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【ネタバレあり】日本のクィア映画の新たな金字塔『エゴイスト』は愛についての物語

どうもグッドウォッチメンズの大ちゃんです。


今回は2月10日に公開され、以前から高い下馬評を得ていた映画を紹介します。


エゴイスト

2023年 日本

原作 高山真 『エゴイスト』

監督・脚本 松永大司

脚本    狗飼恭子

キャスト  鈴木亮平

      宮沢氷魚

      阿川佐和子

      柄本明


高山真による自伝的小説『エゴイスト』を『トイレのピエタ』などの松永大司が映画化。『孤狼の血 LEVEL2』の怪演が記憶に新しい鈴木亮平がゲイである主人公の浩輔を演じる。共演には『ムーンライトシャドウ』などの宮沢氷魚、近年俳優としての活動が増加している阿川佐和子。


≪ あらすじ ≫

東京の出版社でファッション誌の編集者として働いている浩輔はパーソナルトレーナー龍太と出会う。若くして母を亡くした浩輔とシングルマザーである龍太の出会いはやがて互いを必要とし、支え合うようになるが…。


私としても待ちに待っていた映画『エゴイスト』。

まず前提として認識していただいた方がいいのが、これはゲイの恋愛を描いた映画ということ。マジョリティ側の視点として、クィア映画を紹介する際に、「LGBTQではなく普通の恋愛映画」と表現することがありますが異性愛者と過度に同じものだとすることでそこに偏見が存在していないか注意する必要があると近年言われています。

個人的には自分とそれ以外の存在を同じものとしてではなく、飽くまで違う存在として認識することから見えてくるものがあるかと思うのでそれを持ちながら『エゴイスト』が描くものを捉えていこうと思っています。


ちなみに、動画レビューはこちら

【新作映画レビュー】繊細な撮影、演技に魅せられる広くて深いクィア映画『エゴイスト』レビュー




今回は以下のようなパートで感想を綴っていきます


1.近年のクィア映画と潮流と当ブログ管理人の距離感

2.映画の作り、カメラの動きと役者の演技について

3.『エゴイスト』が描く愛についての定義


1.近年のクィア映画と潮流と当ブログ管理人の距離感

当管理人は異性愛者の男性で性自認も一致しています。

そういう前提がありながら、LGBTQ+を描いた作品は極力リアルタイムで鑑賞しようと思っています。既存のジェンダーロールに多少の違和感を持っているということもあり、そこから描かれる物語に惹かれることが多いのかなと自己分析しております。

ただ、マジョリティ視点でマイノリティの物語を鑑賞して感傷に浸るという行為はある意味独善的と言われても仕方がないのかもしれないので、そこへの適切な距離感は常に考えるべきがあるなと思っています。

クィア映画は近年特にそういった独善的な「消費」で終わらない映画作りを志されている作品が増えてきているなという印象です。

2013年に公開されカンヌ国際映画祭に最高賞も受賞した『アデル、ブルーは熱い色』も性描写が性的消費を助長するという批判も上がってきています。

そういった背景もあり、当事者が自分たちの物語を語るという潮流が近年浸透してきています。

私もとても好きな映画ですが、セリーヌ・シアマ監督の『燃ゆる女の肖像』は女性目線で性描写を捉えており、性的消費に陥らない対処がされていました。

監督、キャスト含めレズビアンをジェンダーアイデンティティーを持つ制作陣で構成されています。

グザヴィエ・ドランやフランソワ・オゾン、日本では橋口亮輔監督もゲイであることを公言しています。

世界の国際映画祭や映画賞でもそのような題材が高い評価を得る作品も多く、多様性を慮る世界の潮流として注目される題材であると言えますね。

(アカデミー賞も多様性を重んじて、新たな選定基準が設けられました。ここで概要を書くと誤解を招きそうなので、詳しくはご自身でお調べください。)


そんな中、『エゴイスト』はというと、原作者の高山真さんがゲイだったので当事者による自分たちの物語ということは言えそうです。

今作を鑑賞していても、自身のセクシャリティによる葛藤でドラマを盛り上げるという描写は最小限度に抑えられていた印象です。成熟した大人ということもあり、自分たちが自分たちらしくいられるコミュニティに属していて、セクシャリティを周囲に隠しているわけではないといえそうです。

マジョリティが消費する物語の特徴として、マイノリティであるLGBTQの人物が周囲の人物にカミングアウトをできるかどうかというシーンをクライマックスにあてるなどがありますが、ある程度多様性の価値観が浸透しつつある現代においてその物語は語り終えているのかなと思います。(当然、世間にはまだ無理解と偏見が蔓延しており、私も自分自身がそのなかの一部であるという自覚は持つべきだと思っております。)


