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#私を構成する5つのマンガ

#私を構成する5つのマンガ
『攻殻機動隊』
『AKIRA』
 『Dr.スランプ』
『湾岸MIDNIGHT』
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』

 です。

『攻殻機動隊』 

押井守監督のアニメ作品が有名ですが、
士郎正宗さん作の原作コミック版は1991年10月発売。29年前。

日本にインターネットも携帯電話も普及する前のあの時代に、人の魂(ゴースト)のデジタル化・外部化やブレインーマシンインターフェイス、それによる人・ヒューマノイドの意識変容をつぶさに描いた作品でした。

私は当時大学で社会学と心理学を学び、マスメディアに興味がありましたが、インターネットの一般利用が始まり、サイバースペースの無限の可能性に明るい未来を見出していました。同時期にハヤカワSFにもはまっていて、ウィリアム・ギブソンのニューロマンサーをはじめとしたスプロール三部作なども読んでいましたが、攻殻機動隊は別格の緻密さ・リアルさとともに、サイバー時代における倫理・政治・経済の問題点もあぶり出していました。おかげでアメリカのハッカーコミュニティにも興味をもちました。

卒論は攻殻機動隊の影響を受け、『ブレインーマシンインターフェイス時代におけるプライバシーとは』みたいなものを書いた覚えがあります。これらは2010年代にもデジタル・ツインやDMCAなどで話題になったものと通じています。

攻殻機動隊は、ストーリー本編はもとより、欄外の手書きの注釈が本体なのではないか?というぐらい、内容が深いです。コミック版をぜひご一読ください。

推しキャラ(?)は、project2501、通称人形遣い(puppet master)。

『AKIRA』

大友克洋さんによって1982年12月20日号から1990年6月25日号にかけて連載された、言わずと知れた日本漫画界の金字塔です。
アニメ映画にもなり、そちらも全世界に影響をあたえた作品となります。

漫画界では大友前・大友後とも言われるほど、現代の漫画にコマ割りやストーリー展開面で影響をあたえている作品になります。

攻殻機動隊と同時期でもあり、共に扱われることも多いかと思いますが、攻殻機動隊がサイバネティクス、ブレインーマシンインタフェイス、ヒューマノイドを描いたのに対し、AKIRAはデザイナーチャイルドを描き、それを大量破壊兵器へのアナロジーとして描き出しました。それは倫理観はもとより、世界秩序、ヒトが縋る宗教や、死生観にも問題提起しています。

また進化したデザイナーチャイルドが持つ超常能力として、一部にテレパシー的が描写があります。後述する、ガンダムのニュータイプにも通ずる、新世代の若者たち同士のコミュニケーションへの渇望、大人世代への反抗だったのかもしれません。

推しキャラは、金田かなあ、やっぱり。

 『Dr.スランプ』 

1980年から1984年に連載。
鳥山明さんといえばドラゴンボールですが、もちろんドラゴンボールも好きですが、やはりDr.スランプを外せませんでした。期せずしてこれもロボット、ヒューマノイドについての作品となっています。

コミカルな作品中に書かれているのは、ヒトとの能力差(ヒトが劣りすぎていること)に気づき、でも自分をコントロールすることは難しく、またヒトと分かり合うことの難しさに苦悩するアラレ。彼女に、悲しみともおかしみともつかない、なんともいえない感情を抱いたものです。

また、ドラゴンボールでもそうですが、鳥山明さんのイラストレーターとしての才能が爆発している、各種メカやキャラクターたちのイラストに、世の中には絶対に追いつけない才能というものがあるのだと、子供心に嫉妬していたのを思い出しました。

推しキャラは、茜ちん。

『湾岸MIDNIGHT』 

車漫画といえば頭文字Dも有名ですが、私は楠みちはるさんの湾岸ミッドナイト推しです。1990年 - 2008年の長期連載ですね。ちょうどそのころ、改造車雑誌のOPTIONとかOPTION2とかを愛読していたのも、ありました。

