#60_「思い出せない」はもったいない。
夏休みが近づいてきました。心がちょっと軽くなります。
2学期制の学校は、1学期の折り返しです。3学期制の学校は、1学期の締めくくりです。
学校では、こういった「節目」を大事にします。形式的になってしまうところもありますが、「節目」があるからこそ、ちょっと立ち止まって、自分のことを振り返ることができるようになります。まあ、だからこそ、形式的にならないように、できるかぎりの工夫をしたいものです。
さてさて。先だって、1学期前半の振り返りをかねて、子どもたちにこんな問いかけをしました。
「4月から7月までのあなたの成長は何ですか?」
さらさらっと書ける子どもたちがいました。
思い悩み、筆が進まない子どもたちもいました。
そんな子どもたちの中からは「成長?私なんて、どこも、何も、成長してないし」という言葉もちらほらと聞こえてきました。
まあ、確かに、難しい問いです。
でも、確かに、考えたい問いでもあります。
「4月から7月までのあなたの成長は何ですか?」
この問いに答えられず、筆が進まない子どもと、ちょっとだけ対話をしてみました。そこで得られた気づきがありました。それは……
「思い出せないこと」と「成長を言葉にできないこと」が分かちがたく結びついているということです。
この3か月、自分が何をしたのか。
この3か月、自分が何を学んだのか。
この3か月、自分は何ができるようになったのか。
確かに、この3か月、何かしました。
確かに、この3か月、何かを学びました。
確かに、この3か月、何かができるようになりました。
でも、「思い出せない」のです。
そして、「思い出せない」から「成長を言葉にできない」のです。
「思い出せないこと」と「成長を言葉にできないこと」が分かちがたく結びついています。
「成長を言葉にできない子どもたち」は、「成長していない子どもたち」ではありません。
「成長を言葉にできない子どもたち」は、「自分のことを思い出せない・覚えていない子どもたち」なのです。
「思い出せない」は、もったいないのです。
もしも思い出すことができたのなら、自分の成長を言葉にすることができる可能性がグッと高まります。
だからこそ、私たちが工夫すべきは、「子どもたちが、自分のしたこと、学んだこと、できるようになったこと」を「思い出せるようにするための仕掛け」をつくっていくことなのです。
それはきっと、毎日、同じ行数の日記を書かせることとは、ちょっと違う気がしています。
それはきっと、毎日、手帳を持ち歩かせることとも、ちょっと違う気がしています。
それはきっと、毎日、タブレットに記録を残していくこととも、ちょっと違う気がしています。
それはなぜか。
答えは簡単です。
私自身が、できないからです。
自分にできないことは、子どもたちにも要求・提案できません。その証拠に、はじめは毎日更新していたこのnoteだって、今や不定期更新が当たり前になっています(笑)そして、それでいいんだと、何の根拠もなく、自分を励ましています(笑)
私のようなナマケモノでも取り組むことができる仕掛け。
そんな仕掛けを発明することができたら、子どもたちも、きっと、「思い出せる」ようになるはずなのです。
「覚えておく」ではなく、「思い出せるようにしておく」。
「忘れない」ではなく、「忘れてもいいようにしておく」。
この仕掛けを、今の子どもたちにフィットしたかたちで、発明してみたいと思います。
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