●国内と海外での序列が変わってゴタゴタ?【鎌倉時代後期~南北朝時代の皇族、懐良親王】

当時、海賊関連で「ヴァイキング」「倭寇」といったことをチェックしています。その中の倭寇の関連で、鎌倉時代後期~南北朝時代にかけての皇族、懐良親王(かねよししんのう)について知りました。

懐良親王は後醍醐天皇の皇子。
官位は一品・式部卿。征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)と呼ばれる

とのこと。
この懐良親王は当時の中国の王朝、明から正式に「日本国王良懐」として認められていたことで、室町幕府の足利義満が明に貿易を申し込んだものの、「日本国王良懐の手下に過ぎない者が、正式に明と貿易はさせられない」と突っぱねられてしまったことで、日本と明での権力者の順位に違いが出てしまう自体に陥りゴタゴタしていたそうです。

今では東京を中心に出来事が回っていますが、当時は九州も様々な貿易が行われておりかなり発展しているように感じたということと、貿易とか政治関連の内容については、今の時代でも十分にあり得る内容で参考になる点もあると毎度のことながら思います。

倭寇に関しては、13~14世紀の前期倭寇、15世紀後半~16世紀の後期倭寇に分けられ、また倭寇という言葉の意味合いというかニュアンスというか、そういったものも少し異なるのだそう。

【PDF】征西将軍宮懐良親王の動向 - 太宰府市

【PDF】日本 国 王 良 懐 の 遣 使 に つ いて



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