主人公が駆る「悪魔のZ」こと初代フェアレディZ(S30型)と、それを取り巻く人間模様、そして主に首都高において公道バトルを繰り返す自分たちが狂っていると自覚しながらも「悪魔のZ」に挑んでは消えていく数多くの挑戦者達の様子を描いています。

車自体はそれほど現実に忠実に描かれているとは言えないと思いますが(失礼)、それが独自の味となっており、うまく人間模様に絡んでいきます。またこの作品では各登場人物のキャラ立ちと共に、味わい深いセリフが印象的で、それがただの車バトルマンガでない、なんとも言われないロマンみたいなものを感じさせる結果となっています。

「力の入れかたがわかっているのならあとは力そのものの強さでしょ」
「そりゃあいい気はしないサ とくに若い頃はムカついたヨ 苦労したプログラムをあっさりコピーされ大量に売られてサ でも、ある時それもそう悪いコトじゃないと思ったのヨ」

推しキャラは、地獄のチューナー、北見 淳。

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』

はい。おっさんにはこれを外すことはできない。定番ですね。富野由悠季さん原作の小説、TVアニメ、劇場版アニメ、その後の宇宙世紀シリーズの各種続編を経て、2001年-2011年に発表された、安彦良和さんによるコミック版です。

TV編でも描かれなかった一年戦争の前後譚が描かれた超大作となっています。そのうちの一年戦争前夜の部分、とくにキャスバルとアルテイシアの物語が、「誕生・赤い彗星」として劇場版にもなり、NHK地上波でも放映されていました。

製作当時の富野さんの年齢と同じぐらいになってから再読した小説版およびTHE ORIGINの、主題の深さには唸らされました。ガンダムは教養、ガンダムはリベラル・アーツです。
政治とは・戦争とは・正義とは、はガンダムから学んだと言っても過言ではありません。特にジオンとナチスを絡めた分析は色々な方がされていますが、ネオ・ジオンやナチスドイツが全体主義でありながら孤独だということの指摘には膝をうちました。

デギンがギレンをヒトラーの尻尾と叱責しましたが、ハンナ・アーレントはナチズムとボルシェヴィズムを比較して、この「扇動」と大衆の心理状態を以下のように分析しています。

現代の大衆社会に特有な個人化とアトム化が全体主義的な支配の成立にとっていかに必要不可欠かを明らかにするには、ナチズムとボルシェヴィズムを比較するのが最上の方法だろう。この二つは歴史的にも社会的にもこれ以上の相違は考えられないほど異なった条件のもとで成立していながら、結局はその支配形式ならびに諸制度はともに驚くべき類似性を示すに至っている。(太田哲男『ハンナ=アーレント Century Books―人と思想』 p.110)
ナチスと共産党は水と油のように最も離れた距離にありましたが、そのやり方はとても似ていました。排外主義的で、暴力的で、大衆を扇動する。この二つを支えているものは大衆であり、狂気と悪を冷静に判断できない個人の集まりです。
悪に先導される個人の多くは共同体を失っていました。共同体とは家族であり、地域であり、国です。第一次世界大戦後、ヨーロッパには多くの無国籍者があふれ、家族を失った者がたくさんいました。共同体はそれまで(宗教などを通じて)一定の教育を与え、「感覚麻痺」しないための価値観も与えていましたが、それらはもうありません。
加えて私たちは常に誰かから必要とされている状態を欲します。当時のドイツとソ連はその心理を利用するように、一人ひとりの個人に「あなたが必要だ」と訴えるのです。行き場を失い必要とされていないと感じる人々は、その言葉に酔ってしまう。
扇動された個人たちに何が足りなかったか? おそらくそれは共同体であり、横のコミュニケーションでした。ばらばらになったことで、一人ひとりは上からやってくる言葉を、それが悪であるか判断もしないで受けとめたのです。
ーhttps://www.irohabook.com/hannah-arendt より引用
愚かではなかった。完全な無思想性ーこれは愚かさとは決して同じではないー、それが彼のあの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。
(イェルサレムのアイヒマンp221より引用)

とか、こんな感じでいくらでも話しができそうですが、このへんにしておきます。

推しキャラは、カイ・シデン。

ちなみに会社のチーム名はロンド・ベルです。


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