業の恩恵を受けるも、間もなく長引くデフレで公務員に対する風当たりが強くなり、40歳を境にベースアップはストップ、それでも続けてこられたのは仕事が好きだったからだ。
定年間際の2020年、前代未聞の長期休校、最後にじゅうぶんなはたらきができなかったことは残念だが、自分を見つめ、将来を考える時間ができた。60歳でリスタートするのと、再任用して65歳まで働いてからではかなり違う、このタイミングでなければできないことがある。若い教員に引けを取ることはないが、組織の中では重しになりかねなかったしね。
学校はクリエイティブでいられると同時に、変化をきらう古めかしい体質との戦いの連続だった。自著NOTE「教職バカ一代」に詳しいのでよかったらお読みいただきたい。コロナ対策に四苦八苦して何もできない教育委員会と現場組織、もてる権限を使えない管理職の怠慢、給料ドロボーの職員や足をひっぱる同僚に対する諦念、教師が、と思われるだろうが生徒と大して変わらない幼稚さ。その詳細は自著NOTE「&キッチン開業顛末記 5」をお読みいただきたい。

 よく第二の人生と言われるが、仕事がかわっただけで、「はたらく」ことに第一も第二もない。自分のもてる力をどう発揮するか、目の前の課題をどうクリアするか、澱まず流されず続けることができるか、教壇に立つことも、店舗の造作をすることも、飲食店を営むことも、クリエイティブを楽しむことに変わりはなく、そんなに高いレベルの話ではない。起業も若さゆえの無謀さは持ち合わせていない、え?、じゅうぶん無謀?、かもしれない。店舗造作のDIYはたのしかったが難題にぶつかるたびに心折れそうになった。知識も技術もなく、学びつ収斂しつつ少しずつ、ほんとうによくできたと自分を褒めたい。
学びに年齢は関係ない。体力の差は工夫でカバーする。肝心なのは身の丈に合った手段と方法を選ぶこと。経験は関係ない。教員時代に経験でものを語ることはなかった。つねにケースが違うし、時代も変わる、これまでの経験と知識では通用しない。商売も初めてで失敗の連続、それでも店舗DIYを乗り切ったことが自信になっている。目の前の危機をどう乗り切るか、考えるしかないし、実行するしかない。やることが違っても、常に自分を見つめ、適切な選択をし、向かっていく姿勢は同じだと思う。(了)

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