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卒乳できなかったあの日のこと

ニコの育児は何もかもが体当たりな感じで、特に苦労したのは卒乳と寝かしつけだった。このふたつに関しては結論から言えば私は完遂できず、インドネシアの夫の家族に頼る形でようやく達成したのだった。

ニコはおっぱい大好き星人だったし、私は体調を崩しがちなワンオペ生活で添い乳での寝かしつけに頼っていた。寝不足や体力的な限界を感じて卒乳には何度も挑戦したけれど、そのたびにニコはギャン泣きし、ニコの声に敏感な夫は翌日仕事を控えていても全く眠れず、毎回ふたりして心が折れては断念していた。

初めて半日以上授乳せずに粘ったのは、2018年の夏に大阪でやや大きめの地震があった日だ。その日は明け方まで家族3人で夜通しワールドカップの試合を見て、その後ふたりでゲームのオンラインイベントに参加して、ようやく寝ようかというときに地震があったのでよく覚えている。

少し寝て起きた後、歯が生えて間もないニコに乳首をガブリとやられ、痛みも手伝って「今日こそは授乳せずに過ごしてみよう」と何度目かの卒乳に挑んだ。その頃のニコは生後6ヶ月くらいで、おっぱいから直接飲む母乳以外の飲み物、食べ物は一切受け付けず、水もミルクも搾乳した母乳さえ飲まなかった。

おっぱいを求めてももらえないので、いつも通りニコはギャン泣きし続けていたけれど、中途半端にやめるのが一番かわいそうだからと遊んだり抱っこしたりと気を紛らわせた。

地震があった直後だったものの、以前から予防接種を予約していたので午後からは小児科へ行った。お医者さんに卒乳チャレンジ中であること、朝から何も口にしていないことを伝えて相談してみると、「喉が乾いたら必ず水でもミルクでも飲むから大丈夫」と背中を押された。

小児科からはタクシーで帰るつもりが、地震の影響でなかなかつかまらなかった。とぼとぼ歩いて帰りながらなんとか奇跡的に一台空きを見つけて乗り込み、家に着くとすでに夕方。お医者さんの言葉を思い返しながら、ミルクや搾乳した母乳を哺乳瓶で与えるも拒否。コップでも拒否。スプーンでも拒否。指につけて与えても拒否。すでに朝の添い乳から12時間ほど経過して、ニコは泣くこともやめてしまい、グッタリして見えた。いつもは数時間おきに交換するはずのおむつもしばらく濡れていない。脱水症状を起こすのでは?と気が気でなかった。

夜、夫が帰宅して、状況を説明してから私は諦めて怖々ながら母乳を与えることにした。指で噛みつかれた部分を押さえながら授乳するとニコも歯が当たらないようにうまく回避できるようだった。ニコはそのまま一気に飲み干し、「ぷはー!生き返ったー!」とでも言い出しそうなハツラツとした表情を満足げに浮かべた。こうして私たちはまたしても卒乳に失敗したのだった。

でも実はこの時、内心は失敗してよかったと思っていた。というのも、いろいろ授乳をやめたい理由はあったにせよ、私は授乳中のひとときが好きだったからだ。ホルモンの影響もあるだろうけれど、腕の中で幸せそうに安心し切って眠るニコを抱いている時間はかけがえのないものだった。

だから、自分から「その幸福感を手放して前に進む」と覚悟するのは、とても切なかった。たとえるなら「失恋することはわかっているのに、現状維持にもう耐えられなくて告白することを決めた時の気持ち」に似ていると思う。一歩踏み出したらもう戻れない、その引き金を自分で引く覚悟。ニコがギャン泣きしておっぱいを求めるのを制している時、「もう2度とおっぱいをあげられないのか」と心にぽっかり穴が開いたような心境だった。

あれから一年半後、ニコは2歳を迎える前に卒乳した。覚悟が決まったというよりは、第二子の出産を控えてそうせざるを得なかった。ニコは今ではおっぱいを見ても欲しがることはない。せいぜい、「おっぱい」と言いながら服の上からタッチするくらい。

義家族の協力のおかげで、ワサビを塗って嫌いにさせるなどの強硬策に出なくて済んだことはとてもありがたい。最後の最後でトラウマにするなんて嫌だったから。ニコにとって、私のおっぱいが「昔大切にしていたぬいぐるみ」みたいな存在だったらなあと思う。

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