沖縄に似ているウクライナ  授業日本史4

3月26日 連合国軍の沖縄上陸にちなんで

ロシアによる侵攻を受けているウクライナだが、同じように歴史に翻弄されてきた沖縄、かつて琉球王国は東シナ海の中継貿易地点として栄えていたが、江戸幕府の直轄で薩摩藩が支配することになる、しかし王朝が滅亡したのは明治になってから、明治政府は廃藩置県前に琉球藩を設置、その後で沖縄県を置くことで「正式に」日本とした、日本に「なった」のはそんな昔の話ではないということ。ではどうして江戸幕府は琉球の独立を認め続けたのか、それは琉球を外国としておいたほうが都合がいいからだった。当時海外との交易は制限がきびしく、とくに大陸は中国(明つづいて清)が鎖国政策を続け、また朝鮮は幕府将軍の代替わりにのみ行われる使節団の来日による朝貢のみが取引の場になっていたから、地勢的に大陸の商人(唐人)やロシアや蝦夷地を結ぶ日本海貿易の絶好の中継地点にあり、大陸の文物を手に入れるために琉球は貴重だった、ここで琉球を滅ぼして幕府の支配下に置いてしまったら、琉球がもつ中国とのパイプが途絶えてしまう。そこで幕府は琉球の独立性を保ちつつも、薩摩藩による支配をつづけた。そのため琉球の人たちは民族独自の生活や慣習を尊重することができた。しかし、明治になって沖縄県として日本の支配下になると、皇民化政策によってそれは踏みにじられ、日本語や日本の生活習慣、日本の神をまつるよう強制されることになる。幕府時代と明治政府、琉球の人たちにとってどちらがよかったのか。沖縄は太平洋戦争で唯一連合国軍の「日本」上陸、はげしい戦闘で多くの一般市民が犠牲となった地、戦後も1972年まで米軍による占領が続けられ、パスポートが必要な文字通りの「外国」扱い、日本に返還されたのちも米軍の駐留は続き、日本の70パーセントの基地が今も置かれている。米軍兵士の不祥事や近年ではコロナ禍で大きなダメージを受けた。このような経緯と現実をみると、沖縄がほんとうに日本なのか、沖縄の人たちはほんとうに日本人なのか、あいまいに思えてくる。

ウクライナはソ連時代に連邦として併合されるが、1991年ソ連崩壊で独立、豊かな穀倉地帯とチェルノブイリに代表されるエネルギー開発からわかるように、ロシアにとっては重要な国だった分、ロシアのウクライナに対する未練は大きいと想像できる。帝政ロシア時代にドイツと激しい戦闘があった戦地であり、ウクライナはドイツからもロシアからも攻め込まれ、多くの犠牲を出している。ドイツ侵攻から守ってくれたのはロシアなのか、社会主義によって自由をうばったのがロシアなのか、国民のあいだで意見が分かれるのは当然だ。

ロシア側の論理がすべて間違っているという解釈はロシアと敵対する国々の論理で解釈するためだから、当事者同志だけなら通る理屈も通らなくなる、ウクライナはほんとうに独立できるのか、ロシアの支配を逃れても新たな支配が待っているのではないか。時代に翻弄され続けているのは沖縄と同じだ。各国の利害だけで当事者の意見に耳を貸さず、都合のいいまたは都合の悪てことばかり並べたてる。戦争を終わらせることは重要だが、そのために当事者だけがのけ者にされていくような結末だけは避けたい。

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