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#39 蒙霧升降の日記(8/17~8/22)

立秋の末候、蒙霧升降 (ふかききりまとう)。たしかに空気のしめりけを感じる刹那がある。残暑の中のしっとり、ひんやりとした空気に、漠然と切ない気持ちをおぼえたりする。

8/17水

ねむれない夜、通話につきあってくれる人がいるありがたさ。画面の向こうでぬいぐるみを動かしてあやしてくれて、うそみたいだけどそれですんなりとねむれた。

8/18木

ゴールデンウィークに一緒にKYOTOGRAPHIEへ行ったMが、ポジフィルムで撮影した写真を送ってくれた。私が写ったものは、横顔も、後姿すら、生意気そうな雰囲気が漂っていたので「そうなんだなあ」と思ってちょっと笑ってしまった…。

長らくとても大切におもっていること・大学でも学んだことが、仕事のアウトプットになる。ありがたいことだ。締め切りが今日中なので、なんとか書き上げた。時間はもう少しあったはずだけど、大事に思いすぎて万全なときに取り組もうと思っていたら、先送りにしてしまっていた。自分のそんな傾向については本当に「そうなんだよなあ」とため息が出る。早めにやっといた方がいいに決まっているんだよ。わかるね。

8/19金

母親は元メガブロガー。Windows98を使って、2001年から子育てブログを運営して100万アクセスを稼いでいた。私や弟たちの人生のできごとの断片もかなり赤裸々に描きながら、教養と工夫にあふれた賢い生活者としての自分をまめに更新していた。
今は更新が止まっているそのブログをひさしぶりに読み返していた。1000エントリ以上あるのと、あまりの恥ずかしさややり場のない怒り、どうしようもない気持ちで全記事は読んでいなかった。でも子どもをネタにするというよりは、それが彼女の人生だったのだと今になっては思う。

8/20土

Tと待ち合わせをしていたら「鼻血が出た」とのことで結局45分くらい待った。私は遅刻魔なので、こういうときは過去の遅刻の清算だと思って粛々と待てる。遅刻は全然いいのだが、ひとつ「ふざけんなよ」と思うことがあってそれを伝えた。誠実に話ができたと思う。

8/21日

Wと瀬戸内国際芸術祭へ。高松→女木島→男木島→小豆島。
高松で食べた太いうどんは、もはや長い団子というおもむき。早朝は大雨だったけれど、島に着くころには快晴で、友人とふたりで麦わら帽子をかぶって散策。女木島の「リサイクルショップ複製遺跡」が品物が入れ替えられたばかりとのことで、旅行序盤にしてかわいいガラスのお皿を買ってしまいました。器や本って、重いのに旅先で出会いがありがちで、そして私はそれを見過ごせない。

男木島ではダモンテ商会でバスクチーズケーキとチャイをいただいて元気をチャージしたあと、傾斜のきつい坂道を登りながら展示会場を巡る。猛暑の中、帽子とリュックを身に着けて坂をのぼる友人の後ろ姿を見て、瞬間的に強烈に「夏休み」を感じた。いつかこの瞬間を懐かしく思い出すのだろうという予感めいた瞬間がたまに訪れるけれど、今から未来を逆算コントロールしているのだろうか。漆がひんやりしていることを知らなかった。上り坂に特化した直角のおばあちゃんを見た。

小豆島に向かうフェリーの甲板で、波のレースを見ながらたくさん話をした。1時間の乗船時間のうちに、空の色が、青から金色へ、金色から橙色へ、そして青紫へうつりかわって、上陸のころにはとっぷりと濃色に暮れていた。美しく儚い時間を共有できたようでうれしかった。

小豆島に来るのは7年ぶりだった。そのときは大好きだった人と来た。

小豆島のなつかしいホテルでは、妙に髪の長い若い男の子が料理を供してくれて、なぜかその瞬間「島民」を感じた。小豆島を地元として生まれ育った人がいるのだな。新鮮な魚介類はやさしくて溌溂としてとてもおいしくて、こういうときに「食べさせたいな」と浮かぶ何人かの人を大切にしたいと思う。

ホテルのサウナは100度を越えていて、もうぬるい水風呂でもガンギマリだった。ふわっふわのバッチバチになって、「ととのう」とかいうけれどこんなん身体に良いわけがない、完全に身体のバグだよなと思う。私はこういうときにおだやかにナチュラルトリップできて、さらにヴィジョンが見えてしまうけれど、危ない人みたいなのでなかなかこの話を人にできない。今日はふわ~っと海老柄の浴衣が見えた(帯が海苔だった)。こんな話本当にしない方がいい。3時くらいまでたくさんおしゃべりして眠った。


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