【小説】40才のロックンロール #7
" あの娘のことが好きなのは、赤いタンバリンを上手に撃つから。流れ星一個盗んで、目の前に差し出した時の顔が見たい "
ブランキー・ジェット・シティの「赤いタンバリン」を聴いた回数選手権があったなら、上位に食い込む自信がある。ジャキジャキしたベンジーのギターがたまらない。
8月になった。蝉の声が日常の音になるのが、この時期であろう。この真っ只中にいるときは「うるさい」とか言い、9月には「なんだかさみしい」と思ったりする我々人間のことを、勝手なやつだなと蝉は思っているだろうか。
ぜひ、そう思っていて欲しい。僕が蝉なら、そう思うからだ。
今日も当たり前に出勤し、当たり前に谷岡さんは遅刻してきた。
今日のバイトのシフトに「13:00〜19:00 浅井」と書いているのが目に入った。
(来るのか、今日。そうか。そうなのか。)
僕はそんなことを思いながら卓球ゾーンに向かい、つぶれたピンポン球を回収した。卓球ゾーンの壁には、一部なぜか大きな鏡が貼ってあり、それを拭くのも開店前の業務だった。いつものように拭いていると、ふと自分と目が合った。鏡に映った中年男性の口角は、ごく自然に上がっていた。それが自分だと気付いた瞬間に、笑顔で殴り飛ばしてやろうかと思った。
「粟井、お前今日昼飯どうすんの?」
「え、まぁ適当に。」
開店前の10:45に昼飯のことを聞いてくる、同じく中年男性の先輩の脳内が心配になった。
谷岡さんは、基本的に愛妻弁当を持参する。谷岡さん曰く、本当に毎日同じ人が作っているのかと疑うほどに、出来が違うのだとか。いや、それはあなたのせいでしょうと思っているが、口には出さないであげている。弁当を持たせていただいていることに、あなたはまず感謝をしなさい。
「今日俺弁当じゃないのよ。いろいろあって。」
「そうなんすか。」
谷岡さんが「いろいろあって」と言うときは、大体谷岡さんの仲良くしている女性30人のうちの誰かと、「いろいろあった」ということを意味している。
「今日バイト君いるから、久々にラーメン行こうぜ。今日みてぇなクソあちぃ日に食うラーメンって、最高だもんな。」
「え、そうすか?まぁ、オッケーっす。」
技巧派の超絶バイトリーダー高木くんが、10:30ぴったりに出勤していた。高木くんがいるときは、正直僕も気が抜けている。なんつっても、超絶バイトリーダーなのだから。
高木くんがロックンロールをこよなく愛していることを、僕は噂で耳にしていて、いつか二人で盛り上がりたいと思いながらも、その日は来ていない。
「じゃあ高木、俺ら飯行くから。」
「了解です!ごゆっくり!」
谷岡さんが調子に乗った口調で高木くんに言うと、食い気味に元気な返事をしてくれた。
「ごめんね。なるはやで戻るから。」
僕は高木くんに伝えた。「なるはや」って、最近聞かないなと思った。僕も歳を取った。
うるせ。
谷岡さんの言う「ラーメン」は、アメドリから徒歩2分の「ラーメンハウス」のことである。ネーミングからは想像できない美味さの、老舗である。
「俺、味噌。」
「あ、俺も味噌でお願いします。」
ここの味噌ラーメンには、刻みにんにくがたっぷり入っている。僕らアメドリの店員は、にんにくの匂いは「香り」だと思うことにしている。鎌田さんの教えだ。
「今日、午後から浅井ちゃんだな。楽しみだな。」
谷岡さんから100万回ほど聞いたことあるセリフが、今日も発せられた。
僕は、鏡に映った中年男性の口角を思い出す。アゲアゲの口角を。
一度胃に入ったにんにくは、香りではない。当たり前のことを、同時に思い出す。
「すみません。僕、中華そばで。」
中華そばには、にんにくは入ってない。
気にした。浅井さんと近距離で話すことを想像し、ラーメンの一部だったにんにくが、自分の一部になることに驚愕した。
哀れだ。お客様と近距離で話すことを、まずは想像すべき状況だ。
つくづく、哀れだ。
僕ら哀れな中年男性2人組の眼前に、もやしとコーンと刻みにんにくであふれた味噌味のそれと、なるととチャーシューが乗った醤油味のそれが、湯気でこちらを威嚇しながら、着丼した。
僕らは、丼に顔を突っ込みそうになりながら、麺をすすり、スープを飲んだ。その食いっぷり、親の仇の如し。
しかし、ひとつ気になることがある。今日も右隣でそれが繰り広げられている。谷岡さんはラーメンを食べるとき、麺の先をレンゲに軽く乗せて、すする。これが、無性に腹立たしい。
「ごちそうさまー。」
「ごちそうさまでした。」
今日も安定の美味さだったなとか言いながら店に戻り、午後の仕事が幕を明けた。
ほどなくして、浅井さんが出勤した。
「お疲れ様です!」
いつものように、滑舌の良い挨拶をかましてくれた。
「浅井ちゃん、お疲れ!今日もかわいいね!」
谷岡さんがこれまたいつものように、爽やかな挨拶をする。僕は小さく「お疲れ様。」とつぶやく。きっと聞こえてないだろう。
午後は谷岡さんと高木くんが1階、僕と浅井さんが2階の担当になった。味噌ラーメンを食べなかった自分を褒めてあげたい。
平日は、正直暇だ。でも、今日は暇だと困るのだ。意味もなくいろんなところを掃除してまわったけど、もう十分ピカピカだ。このままでは、カラオケの受付裏で、浅井さんと二人きりになってしまう。
そんなことを考えている自分のことが、よく分からない。別に、いいじゃないか、二人きりでも。仕事なんだし、そんなことだってあるじゃないか。
そう思っているうちに、受付裏に到着してしまった。
「あ、粟井さん、すみません!お掃除。」
「いや、別に大丈夫。暇だしさ。」
「そうだ。前から不思議だったんですけど。」
「え?」
「なんで、ダスターって言うんですかね?それ。」
「なんでって、英語にしただけでしょ。」
「あ、そういうことか!あ、そうなんですね!知らなかったです。恥ずかしい…」
「世の中、知らないことの方が多いんだから、別に恥ずかしくはないよ。」
とてもつまらないことを言ってしまったと思った。さすが不惑の40だな、俺は。
「え、めっちゃいいこと言う!粟井さん!」
「いや別に、そんな…」
予想外の反応に戸惑ったが、浅井さん越しの窓に映る中年男性の口角は、やはりアゲアゲだった。
ふと、「赤いタンバリン」を思い出す。
確かに見てみたい。この娘が夜空から流れ星を一個盗んで、僕の目の前に差し出した時の顔を。
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