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統一原理を世界化する上で必要なこと

韓国の光復節(終戦記念日)で尹錫悦大統領は、「日本は我々と普遍的価値を共有し、共同の利益を追求するパートナーです」と演説しました。

ニュースでこの箇所を聞いたとき、尹大統領は文顯進会長のコリアン・ドリームをどこで学んだのだろうかと思いました。

文顯進会長は「日本をして邪道より出でて東洋の支持者としての重責を全うさせるものであり(3.1 独立宣言書)」という文章に注目し、「独立後は日本をパートナーとして、東アジアの平和を『共に実現する』決意表明」だと再解釈しました。

コリアン・ドリームが日本の国益となる大前提

歴代の韓国大統領は、支持率が下がると「反日」という安易なポピュリズムに流れ、自滅して行きました。
尹大統領がいまの方針を貫くのであれば、日韓の未来は明るいと言えるでしょう。

「普遍的価値」もまた、文顯進会長の書籍やスピーチに頻出する用語でした。
韓国は、日本よりもはるかに同族意識の強い国です。
家庭連合の中では「韓国=両班、日本=奴婢」のような身分意識が生まれており、当たり前のこととして受け入れる食口も多くいました。
しかしそれは普遍的価値とは対極にあるものであり、「蕩減復帰」という一言で正当化される内容ではなかったはずです。

コリアン・ドリームの目指す普遍的価値とは、生まれが韓国であるというだけで自動的に偉くなれるような、幼稚な内容ではありません。
道徳的権威として周辺国家が感服するまで、朝鮮民族自らが努力することを奨励します。

文顯進会長が2000年に公職に就いて以来、原理講論の用語をそのまま使用することは殆どありませんでした。
また家庭連合が過去10年以上掲げてきた、「統一教会を韓国の国教とする」というビジョンにも反対してきました。

それはおそらく、「統一教会の布教」が世界平和を意味しないことを、重々承知しておられたからです。
教団が肥大化することでどれだけ腐敗するか、家庭連合が身をもって示してしまったことも要因でしょう。

普遍的価値の重要性は、分断が進む世界でますます大きくなっています。
宗教指導者はたとえ数億人の信者を率いるとしても、無条件で尊敬の対象とはなりません。
キング牧師やデズモンド・ツツ主教がノーベル平和賞を受賞したのは、その活動の普遍性と道徳的権威を認められてのことでした。

家庭連合の食口には、ローマ帝国におけるキリスト教の迫害と自分の境遇を重ねる人もいるでしょう。
「来年にもお母様が金正恩と電撃会談し、核兵器の開発を断念させるだろう、そうすれば家庭連合は韓国の国教となり、南北は自然と統一されるだろう、そうすれば日本政府は我々に謝罪し・・・」と一縷の望みを抱いているかもしれません。

この考えの最大の間違いは、海千山千の金正恩が「独生女、人類の母」という宗教権威に平伏すと信じる点にあります。
独生女の権威が教団内部において絶対的であっても、それが「外の世界においても普遍的に価値がある」とは限らないからです。

ここ数回キリスト教神学の記事を書いたのは、神様の計画について食口が重大な捉え違いをしていると感じたからです(救世主・メシアの使命とは何か?)。
教団として「キリスト教っぽく」振る舞うことは、これから世界的に発展する可能性を感じさせます。
しかし文鮮明師の聖和後ペンテコステは起きず、再臨復活もありませんでした(霊界の文鮮明師は沈黙されたまま)。
初代キリスト教会のように「大逆転の奇跡」が起きることを期待しても、いずれ失望しか招かないでしょう。

価値観が多様化する世界で求められていることは、宗教権威を信奉する教団の信者を増やすことではありません。
「あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになる(マタイ5章16)」までは、その宗教権威が認められることはないからです。

ここで「立派な行い」とは、教団の外から見てもそうだと認められる、普遍性を持つことが大切です。
普遍性のレンズを通して自らの人生を振り返って、誇らしい内容が残るのであれば成功と言えるでしょう。
しかし教団の中でしか認められない人生であったなら、どこかで何かが間違ったことになるのです。

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