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奇跡が起こったとき、神様はいるんだと思った。

昨年の12月の初め頃、
89歳になる父が、家の階段から落ちてしまいました。
階段と言っても、中段にある踊り場からなんですけれど。
突然、ドドーーーンという大きな物音がしたので
様子を見るために部屋から出ると
階段の下に、父が横たわっていました。
スリッパが踊り場に脱げていたので、
ここから、足を踏み外したのだろうと思いました。

顔面は蒼白でしたが、意識はありました。
抱き起こすと、
冷や汗なんでしょうか。
全身が汗で濡れていました。
救急車を呼ぼうかと言ったのですが、
「大丈夫だ。」と言うので
フラフラする体を支えて、椅子に腰かけさせました。

今から思えば、
この時、救急車を呼んでおけばよかった。

それは、頭を強く打っていたからです。
高齢の為、打撲だけでなく骨折している可能性もありました。

着替えをさせているうちに、
顔色もよくなってきました。
会話もできて、私が誰だかわかるようでした。
ただ、
後頭部に、ゲンコツくらいのタンコブができており
背中と腰に、階段ですべったときの
擦り傷がありました。
もし、骨折していたら激痛のはずですが、
そんな様子もありませんでしたので、
シップで応急処置をしました。
その後も、腫れてくるようすもなく、
とりあえず、安静にしておくことにしたのです。

ところが、

夕飯時になって、気分が悪いと言い出したのです。
その日のメニューは、父の大好物のちらし寿司だったのですが
一口も食べようとしませんでした。

やはり、病院に連れて行こう。

病院では、診察の後、たくさんの検査を受けた結果、
入院することになりました。
頭を強打しているため、症状が急変する虞があるからです。
というのも、
CT検査で、脳にうっすらと血の塊があることが分かったからです。
それは、小さなものでしたが

急性硬膜外血種きゅうせいこうまくがいけっしゅといって
高所、階段からの転倒や、交通外傷などによって、
強く頭部を打撲することで、脳を覆う硬膜という膜と
頭蓋骨との隙間に血液が貯留した状態になり、
最重症のものは一刻を争う状態で、
緊急手術の適応にもなるからです。


病院で、検査を受ける間
動揺する認知症の父には、

大丈夫

大丈夫だからね。

頭を打ったけれど、
無事でいてくれて、ありがとうね。

こんな夜遅くまで、
先生も看護師さんも職員の人たちが、
ジジ(父)のために働いてくれてるんだよ。
ありがたいね。

幸せなことだね。


何度も何度も、父に言い聞かせたのです。
父は、うん。うん。と
うなずいて、次第に落ち着いてきました。

入院病棟の看護師さんには、父が認知症のため
病院を抜け出す恐れがあることを伝えたところ、
「わかっています。」と。
以前、この病院で父が逃げたした時のことを知っている看護師さんでした。


入院の手続きなどで、帰宅したのは午前零時ちかくになっていました。

私は帰宅して、
慌ただしく出かけたままになっている様子や
父の脱ぎっぱなしの服やスリッパを見て
もし、父が逝ってしまったら。。と
この何でもない風景が、
こんなにも寂しく感じるものなのかと
胸を詰まらせたのでした。


翌日、
病院から連絡があり、
昨夜の状況や更なる検査の結果で、退院の許可が出たのです。

ただし、一か月後に検査が必要であることも伝えられました。
硬膜下血腫になっていることがあるからです。

硬膜下血腫こうまくかけっしゅとは、
頭蓋骨の下にある硬膜 (脳と脊髄を覆う膜の一つ) と
脳の間に出血が起こり、
そこに出血した血液が急速にたまることで、
脳を強く圧迫する状態です。
頭痛がしたり、なんとなく元気がない、
言葉が出にくい、尿失禁をするようになった、
麻痺がある、歩行がおかしいといった症状があるようです。

そして、一か月後


父は転倒のショックからか、
少し認知症がすすんだように思えましたが、
至って元気。
検査の結果、転倒した当時の血の塊も消えたようで
次回の通院の必要はないと言われました。


あぁ~何ということだろう。


階段から落ちて、

頭を強打したのに、無事だった。

背中も腰も打撲だけで、

骨折もしていなかった。

89歳の高齢だというのに。。。


もう、これは奇跡としか思えません。


私はこの時、

神様はいるんだと思ったのです。



ありがたいの一言に尽きます。
世の中の全ての皆様お一人お一人に、感謝の言葉をお伝えしたい。



ありがとうございました。





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最後までお読みいただきありがとうございました。



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