監督である松永大司さんはトランスジェンダーの友人を捉えたドキュメンタリーを製作した背景があり、宮沢氷魚さんはゲイの親友がいると公言していることから比較的近い距離感と理解があった上で作られたものではないかと思います。

鈴木亮平さんも、高山真さんの近親者の方々に徹底気に取材を重ね、役作りを進めていったといいます。

浩輔のゲイコミュニティの友人たちも当事者の方々が出演されています。

主演二人の演技はとても素晴らしく繊細さが表現されていましたが、LGBTQの役者の雇用機会の問題もあり、近年では当事者が役を演じることが望ましいとされているので、そこに疑問を呈する人がもしかするといるかもしれません。

そこで、鈴木亮平さんがインタビューで積極的に「当事者の方が見て納得いただける映画を目指した。問題点があればどんどん指摘してもらいたい。それが日本映画の未来に繋がる」と発信しており、そこに対する自覚を持っている様子が窺えます。

周到な準備と発信力を見るに、鈴木亮平さんが今の日本映画で最も信頼ができる俳優の一人と言えるでしょう。


2.映画の作り、カメラの動きと役者の演技について

背景についての話題が長くなってしまいましたが、ここから映画本編の内容について触れていきます。

私は映画のなかで映像面、どこにカメラが置かれていて何を映し、どう動いているかなどなど細かいことを考えるのが好きなのでそういった話を書いていきます。

(決して専門的な知識があるわけではないので、恐れ多いのですが...)

まず、鑑賞した人ほとんどが感じるであろうカメラワークについて。

ほぼ全編手持ちのカメラで撮影されており、被写体への距離がかなり近いです。

松永監督曰く、ダルデンヌ兄弟のスタイルを参照したとのこと。

これによって映像の印象がとても主観的なものとなり、浩輔や龍太が感じている世界を観客も同一のものとして捉えやすくなります。

ただ、解像度が高くなるあまり、表現として説明的になりやすい傾向もあると思います。そこのバランスとして、登場人物が内面をそのまま言葉にして語るというシーンは極力抑制されているのかなという印象でした。

世界観としての没入度を深めて、人物の内面はある程度ミステリアスに。

撮影の手法によって、俳優たちの繊細な演技がより伝わってきていると思います。

観客側も感覚がどんどん洗練され研ぎ澄まされていくので、人物のちょっとした所作や声のトーンの変化を敏感にキャッチできるようになっているのではないでしょうか。

かと思うとドキュメンタリックなカメラの動きの中で、時折フィクショナルな心象風景が挿入されます。これによっていい意味で観客側も「映画を観ている」という感覚になり、物語の展開へメリハリが効いていました。

特に、浩輔の少年期の映像はこの作品に実は通底しているテーマを指し示しているものになっていましたね。

俳優の機微を見事に映しとったカメラマンの池田直矢さんのお仕事はとても素晴らしかったと思います。

『さがす』や『ガン二バル』などフィクション性が高く、ダイナミックな作品を担当することが多かった印象なので、今回のようなミニマルな作品への抜擢は意外に感じましたが、瞬発力を生かした見事なカメラワークでした。

個人的に、カメラが横や縦に鋭く動く(俗にいうパン)が印象的でしたが、この動きはある程度浩輔の心情と一致したものだったのかなと解釈しています。

友人たちとの飲み会、龍太の母への挨拶など気分が高揚したり、緊張したり心拍数が高まっているであろう場面でこの動きが印象的に挿入されているのではないかと思いました。


また、浩輔が住んでいるマンションのロケーションも上手い装置として機能していましたね。これは二人の経済感の格差を示す隠喩として表現しながら、浩輔のどこか感じている寂しさのようなものも表現されているような気がしました。

それと映画において、特に恋愛映画においては「目線」の動きはとても重要なモチーフです。今作でもそこはだいぶ意識的に演出されていました。

(ファーストカットもカメラが関係していましたね。)

どちらがどれくらい相手の目を見ているかに着目していると二人に心境により深く感じ入ることができるのではないでしょうか。

龍太が仕事を増やしていくにつれ、後ろ姿のシーンが増えていきます。

カメラに捉えられていた、「目」が確認できなくなっていくにつれある衝撃的な出来事に繋がっていきます。ここでの浩輔と龍太をカットバックで交互に映していく編集も切ないものがあります。

浩輔は部屋でひとり「夜へ急ぐ人」を「おいでおいで」と熱唱したあとのシークエンスで描かれる性行為の位置関係をよく見るとその後の展開が暗示されているのではないかとやや深読みが過ぎる感じもしますが、そう思ってしまいました。


