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歩こう!彦根かるたまっぷ

日本では、平安時代、貴族たちの間で「貝合わせ」という遊びがあり、これが発展して、「歌貝」や「歌かるた」が楽しまれるようになりました。

「西洋かるた」の影響で、かるたの形状は長方形となり、「小倉百人一首かるた」や、「いろはかるた」など、さまざまな種類のかるたが登場しました。
 
このうち、地域に特化して作られたものが「郷土かるた」です。「郷土かるた」は、日本全国、様々な地域で作られています。
 
その彦根版が「彦根かるた」です。
 
「彦根かるたまっぷ」の冊子を片手に彦根を歩くツアーをたまたま見つけ、「これはただの町歩きじゃない!」と感じて、参加することにしました。


「彦根かるた」とは

「彦根かるた」は、彦根青年会議所の考案により、昭和58年(1983年)12月25日に初版が発行されました。
 
「彦根かるた」の絵札には、彦根の歴史的建造物や景観、人物などが描かれ、読み札には歌が詠まれています。かるたの裏側には歌の解説が記載され、かるたを楽しみながら、彦根の歴史に触れ、歴史を学ぶことができます。
 
 
「れ」 歴代の 藩主に 直の字を伝え
これは、彦根藩藩主について詠んだものです。


夢京橋キャッスルロードの石畳に「彦根かるた」をデザインしたレリーフが埋め込まれているのをご存知でしょうか?
 
47枚のかるたに「彦」の字を足した、合計48枚のかるたのレリーフが並ぶ石畳には、地元の人の彦根に対する想いが込められています。

夢京橋キャッスルロードの石畳の「彦根かるた」のレリーフ


彦根かるたまっぷ

滋賀大学と近江高校の生徒が協力して、「彦根かるた」の絵札や読み札に、写真、それぞれの解説、そして地図を加えて作った冊子が「彦根かるたまっぷ」です。
 
冊子にはQRコードが印字されており、それをスマートフォンで読み込むと、Goggle Mapで場所を確認することができます。
 
また、スタンプラリーを楽しみながら、彦根の町を歩くことができます。

花しょうぶ通り商店街にある街の駅「治部少丸」


彦根への愛着

「彦根かるたまっぷ」の冊子を片手に、彦根の町を歩き、現存している歴史的建造物や石碑などを見て、彦根の歴史に触れると、彦根で活躍した人の想いを感じることができます。
 
私は今回、株式会社平和堂、キリンビール株式会社(滋賀工場)、及び、株式会社ブリヂストン(彦根工場)が協賛し、平和堂旅行センター主催の「じもとりっぷ 歩こう!彦根かるたまっぷ」というツアーに参加しました。
 
ツアーの参加者は15人ほどでしたが、グループで歩いていると、地元の人が声をかけてくれます。そして、ガイドブックには書かれていない彦根の歴史を、たくさん教えてもらいました。

彦根城内堀を巡る屋形船

彦根のルーツを知る。それは、自分のルーツを知ることに繋がるかもしれません。
 
そして、彦根で生まれ育った人、彦根に住んでいる人だけでなく、彦根に縁があり、今、ここに存在している「自分」を、新たな角度、新たな認識で見つめることができるのではないでしょうか?

近江高校跡地から眺める彦根城

「自己肯定感がある」と言いますが、それは「自分」という存在を認めている状態です。自分の存在、つまり、自分が置かれている状況、住んでいる場所、地域にも満足しているということです。
 
「家族への愛着」の範囲を、地域レベルに拡大したものが「地域への愛着」と捉えてみます。すると、地域の歴史に対する誇りと、地域住民との繋がりの中で、地域とは、自分が「自分らしく」存在できる場所であり、地域は、自分のアイデンティティに影響すると考えられます。
 
そして、「彦根への愛着」は、自己肯定感に繋がり、生きる土台になると思うのです。
 
「地域への愛着」、つまり「彦根かるたまっぷ」で彦根の歴史的背景を見つめ直し、彦根に愛着を持つことは、自分のアイデンティティの維持において、とても大切なことではないでしょうか?


歴史観と価値観

現在の自分の思考や人格は、何に基づいて、どのように形成されたのでしょうか?
 
私たちの思考や人格は、育った環境、つまり、両親の価値観や、学校教育の影響を受けています。そして、これに加えて、日本社会における常識や、日本の歴史の中に自分を置いて、物事を判断しています。
 
 
例えば、彦根藩と言えば井伊直弼公。
 
桜田門外の変で、直弼公が殺害された後、彦根藩は、幕府の厳しい処遇を受けるなど危機的な状況に陥り、彦根の人々は、長い間、とても肩身の狭い思いをしてきました。
 
しかし、直弼公は、「日本の夜明け」を開いた開国の祖であり、優れた先見の明を持ち、日本のために決断したに過ぎないのです。
 
それなのに、なぜ、彦根の人々は肩身の狭い思いをしなければならなかったのでしょうか?

いろは松のそばに立つ井伊直弼公の歌碑

直弼公は桜田門外の変で水戸藩と薩摩藩の脱藩浪士によって暗殺され、長らく、彦根と水戸は因縁の仲だったそうです。しかし、昭和47年(1972年)、二季咲桜が水戸市から彦根市に寄贈され、桜田門外の変以来、ようやく和解した形となりました。
 
実は、最近の研究では、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の実父である水戸藩主・徳川斎昭が、越前藩主・松平春嶽あてに「本当は開国しかないが、私は攘夷派の頭目と攘夷派の人々に思われているため、開国と言えないので、貴君らが開国を計らって欲しい」という手紙を書いたことが分かっているのです。
 
つまり、彦根藩と水戸藩は、「開国」という同じ方向を向いていたにも関わらず、桜田門外の変が起こってしまった。彦根の人々が肩身の狭い思いをする必要はなかったのです。

金亀児童公園の井伊直弼公の銅像近くにある二季咲桜

新しい史料が見つかったり、新しい角度で歴史小説や映画が描かれたりして、歴史観が変わると、当然、個人の価値観も変わります。
 
一方向だけから見て伝えられている歴史や、彦根の外から見た歴史ではなく、一度は、彦根を中心にした、彦根を主人公とした目で見た彦根の歴史を学ぶことが大切なのかもしれません。


新たな視点を得る

「彦根かるたまっぷ」の冊子を片手に、新たな視点で町を歩くと、意外なものが見えてきます。
 
村の統合や、町の統合、新しい道が通ったりすると、町の名前はすっかり変わってしまいます。しかし、ふとしたところに、古い町名が記されていたり、意識すると、意外と簡単に見つけることができたりします。

旧町名が書かれた表示板

江戸時代、彦根城下に作られた足軽屋敷は、城下町の最も外側に、城下を取り囲むように配置され、彦根城と城下町を守る役割を担っていました。
 
旧善利組足軽屋敷の現存するもののいくつかは、彦根市指定文化財として指定されていますが、JR彦根駅から彦根城に至る通りにも、かつてあった足軽屋敷の跡が見られます。
 
このように、これまで知らなかった情報を得ると、パッと視野が広がったり、世界観が広がったりしませんか?これまで、何気なく見ていた彦根の城下町が、とても機能的に整備されていたことに気付くわけです。

足軽屋敷の跡

そして、彦根市にはひこにゃんの他に、マスコットキャラクター「いいのすけ」がいますが、なぜ「いいのすけ」が忍者の恰好をしているのか、これまで、考えたことすらありませんでした。
 
実は、「いいのすけ」は伊賀忍者の末裔だそうです。
 
ご存知の方も多いと思いますが、彦根藩は、城下町を守るため、伊賀忍者を召し抱えていました。そして、彼らは旧伊賀町あたりに住んでいたのです。

伊賀忍者が住んでいた伊賀町

彦根に伊賀忍者が住んでいたことを知ると、新しい発想が生まれ、それが地域活性化に繋がるかもしれません。

彦根の歴史を知ることは、新たな視点を得ることに繋がります。


彦根の地場産業

彦根市には、3つの地場産業があります。それは、仏壇・バルブ・ファンデーション(縫製)です。
 
そのうち、彦根バルブは、かんざしなどの装飾品の金属加工技術を基に、明治時代初期に、製糸工場のカラン(オランダ語で蛇口)を作ったのが始まりと言われています。

彦根の地場産業・バルブをモチーフにした「バルブもなか」

地場産業を通して彦根の歴史を知ることは、彦根のルーツを知ることに繋がります。
 
滋賀県における近代的製糸業は、明治維新後、職を失った旧武士層のために始まりました。彦根においても、彦根を再生させるための新たな産業として着目されたのが製糸業でした。
 
明治5年(1872年)に富岡製糸場が設立され、明治8年(1875年)頃より、彦根からも多数の士族の子女が富岡製糸場に派遣されたそうです。
 
そして、明治10年(1877年)10月、県営として彦根製糸場が設立され、その後、湖東地域に製糸場の設立が続きます。

「バルブもなか」

製糸には水が必要だっため、製糸工場のカラン(水道の蛇口)の製造が盛んになり、現在でも、彦根は国内屈指のバルブ産地です。

富岡製糸場は世界遺産になりましたが、彦根には遺産が残っていないため、かつての彦根の隆盛を知る人は少ないかもしれません。

しかし、富岡製糸場の影響を受け、彦根は、地方創生と女性活躍推進の先駆けだったのです。


彦根を通して自分を知る

彦根の「郷土かるた」としては、「彦根かるた」以外に、彦根市シティプロモーション戦略推進委員会(熱を伝える場づくりグループ)が、令和5年(2023年)3月に制作した「ひこねいろカルタ」があります。

昭和58年(1983年)に「彦根かるた」が発行されてから40年経ち、新たなかるたが誕生しました。「ひこねいろカルタ」は、市民が主体になり、絵札のデザイン、読み札の言葉を新しくして、今の彦根の魅力を伝えるために制作されたものです。

彦根城やひこにゃんなど、市民になじみがあるものに加え、「あのベンチ」や、ご当地グルメ「ひこね丼」など、最近話題となっているものが取りいれられています。 


「彦根かるた」や「ひこねいろカルタ」で遊ぶだけでなく、かるたに描かれている歴史的な場所や、最近話題になっている場所を実際に歩いてみませんか?

過去の情報、現在の最新情報に関わらず、これまで見たことも、聞いたこともない情報、今、あなたに必要な情報を五感でキャッチすることができるでしょう。


町歩きは、自分を見つめる時間です。

求めるものは、外にはありません。それは、自分の足元、自分が住む場所や縁がある場所に、つまり、自分の内側にあるのかもしれません。

  

 

彦根かるたまっぷ
観光案内所などで配布され、専用サイトでダウンロードできます。

ひこねいろカルタ
彦根市のホームページでダウンロードできます。

 

(写真・文 若林三都子)