また演出としては、本編の撮影に入る前に台本にないシーンのリハーサルを繰り返し、そこから発展されたものが本編にも挿入されているとのこと。

脚本にないシーンが四分の一ほどあるということで、繰り返されたリハーサルと撮影からなるリアリティが画面に刻まれていました。

まさしく役が生きているという感覚です。

シーンによっては俳優ごとにそれぞれ違う指示を出し、それぞれが思ってもいない反応を示すなかで一部アドリブが求められる部分もあってそうです。

一番印象的なところでいくと、浩輔が龍太の母妙子にお金を渡すシーンです。

鈴木亮平さんには阿川佐和子さんにお金を受け取ってもらうように説得するように指示、阿川佐和子さんにも差し出されたお金を極力受け取らないように指示。

こういった演出が裏側にあって、あのキリキリとするような押し問答が生まれたわけです。

3.『エゴイスト』が描く愛についての定義

ここから今作の主題について綴っていきます。

予告編でも印象的な浩輔が発するセリフ。

「僕は愛がよくわかりません」

ここから、今作が愛についての物語と推測することは難しくなさそうです。


やや本筋から脱線するのですが、予告の作りや宮沢氷魚さんの儚い雰囲気から

いずれ二人に別れが訪れる予感を持っていた人は多いかと思います。

私もその一人でした。もしかすると、龍太が異性愛者と付き合って浩輔と別れるという展開があるのではないかと推測したりもしていましたが、浩輔は龍太の死によって予想だにもしない形で別れが訪れます。

いわゆる男を惑わすファムファタールのような展開があれば嫌だなと薄々考えながら鑑賞していましたが、それは映画のミスリードではなく自分自身の偏見によるものだったかもしれないと今は感じています。

浩輔は龍太のことをピュアな人と表現していました。

今作の登場人物は相手の行為に対して、その裏側にあるものへの邪推などなくその行為を素直に受容していきます。それの積み重ねによって当人同士の絆がより深くなっていく物語でもありました。

映画は物語の真意を様々なディテールから読み取っていく芸術でもあるので、仕方ないのかもしれないと思いながら、カメラが捉える二人の世界を自分は素直に受容できていなかったのではないかと反省しました。

それはある種LGTBQの方々に向けられている偏見が含まれているということもあるかもしれません。


個人的にはこの作品で、一般的な規範による善悪に落とし込まないところが魅力に感じています。

龍太が「売り」をやっていると浩輔に告白し、別れを提示しますがその後浩輔は客を装って龍太をホテルに呼び出します。そこで、浩輔は龍太に説教するのではなく「自分があなたの客になってお金を支払う」という客観的に見たら独善的で危険にも思える提案をします。最初は抵抗を示す龍太でしたが、それを受け入れ転職し仕事に精を出していきます。(結末を思うととても胸が締め付けられるシーンですが)

終盤の阿川佐和子さん演じる龍太の母妙子が発する「私たちがそれを愛として受け取ったからそれでいい」といった旨のセリフも印象的でしたが、もしかすると自分も行為の裏にあるものを考えすぎて受け取れなかったものがあるのかもしれないと考えたりもしました。

この映画では行為の善悪に限らず、ある人がある人を心から想って受け取ったものなら素直に受容してもいいのではないかと伝えているように思えます。


そして中盤で龍太と別れを遂げた浩輔にとってお母さんとの新たな関係が始まります。

別れた恋人の母親という名前をつければ赤の他人と言えるような人に浩輔は「龍太が今まで頑張ってきたことをなかったことにできない」と金銭を渡そうとします。

もちろん、母妙子は困惑し受け取りません。お互いの想いを晒した上で、妙子は納得し「ごめんなさい」と受け取ります。

ここから新たな疑似親子的な関係に発展することには驚かされました。

浩輔は若くして母を亡くし、妙子は龍太を亡くしています。

お互いに喪失を抱えたもの同士が形はいびつであれお互いの支えになっていく過程に感動させられました。

この終盤の展開があることで、浩輔と龍太との恋愛から、ふたつの家族を巻き込んだもっと広く深い愛の物語へと『エゴイスト』は転調していきます。

最初は浩輔の金銭を受け取ることに抵抗を示していた妙子が病室周囲に浩輔を息子だと言って、「まだ帰らないでほしい」と伝え、ラストにもう一度『エゴイスト』というタイトルがでてこの映画は終わります。


『エゴイスト』という言葉をより深く捉え直さざるを得ないこの演出も見事で、

愛について定義を問いかける物語としてこれ以上ない結末でした。




以上、長々と綴っていきましたが、説明的な描写は少なく決して難解ではないですが、

100人見たらそれぞれの解釈が許される作品だと思います。


観客同士で語ることで『エゴイスト』は本当に完結するのではないでしょうか。

このブログにもコメントなど投稿してくださると大変うれしく思います。



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